Shotaさんの兵庫県〜高知県の旅行記

神戸から姫路城、岡山城、倉敷、続いて高松城址、丸亀城、今治城、松山城、大洲城、宇和島城、高知城と四国をひと回り
- 1日目2018年12月30日(日)
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14:00-15:00
1963年建築のポートタワーは「鉄塔の美女」と呼ばれる。震災の28日後、バレンタイン・デーにライトアップ、復興のシンボルとなった。震災で街に昔日の面影は全くと言っていいほど残ってはいないが、このタワーは心を幼い日に運んでくれる。
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16:00-17:00
幕府は、西国外様大名の抑えとして姫路に次いでこの地を重視、元和4年(1618年)譜代小笠原忠真に築城を命じた。現在この櫓と右側の巽櫓、石垣、堀などが残っている。『日本城郭大系 12』
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16:00-17:00
二つの櫓を結ぶ城壁は修復中であった。広大な城跡は公園になっており、桜の名所でもある。
- 2日目2018年12月31日(月)
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08:00-12:00
貞和2年(1346年)最初に城郭を構えたのは赤松貞範。その後の混乱期を経、秀吉が居城とした時期もある。現在の城郭を完成させたのは、慶長14年(1609年)池田輝政であった。『日本城郭大系 12』
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08:00-12:00
姫路城天守を正面に見ながら、「はの門」へ向かう。右側の塀に狭間が並ぶ。さあこれから天守閣に向かうぞという気持ちが高まってくる。
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08:00-12:00
城内随所に見られる武器架。その他、武者隠しや狭間、木組みなど、丁寧に見て行くとついつい時の経つのを忘れる。
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14:00-14:00
起源について諸説あるが、寛文元年(1661年)浅野長直によるとするのが妥当なようだ。『日本城郭大系 12』石垣と堀が残っている。大手門、櫓、本丸庭園は再建されたもの。
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14:00-14:00
赤穂城址のすぐそばにある大石神社。参道脇に比較的新しい四十七士の石像が並ぶ。
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14:00-14:00
大石内蔵助邸の門が、大石神社と赤穂城址の間、旧三の丸にあり、往時を偲ばせる。
- 3日目2019年1月1日(火)
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09:00-10:00
岡山城の築城は天文元年(1532年)頃、金光備前に始まると伝わる。その後、宇喜多秀家が慶長2年(1597年)現在の城郭の原形を造った。『日本城郭大系 13』 賛否あるようだが、天守にはエレベーターが備わっている。展示されている書や刀剣の質の高さに惹かれた。後楽園は三名園の一つ。
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11:00-12:00
大原美術館は昭和5年(1930年)大原孫三郎がその前年死去した洋画家児島虎次郎の業績を記念するために設立。エル・グレコの「受胎告知」をはじめ、モネ、ピカソ、ゴーギャン、青木繁、岸田劉生、棟方志功などの名画、名作を目の当たりにできる。
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11:00-12:00
大原美術館
エル・グレコ(ドメニコス・テオトコプーロス)「受胎告知」(1590-1603年頃作・絵葉書)エル・グレコとは「ギリシャ人」を示す通称。薄暗い色調のなかに、縦長のプロポーションを持つ人体を複雑なポーズで配置するのが特徴。(図録)この作品が日本にあるのは奇跡とされるほど。
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11:00-12:00
大原美術館
レオン・フレデリック(1856-1940年)「万有は死に帰す。されど神の愛は万有をして蘇らしめん」(1893-1918年作・絵葉書・横長を上下に) 大作に圧倒されてしばらく立ち尽くしていた。左下に「私たちの愛する娘カブリエルへ」という言葉が記されており、第一次世界大戦中に亡くなった娘への哀悼を託している。全長11メートルというこの作品の大きさに合わせて、本館の横幅は決められたという。(図録)
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11:00-12:00
カフェ・エル・グレコ
大原美術館に隣接する、カフェ・エル・グレコ。元は大原孫三郎の事務所として大正末期に建てられたもの。建物全体から当時の雰囲気を感じ取ることができる。
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11:00-12:00
倉敷美観地区。白壁となまこ壁の建物が保全されているこの地域は、米の集積地として栄えた幕府の天領時代を偲ばせる。中心に大原美術館がある。
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14:00-14:00
高松城は天正16年(1588年)生駒雅樂頭親正により築城。外、中、内の濠すべてに海水が入れられた、日本初の本格的な水際城であった。三重櫓、門、石垣、堀などが残る。『日本城郭大系 15』
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17:00-18:00
