さとけんさんの三重県〜鹿児島県の旅行記
【九州その1】錦帯橋・吉野ヶ里遺跡・指宿温泉・知覧特攻平和会館・鹿屋航空基地資料館【2023年10月】
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神奈川から九州までドライブしてきました。「その1」では、まず、一般道を走って山口県の錦帯橋と佐賀県の吉野ヶ里遺跡を経由し、鹿児島まで行って指宿温泉の砂湯に埋まり、19年振りの知覧特攻平和会館と、初めての鹿屋基地を訪れます。ちなみに旅行記・九州その1からその3まで、行って帰ってくるまで、総走行距離は4,021キロメートル、平均燃費が私の車で16.77キロメートル/リットル、ガソリン料金が合計で42,538円、興味深いのはガソリン単価で、神奈川で10/21、11/3とも1リットル159円の時、亀岡市(アポロステーション・セルフ亀岡)で169円、防府市(イデックスセルフ防府西)で166円、南さつま市(岩崎産業加世田SS)で168円、宮崎市(キグナス・セルフ小松)で165円、熊本県宇土市(Misumi・エネオス・セルフ宇土SS)で176円、長崎県の時津町(林兼石油・エネオス・セルフ時津西SS)で177円、雲仙市愛野町(エネオスフロンティア長崎愛野展望台店)で181円、高速道路の吉備SAが190円、そして帰り際に入れた神奈川のエネオスが159円と、地域によって物価が変動するのを面白く感じました。2回目から7円引き(!)なんてスタンドもありましたので、地元のいつも使っている店でガソリンを入れるのが一番経済的なのかもしれませんね。
神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代
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- 1日目2023年10月22日(日)
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今回、九州に行くにあたっては、新幹線とレンタカー、フェリーと自分の車、フェリーとレンタカーなど、いろいろ検討した結果、行きは一般道、帰りは高速で、自分の車を運転していくことにしました。最初は鹿児島まで一気に行くつもりでしたが、往路は一般道ということになったので錦帯橋と吉野ヶ里遺跡に立ち寄っていくことにしました。神奈川を日曜日の早朝2時半ごろに出発して沼津4時、興津4時30分、浜松5時45分、新居6時10分、名古屋7時50分、桑名8時17分、四日市8時30分、石薬師8時50分、亀山9時と通過して道の駅・関宿にて9時12分から5分ほど休憩です。
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瀬田の唐橋10時45分、蝉丸神社が近い逢坂一丁目信号を11時1分、山科駅11時10分、京都堀川五条を11時25分に通過、だいたい10時をすぎて大津あたりから車の数がグッと増えてきました。京都市内はどうやら時代祭の当日であったようで、清水から堀川あたりの人出はかなりのものでした。賑わいが戻ってきたようで少しうれしくなりました。最初のチェックポイントである道の駅・ガレリアかめおかに到着したのは予定通りの12時30分です。
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道の駅・ガレリアかめおかは地上の駐車場は混んでいましたが、地下の駐車場は3割ほどの入りでした。地下駐車場は22時に閉まって車の出入りは朝まで出来ないようです。この道の駅で5時間ほど休憩し、17時25分に西へ向けて出発します。
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日曜日の夕方ということで自動車の数もそれほど多くなく、国道372号線を姫路まで走り姫路は19時45分に通過、ライトアップされた姫路城がきれいでした。姫路からは国道2号線を走りまして、こちらの道も快調で、特に福山から広島のバイパスは信号もなく車も少なくて流れに乗りさえすればとても走りやすい道でした。広島通過が夜中の0時ジャスト、錦帯橋の川端にある駐車場に着いたのは1時35分です。真っ暗な河川敷にある広い駐車場には車中泊をされている車が10台ぐらいですかね、停まっていましたので、私も静かに車を走らせエンジンもライトもすぐに切って運転席を倒し、毛布や上着で暖かくしてすぐに就寝です。真っ暗で静かだからでしょうか、多分、何度か目覚めたはずですが、とても良く眠れました。
- 2日目2023年10月23日(月)
