妻子別れの石
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妻子別れの石
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評価分布
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旅行タイプ別評価
妻子別れの石について
明暦3年(1657年)潜伏キリシタンが発覚した大事件「郡崩れ」に関わる史跡です。翌年の万治元年(1658年)に、大村牢から200人の武士に厳しく警護されて、処刑のため131人が斬罪所に連れて行かれました。見送ってきた家族や親戚の人たちと、最後の別れを惜しみ、水盃を交わした所と伝えられる場所です。とめどもなく流れる悲しみの涙で濡れた石として、またの名を「涙石」とも呼ばれ、今でも苔が生えないといわれています。
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。
所在地 | 〒856-0828 長崎県大村市杭出津3丁目 MAP |
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交通アクセス |
(1)大村ターミナルからバスで10分
協和町南バス停から徒歩で5分 |
妻子別れの石のクチコミ
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悲しい歴史があるのですね
家族と最後の別れを惜しみ、水盃を交わした場所がここであったといわれているそうで、悲しい歴史があるのですね。
詳細情報をみる
- 行った時期:2013年8月
- 投稿日:2018年5月21日
このクチコミは参考になりましたか? 0
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悲惨な歴史があるんですね。
郡崩れによって処刑されることになった131人が斬罪所に引かれる際に、家族と最後の別れをして水盃を交わした場所であると伝えられているそうです。悲惨な歴史があるんですね。
詳細情報をみる
- 行った時期:2015年5月
- 投稿日:2018年3月20日
このクチコミは参考になりましたか? 0
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キリシタンの方々の悲哀を感じることが出来ました!!
キリシタンの方々の悲哀を感じることが出来ました。
受刑者たちが妻子と最後の別れをしたであろうといわれる。
スポットでした。別れの石は3個残っていて、涙石と言われ
いまでも苔が生えないと伝えられていました。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年4月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年11月20日
このクチコミは参考になりましたか? 1
妻子別れの石の基本情報
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。
名称 | 妻子別れの石(サイシワカレノイシ) |
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所在地 |
〒856-0828 長崎県大村市杭出津3丁目
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交通アクセス |
(1)大村ターミナルからバスで10分 協和町南バス停から徒歩で5分 |
お問い合わせ |
じゃらん旅行ガイドを見たと伝えるとスムーズです。 0957-53-4111 |
ホームページ | https://www.city.omura.nagasaki.jp/kankousuishin/kanko/kankouspot/kirishitan/kirishitanshiseki/saishiwakarenoishi.html |
最近の編集者 |
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妻子別れの石に関するよくある質問
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- 妻子別れの石の交通アクセスは?
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- (1)大村ターミナルからバスで10分
- 協和町南バス停から徒歩で5分
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- 妻子別れの石周辺のおすすめ観光スポットは?
妻子別れの石の訪問者傾向
みんなが行った時期
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9月
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10月
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11月
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12月
訪問者の特徴
- 滞在時間
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- 1時間未満 100%
- 1〜2時間 0%
- 2〜3時間 0%
- 3時間以上 0%
- 混雑状況
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- 空いている 50%
- やや空き 50%
- 普通 0%
- やや混雑 0%
- 混雑 0%
- 年齢層
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- 10代 0%
- 20代 0%
- 30代 17%
- 40代 50%
- 50代以上 33%
- 男女比
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- 男性が多い 0%
- やや男性多 0%
- 約半数 0%
- やや女性多 0%
- 女性が多い 100%
- 訪問人数
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- 1人 20%
- 2人 80%
- 3〜5人 0%
- 6〜9人 0%
- 10人以上 0%
- 子供の年齢
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- 0〜1歳 0%
- 2〜3歳 0%
- 4〜6歳 0%
- 7〜12歳 0%
- 13歳以上 0%