築土神社
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築土神社の口コミ一覧(5ページ目)
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近くのホテルに宿泊したので、早朝から「目白通り」界隈を散策した際に初めて「築土神社」へ行ってみました。
「中坂」を進んで、立派なビルの脇にある参道を進むと右手に社殿が建っています。
とても小さい神社ですが、「平将門」の首を祀られたことでも有名です。
また、千代田区指定有形民俗文化財に指定されている狛犬も見事なものでした☆
朝早かったためか、誰もいなくて貸し切り状態でお参りできました。- 行った時期:2016年12月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年3月8日
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- カップル・夫婦
祭神は「天津彦火邇々杵尊(ニニギ)」こと天孫降臨したアマテラスの孫となっている。元々の祭神は「平将門」であることから、武勇長久の神社として日本武道館の氏神とされている。- 行った時期:2018年2月17日
- 投稿日:2018年2月21日
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- 一人
ここ築土神社は、天慶3年 (940) 平将門の霊を武蔵国豊島郡上平河村津久戸の観音堂に祀ったのが始まりで、以後数ヶ所遷座され昭和29年 (1954) この地に遷座された という由緒ある神社です。
今は、老朽化のため平成6年 (1994) に大改築され、併せて社務所が入っているビルも完成し、社殿がビルの奥になっています。
ビルは中坂 (北) 側にあり、細長い8偕建てなので中坂から社殿はよく見えないが、ビルの前に鳥居があるので分かります。
社殿は、未だ新しく大きく立派な造りで見応えがあります。
また社殿の右手奥に、世継稲荷神社があるので併せてお詣りすることをお勧めします。- 行った時期:2017年12月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年1月22日
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- 一人
九段下駅からすぐの場所にある小さな神社で、ビルの隙間にあります。
いかにも都会の神社といった外観ですが、ちゃんと狛犬や鳥居もあります。- 行った時期:2017年12月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年12月2日
東京ツウ Kuda12さん 男性/40代
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- 一人
九段下駅から坂を上っていくとビルの谷間にある神社。コンクリート作りですが非常に丁寧に仕上げてあり境内も清浄でした。奥に世継稲荷神社も。- 行った時期:2017年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年8月7日
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- 一人
戦国時代には太田道灌により社殿が造営され江戸城の鎮守神として厚く崇敬されました。その後九段坂上の地に移転しその一帯が田安郷と呼ばれていたことから田安明神と称され日枝神社と神田明神とともに江戸三社の一つにも数えられました。江戸時代になり徳川家康の江戸入城の際江戸城の拡張工事のため新宿区の筑土八幡神社の隣接地に移転し名前も築土明神に改称されました。写真の地図で見るとわかるけど築土神社は武道館と靖国神社に挟まれてて効率よく参拝できるぞ。- 行った時期:2017年7月21日
- 投稿日:2017年7月23日
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- カップル・夫婦
案内図を見ても入り口がわかりにくかったのですが、何とかたどり着きました。地元の人はここを通り抜け口に使っているようです。都会のど真ん中にコンクリートで作られた神社でしたが、妻の今年の守り本尊だと言うので行きました。ここだけ観光に来るところではありませんが、靖国神社に近いので、寄ってみてはいかがでしょうか。- 行った時期:2017年2月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年4月12日
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- 一人
靖国神社へ参拝するときに、幟を見て詣でた。靖国神社からは、正門を出て北上し、信号機を東進する。九段下駅からは、北上して「九段北ー丁目」を西へ。
「アイレックスビル」横に鳥居が張り付き、ピロティが参道になっている。中庭らしき位置に立つ社殿も鉄筋コンクリート製、強そうだ。
天津彦火邇々杵尊を祀る。平将門公・菅原道真公を配祀。境内に世継稲荷社御鎮座。
元は将門公の首を密かに持ち帰って津久戸に祀り、津久戸明神と称した。大手町の将門塚付近を当時は津久戸と称したのが、度々の御遷座にて、新宿区に津久戸町の地名が残る。
江戸城の主は代々、これを崇めつつ利用した。江戸城築城に際して津久戸明神を北西に遷座させ、江戸城の鎮守としたのが太田道灌。洪水の害を防ごうと田安台(九段上)に上げて田安明神としたのが北条氏康。大阪夏の陣が終わって江戸城拡張のため筑土八幡横に遷し、築土明神としたのが徳川秀忠。
明治7年、邇々杵尊を勧請し、築土神社と改称。その境内が新宿区筑土八幡町で、新宿区津久戸町はその門前であった。大東亜戦争で空襲に遭い、築土神社全焼(筑土八幡は焼け残った)。首を収めた首桶共々、社宝一切を失う。
やむを得ず昭和21年、千代田区富士見へ御遷座。更に昭和29年、九段中学校建設のため、世継稲荷境内地なりし現在地へ御遷座。戦災に焼亡した世継稲荷を併せて再建。平成6年、アイレックスビルとして社殿社務所を改築したものである。
要するに将門公を祀る社で、神田明神と被る所が多い。しかし当社では、首が飛んできたのではなく地道に盗んできたとか、社伝からしてファンタジー感が無く、惹き付けられるものが無い。神田明神と並ぶ大社として信仰を集めたというが、閑散とした現状からはちょっと信じられない感じ。
将門公を祀る社は他にも数社あり、その存在は江戸のローカルヒーローとして機能したようだ。叛逆者として始末された怨神が、祭り上げられて守護神にクラスチェンジする日本は、外から見ると理解し難い存在かもしれない。- 行った時期:2015年3月21日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年3月21日
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神社ツウ 三文詩人さん 男性/50代
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