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6時に起床し散歩をします。まだ陽が届かない河川敷は風が冷たいですな。錦帯橋は初めて訪れます。美しいですねー。地元の方でしょうか、お散歩されている方もいらっしゃいますが、ほとんど人気のない錦帯橋を、それでは渡ってみましょうか。なになに?310円が必要とのことです。これは1往復で310円ということのようです。
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夜間は受付の人がいませんので、こちらに310円を入金です。
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ほうほう、こうなっていますか。階段状なのですね。私は太鼓橋といえば鎌倉の三の鳥居にある太鼓橋を子供のころに渡った写真が自宅にありますが、傾斜が結構怖かった思い出と、長らくあの橋を錦帯橋だと思っていた記憶がありますな。本当の錦帯橋は階段状で良かったです。
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露に濡れて木板が滑りやすくなっておりますな。これは要注意です。
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おお、がっちりとした橋脚です。流れに向けて舳先のようになって、川からの圧力を逃がしているわけですな。
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おお、なんという木組みでしょうか。私にはよくわからないが、幾重にも規則的に木を組み合わせて橋の強度を維持しています。これを考えて実現させた人は凄いですなー。
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おお、朝日が当たって、これはきれいな錦帯橋。美しいです。
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1時間ばかり、早朝の錦帯橋散策を楽しみました。7時20分に錦帯橋を出発、関門トンネルに10時37分に入り10時45分に出て九州に入り、佐賀の吉野ヶ里遺跡到着は13時40分です。
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吉野ヶ里遺跡は駐車場が普通車310円、入場料が大人460円、上の画像の音声ガイド(棒状の音声発生器を地図上の番号・写真に当てると、そこの説明をしてくれるもの)が500円、そしてガイド機器の補償料金(借りる時に預け、返却時に戻ってくる)が500円となります。せっかくですのでガイドを借ります。
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おお、入り口の撮影ポイントです。吉野ヶ里遺跡のマスコットキャラクター・「ひみか」(兄)だそうです。このほかに妹の「やよい」がいるとのこと。
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公園の入口と遺跡の入口がこんなに広くて長い道でつながっております。地図によりますと「天の浮橋」という名称がついています。さて今回は2時間20分くらいの見学時間ですので、ところどころに立っていらっしゃるガイドの方に勧めていただいた「南内郭」「北内郭」「北墳丘墓」を見学します。今、この旅行記を書きながら地図を見返しますと、とっても広い施設なんですねー。私が見学したのはその中のごく一部ということになるでしょう。
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こちらは南内郭の外からみた画像です。南内郭は吉野ヶ里の支配者層が居住していた場所とのことで、塀と濠でがっちり守られている感じですね。
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弥生時代の人々はどんな生活をしていたのでしょうねー。どこから何がやってくるかわからない状況、未来の展望が現代の私よりもかなり不安定であったことは間違いないでしょう。集団化しないと生きていけない世の中とも言えると思いますが、こういう時代にもスナフキンや西行法師のように、一人でブラブラとする人はいたのでしょうか。
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濠を歩くことができます。実際にこの濠を登ったり下ったりするのは、かなり大変なのではと、少なくとも道具が無いと、ちょっと難しい感じですな。
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こちらは北内郭の主祭殿と呼ばれている建物です。3階まで登ることができます。
