七夕神社
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宗像の人が幡占いをして立てた荒ぶる女神の社 - 七夕神社のクチコミ
神社ツウ 三文詩人さん 男性/50代
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難所どころか、見えている階段を上がるのみ
by 三文詩人さん(2016年10月10日撮影)
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門前両側に織姫・牽牛、2年前までこんなもの無かったのに
by 三文詩人さん(2016年10月10日撮影)
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一の鳥居「媛社神社」。直後に二の鳥居
by 三文詩人さん(2016年10月10日撮影)
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二の鳥居はダブルネーム。「七夕」でなく「棚機」。実は七夕をタナバタと読むのも、棚機からだったりする。
by 三文詩人さん(2016年10月10日撮影)
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拝殿は意外に地味というか質実剛健系な造り。女神といっても人を喰った神な訳で…
by 三文詩人さん(2016年10月10日撮影)
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世にも珍しい七夕神社。正式には「媛社(ひめこそ)神社」と称するも、二の鳥居篇額に「棚機神社」「磐舩神社」と並べ記す。但し境内に磐船無し、機を置くべき棚も無し。
媛社神(ひめこそのかみ)と織姫神(おりひめのかみ)を祀る。8月7日夏祭り。もともと、七夕はお盆の始まりであり、旧暦の7月7日であるから、新暦では8月になる。
肥前國風土記に曰く。
昔、此の門(と)の西に荒ぶる神有り。行路の人多(さわに)殺さゆ、半ば凌ぎ半ば死にぬ。この時祟る由を卜へ求く(うらへまく)に兆云く(うらへつらく)、筑前國宗像郡の人珂是胡(かぜこ)をして吾が社を祭らしめよ、若し願かなえらば荒ぶる心起こさずと。
珂是胡を召して神社を祭らしむるに、珂是胡即ち幡を捧げ祈祷して云わく、誠に吾が祀りを欲すと有らば、此の幡風のまにまに飛び往きて吾が願する神の邉に堕ちよと、即ち幡を挙げ風のまにまに放ち遣らしむ。
この時其の幡飛び往きて御原郡姫社(ひめこそ)の社に堕つ、更に還りて飛び来り此の山途川邉の田村に落つ。珂是胡、神の在す家を知りてより、其の夜夢見、臥機(くつびき)と絡朶(たたり)舞い遊び出で来て珂是古を壓し驚かす、是に於て亦た織女の神とも、即ち社を立て之を祭る。
それより己のかた行路の人殺されず。因て姫社と曰ひ、今に以て郷の名と為せり。
基肄郡姫社郷というのは今の鳥栖市姫方町で、山下川沿いに姫古曽神社が鎮座する。小郡市宝満川近くの姫社の社と併せ、風土記そのまま。九州自動車道鳥栖ジャンクション内には七夕屋敷が在ったという。
くつびき・たたり何れも機織りの道具なので、これで織女の神と知れたのは、往時の機織りが巫女の神事と決まっていたことになる。「壓」は「圧」の旧字にして抑えつける意、珂是胡は夢中に織女とプロレスをして、ドタンバタンと倒されピンフォールを喰らったのである。普通、驚くだけでは済まないであろう。
小郡市役所南、たなばた地域運動広場の隣に坐す。今では田んぼが広がる平野で、難所であった地形は想像もつかない。磐船なんざ影も形もない。
珂是胡が飛ばした幡というのは、凧のことかと悩める処、綾部神社に幡の実物が在った。参照されたし。
- 行った時期:2016年10月10日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年1月15日
- このクチコミは参考になりましたか?5はい
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う〜ん
小郡市内に引っ越してきたため、七夕神社の名前に魅かれて参ってきました。
七夕神社の名前は非常に魅力的ですが、初めて見る人はがっかりするでしょう。
とにかく、閑散とした神社です。
神職はおらず、人も非常にはまばら。
社殿の右に恋人の聖地を思わせるモニュメントがありますが、説明文がなぜか英語。
宝満川を越えてすぐのところに牽牛を祭る老松神社がありますが、案内板がないのでわかりにくく駐車場がありません。
七夕神社以上に閑散としており、非常に哀愁が漂っております。
七夕神社が寂しいのは、おそらく大名等の有力者からの多大な庇護がなかったからなのか、と一人考え込んでしまいました。
残念ながら恋人と来てもがっかりすること請け合いです。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年7月8日