咸宜園跡
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てくてくさんの咸宜園跡のクチコミ - 咸宜園跡のクチコミ
てくてくさん 男性/30代
原鶴温泉に泊まった翌日に訪れました。廣瀬淡窓が開いた私塾という事でしたが、まあ広い旧家という感じでした。誰もいなかったので自由に見ることが出来ました。この後は豆田町見学がお勧めです。
- 行った時期:2010年1月10日
- 投稿日:2010年1月13日
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てくてくさんの他のクチコミ
咸宜園跡の新着クチコミ
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私塾跡
豆田町から御幸通りを南に歩いていくとありました。近世日本最大級の私塾だったそうですが、今は一棟の建物があるだけでした。
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- 行った時期:2019年2月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年3月4日
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ユネスコ指定
日本の他の私塾とともにユネスコの世界遺産の指定をうけています。こちらを訪れてから大分県では三浦梅園、帆足万里のことも興味が湧きました。
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- 行った時期:2018年1月
- 投稿日:2018年5月9日
takakoさん
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江戸時代の私塾跡
広瀬淡窓の私塾跡。身分や階級制度の厳しい時代に、学歴・年齢・身分を問わず
教育したところです。1817年に開塾し、1897年に閉塾するまで約5千人の門下生がいたそうです。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年4月16日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年4月17日
takakoさん
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江戸から明治期の日本の知の集結
身分制度が厳しい時代にあって、三奪法という学歴、年齢、身分をとわない教育をされた廣瀬淡窓。
この私塾からは5000名という日本でも最大規模の門下生を輩出したとのこと。
江戸後期、明治期の日本を導き、活躍した方々も多数輩出されていることを知り大変驚きました。
ガイドの方が詳しく説明していただき理解が深まりました。詳細情報をみる
- 行った時期:2015年7月31日
- 投稿日:2016年8月13日
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国の史跡に指定されたそうです
大きな私塾の跡地だそうです。およそ80年間か90年間で5000人近くの門下生を排出したそうです。特筆すべきはその教育姿勢で、江戸時代末期に開設されたのですが、まだ身分制度があったにも関わらず、勉強する意欲さえあれば誰でも受け入れたそうです。現在は先生の自宅と書斎があるのみで、他は敷地だけとなっています。
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- 行った時期:2016年7月22日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年7月23日