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こちらは北墳丘墓の内部です。外観が復元され、内部は展示資料館のようになっています。15時を過ぎて園内に人が少なくなってくると、弥生時代を想像しやすくなってくるというか、静かな吉野ヶ里遺跡をブラブラと楽しみます。
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さて、今晩のお宿の「吉野ヶ里温泉ホテル」に到着です。本来ならば鹿児島の加世田まで一気に行く予定の今回の旅行でしたが、高速料金が夜間割引を利用しても2万円ちかくかかりますので、一般道で行くことにして出発を1日ほど早めました。自分の体力を考えると車中泊は1日がせいぜいだし、クーポンとポイントで泊まれるならばベッドの上で眠りたいと思って急遽予約したホテルでしたが、温泉施設付きというのが意外と良くて満足の滞在になりました。
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吉野ヶ里温泉ホテルと同じ敷地内に「卑弥呼の湯」という温泉施設があり通常は入浴料が800円ですが、吉野ヶ里温泉ホテルのチェックインの際に無料の利用券が渡されます。利用時間は22時まで(受付は21時30分)、施設はそこそこ古いようですが、ホテルから浴衣を着て行くことができますし、脱衣所も浴場も広くて、ゆったり滞在出来て良かったですな。食事もとることができます。
- 3日目2023年10月24日(火)
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今朝は6時20分に宿を出発し、鹿児島中央駅前を12時30分に通過、指宿に到着したのは13時45分でした。
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さて、かねてより興味津々の「指宿の砂風呂」を体験です。こちらは日帰りで砂風呂を体験できる砂むし会館・砂楽(さらく)です。砂風呂のシステムがわからないので緊張しましたが、まず2階の受付に向かいます。対人の受付の前に受付機で人数と来訪地域(私は関東)を入力し発券し、混雑している時は印字されている番号が呼ばれるのでしょうが、私が受付した時は混雑していなくて、そのまま券を持って対人の受付へ向かいます。ここで、「浴衣と浴衣の帯」「タオル(砂風呂中に頭に砂がかからないようにする)」「バスタオル(砂風呂後の温泉を出たときに使う)」「インナー(浴衣の下に着る)」のうち、どれを借りてどれを借りないか(頭に置くタオルは買うか買わないか)で金額が変わってくるというシステムです。私は1日目は手ぶらで行きましたので「浴衣と帯」「砂楽記念タオル」「バスタオル」を借りて(記念タオルは買い取り)、1,500円を支払い、これで砂風呂と砂風呂後の温泉に入ることができます。(ちなみにこの施設は翌日も利用して、その際は「浴衣」のみのレンタルとし、1,100円の利用料でした)
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こちらの画像は、上から「砂楽記念タオル」・「浴衣と帯」・バスタオルの順です。2階の受付でお金を払って画像の品を受け取り、1階の脱衣所に行って、ロッカー(ロッカーは無料)に服と靴を入れて、真っ裸に浴衣(インナーを借りた人はインナーの上に浴衣)という格好になって、頭に敷くタオルを忘れずに持って外の砂場へと向かいます。(外へ出る時は置いてある下履きをはく)
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外の砂場とはこんな感じ、画像左手奥から来て、ここの階段を降りて、右奥の屋根のある砂風呂へ行きます。すると係りの人が場所を指定してくれますので、そこに横になり、頭に敷くタオルは係りの人がうまいこと置いてくれます、ポジションが決まるとバアッと砂がかけられて、これが結構重くて、ジワジワと熱くなってきまして、近くに掛けてある時計を自分で見て、だいたい10分ぐらいで(熱くなったら10分待たずにと言われました)砂をどけて、これは自分で砂をどけて、砂場を出ていくという流れです。砂風呂に入る時はオートマチック、出る時はセルフといった印象です。砂場を出ると砂にまみれた浴衣と、頭の位置においてあったタオルを持って建物内に戻り、今度は温泉にはいるのですが、その前に、砂まみれの浴衣と帯(砂場で砂を払っても湿っている砂なのでなかなか払い落せません)を返却箱に返し、かけ湯とシャワーで砂を落としてから、温泉の浴場に入ります。かけ湯で入るか、身体を洗って入るかは自由ですが、ここで温泉に浸かってまた身体を温めると。この温泉も独特の香りがあるいい温泉ですね。あとは身体を頭のところに置いていたタオルで拭いて脱衣所に移り、バスタオルはここで使うか使わないかです、服を着て終わりと、そういう流れでございますな。とにかく砂が重くて、埋もれている腕に力を入れると入れた力の分だけはじき返されるような感覚が気持ち良かったです。