丸亀城は慶長2年(1597年)生駒親正により創建。当時の最高技術で積まれた、扇のような、勾配の美しい「石垣の名城」。山頂の天守までの坂道は急で息が上がった。しかし、それだけのことはある。
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17:00-18:00
大手門付近から天守閣まで、一気にこの坂を登る ! 敵兵も二の足を踏んだだろうが、お城勤めも楽じゃなかったろうと独り言ちた。
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17:00-18:00
丸亀城 天守閣
唐破風や千鳥破風を備える天守だが、現存天守の中で最も小規模である。一層部分が工事中。
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17:00-18:00
丸亀城大手門の木組み。武骨で堅牢な造りが往時を偲ばせる。
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17:00-18:00
木材と石材を組み合わせた門柱が面白い。
- 4日目2019年1月2日(水)
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09:00-10:00
今治城は慶長7年(1602年)築城の名手藤堂高虎による築城。天守閣の有無については議論があるようだ。石垣と堀のみが残っていて、模擬天守が建てられている。高虎の銅像もある。
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11:00-14:00
松山城は慶長7年(1602年)加藤嘉明により築城。漆喰と樟、欅などの木材で造られた、大天守と小天守、櫓を渡り櫓でつなぐ連立式天守は珍しく、構造を楽しんだ。 文学の町らしく、勝山山頂に向かう斜面に書いてある歌がロープウェイから見えた。 「かしとうみ、心のリュック半分もつけん」 「ふーん、風って見えるんだ」
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11:00-14:00
松山城 一の門
一の門は脇戸付高麗門、本瓦葺、軒は一重。この門の奥、二の門までの間は桝形の仕切りとなり、攻勢防御のための空間をつくる。
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15:00-16:00
大洲城は元徳3年(1331年)宇都宮豊房の築城に始まる。その後、藤堂高虎らにより修築、近世城郭の体裁を整えた。『日本城郭大系 16』木造の天守は、資料を綿密に研究し、原形を忠実に復元したもの。
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15:00-16:00
史料を元に忠実に復元されたと知って、伝統を踏まえた新たな木組みにしばし見入った。
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16:00-17:00
現存する宇和島城は慶長5年(1600年)藤堂高虎の築城。『日本城郭大系 16』西側は海、東側は海水を引き込んだ堀を持つ海城。天守の平面はほぼ正方形で、比較的小ぶりだが、カッチリとしていて破風が美しい。狭間は見られず、正面玄関が堂々としているのは、戦乱の落ち着いた時代のせいか…。
- 5日目2019年1月3日(木)
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07:00-08:00
母方の先祖がかつて「土佐守」であったことにちなんで、母と伯母の遺骨を携え、土佐の浜を訪れて二人の冥福を祈った。
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09:00-10:00
高知城は慶長6年(1601年)山内一豊が築城。天守、御殿、門が揃って残っているのは珍しいとか。櫓、石垣、堀も残っている。本丸御殿は「書院造り」で格式を感じさせる。天守は規模の割に少し華奢な印象を受けた。
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09:00-10:00
高知城 山内一豊像
山内一豊は関ケ原の戦いの翌年、慶長6年(1601年)土佐に入封。土佐藩を立てた。
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09:00-10:00
天守閣望楼にある粋な注意書き。最後に「昼寝を禁ず」とあるのにはつい笑ってしまった。
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10:00-11:00
幕末期の寵児、坂本龍馬は31歳で夭折。正直それほど熱心な龍馬ファンではないが、日本の行く末を案じ、懸命に奔走した男の眼差しはどこを、何を見ているのだろうか…。
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14:00-15:00
徳島城の起源は元中2年(1385年)細川頼之が築いた小城に始まるとされる。『日本城郭大系 15』 枯山水と池泉回遊式千秋閣庭園の豪快な石組みは見事。
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14:00-15:00
徳島城址 鎧
博物館には、秀吉により入府を命ぜられた蜂須賀家にまつわる遺品や史料が収められている。
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16:00-16:00
渋滞を避けて、淡路南SAへ。夕陽にきらめくうずしお。淡路には城もあるので、是非また訪れたい。
神戸から姫路城、岡山城、倉敷、続いて高松城址、丸亀城、今治城、松山城、大洲城、宇和島城、高知城と四国をひと回り
1日目の旅ルート
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