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初めての砂湯にすっきりとして、加世田の宿へ向かう途中に長崎鼻へ立ち寄ります。開聞岳とキラキラ光る海がきれいですな。
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長崎鼻の「薩摩長崎鼻灯台」です。1957年(昭和32年)に完成した灯台です。宿へ向かいます。
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今晩と明日の宿は南さつま市・加世田のビジネスホテル日新館です。私は2004年にも九州を一人で旅行したことがあるのですが、その時もこの日新館に泊まりまして、2004年の時は車中泊と素泊まりの組み合わせで格安旅行をした都合上、この日新館でも素泊まりでしたので、美味しいと評判の食事を食べられなかった思い出があります。そんなわけで今回は食事付きのプランで連泊しました。明日は知覧へ行きます。
- 4日目2023年10月25日(水)
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さて、今日は知覧の特攻平和会館へ向かいます。2004年・19年前に訪れて以来の訪問です。8時に宿を出て、まずは滑走路跡地へ向かいます。
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8時26分、陸軍知覧飛行場の「戦闘指揮所跡」に到着です。現代でも訓練生が教官に報告する滑走路横の待機所を「ピスト」と呼んで、最終的な出航の指示が出る場所と認識し、私も使っていた言葉ですが、このピストという言葉は戦前・戦中も使われていた言葉のようで、ここは「(戦闘)ピスト」と呼ばれていたようです。ピストはどうやら英語ではなさそうなので何語か、調べてみましたら、フランス語の「ゲレンデや滑走路」をあらわす「ピスト(ドイツ語ではピステ)」という言葉があって、これが由来かもしれませんね。私が2004年に知覧を訪れた時は「滑走路はどこにあったのだろうか」という下調べがネットでは特定できずに、「今は茶畑となっている」という情報のみしか得られなかったのですが、ここ戦闘指揮所付近の滑走路との位置関係が一目でわかる地図がこれから行く特攻平和会館の外の展示に有りました。
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それがこの地図で、私が今いるのは地図上の2番の戦闘指揮所跡です。ここに指揮官がいて、空中勤務者はこの場所で特別攻撃の出撃報告を行い、別れの盃を交わして、機上の人になったと、そういう場所なんですね。ちなみにこの地図は南が上になっていますので、実際の地図と照合するには180度転回させるとわかりやすいと思います。この地図をみてわかるように、特攻平和会館も知覧飛行場の一部ですね。
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ああ、遠くに見える山の景色は今も同じなのだろうかと、ピスト前から主滑走路に直角の方向(北東)を見る。
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風が南東から吹いている時はこの画像の左から右へ、風が北西から吹いている時はこの画像の右から左へ、飛行機が飛び立っていったんだろうなと思い、その光景を想像してみました。
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平和会館の駐車場に車を停めて、外の展示を見ます。隼はレプリカですが、T-3練習機は実機が展示されていました。
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平成17年まで、つまり2005年まで自衛隊防府北基地で使用されていた機体とあります。
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こちらは三角兵舎のレプリカです。隣の観音堂でお参りをして、そろそろ9時の開館時間です。
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9時に開館して音声ガイドを借りて展示を見ます。今日は、すべての遺書を読むつもりでやって参ったのですが、やはり遺書のすべてなど、私には無理でございました。平面展示の遺書は読んで、書き手の写真を探し、その中でガイドの説明のある人の説明を聞きながら、すべては読んだのですが、立体展示の引き出しまではとても及びません。以前来た時と展示品が少し入れ替わっているような気もしたのですが、達筆な文字も明快な文章も、とても20歳前後の若者のそれとは思えない立派な遺書で、教養も素養もある、よく訓練された若者達が、いかにも惜しいと、私が文字に出来るのはその程度のものでございます。「借金、女関係、心配なし」という実にサッパリとしたものから、「やりますよ、お母さん」で始まる遺書、これはどんな気持ちでその書き出しにしたのか、これを読んだ母親はどんな気持ちでその書き出しを受け入れたのか、などなど、これから飛行機に乗って突っ込もうという青年がその弟に「やっぱり飛行機はいいぞ、面白いぞ」と書いた気持ち。「二人で力を合わせて努めてきたが、終に実を結ばずに終わった」という書き出しの、恋人に対する手紙など、書き手と受け取り手の気持ちを考えながら読むのは時間を忘れるほどつらい作業でした。
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時刻は14時、平和会館を出て、滑走路跡地へやってきました。私が知覧を前回訪れた時は、「私が彼ら(特攻兵)に対して出来ることは何もない、せめて自分の母親を大切にしよう」(父は既に亡くなっていました)と思ったのですが、そのあと、私は母親を大切にできたのかどうか。どうなのであろうか。大切にできた部分もあるし、もっともっと大切にできたはずなのにと、己の至らなさを悔やむ心持ちにもなります。
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今は茶畑が広がっている知覧飛行場跡地でした。この後、どうしようかと、宿に戻るにはまだ早いし、候補は3つ、道の駅・喜入へ行って温水プールで泳ぐか、加世田にある万世特攻平和祈念館へ行くか、指宿の砂楽へ行って砂風呂へ入るか。体力と気力の疲労が大きかったので、砂風呂へ行くことにしました。万世特攻平和祈念館へ行っておくべきだったかなと、今も迷うのですが、この知覧特攻平和会館を出た時点ではかなり疲労していたのもまた本当のところです。
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指宿の砂楽にて、本日は昨日購入した砂楽記念タオルがありますし、バスタオルはいいかなと(銭湯や温泉施設にタオル一枚で行く事に慣れている方にはバスタオルは必要ないかもしれません)いうことで、浴衣だけ借りる1,100円のコースを選択、後の流れは昨日と同じなので今日は砂風呂により集中しました。砂に埋まっていたのは15分ほどでしょうか、砂の重さとぬくもりが、何かとても安心できる、そんなひと時でありました。
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宿にもどって温かな夕食であります。全部美味しかったが、魚の煮つけとシイタケが特に美味しかったですな。ごちそうさまでした。
- 5日目2023年10月26日(木)
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日新館を7時35分に出発し、今日は鹿屋航空基地資料館へ向かいます。鹿児島市内が渋滞しておりまして、鹿屋到着は10時57分、予定よりも30分ほど遅れてしまいましたな。
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まずは屋外展示の二式大艇を見に行きます。案内板には「この二式大艇は、世界中で唯一残されている実機です」とあります。「二式大艇は、昭和15年(1940)初飛行、当時世界一高性能を誇った大型飛行艇です。昭和17年(1942)正式採用され、偵察・哨戒・輸送など長大な航続距離を活かした任務で活躍し、終戦までに合計167機が製造されました。昭和20年(1945)3月11日、鹿屋基地から約3000km南のウルシー泊地奪還のための米軍艦艇への特攻作戦で「梓特別攻撃隊」として爆撃機「銀河」24機が鹿屋基地から初の特攻出撃をしました。この作戦の誘導、天候偵察任務に二式大艇3機が鹿児島の鴨池基地から出撃しました」とあります。
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二式大艇、すなわち二式大型飛行艇の案内板です。「戦後、昭和20年9月、米軍から『詫間基地に残されている二式大艇1機を横須賀に空輸し、米海軍に引き渡せ』という命令が発せられました。米海軍はその二式大艇を本国に空母で移送し、各種調査を行い、その高性能に驚嘆したそうです。その後、昭和54年(1979)に日本に里帰りをして東京の『船の科学館』で保存展示されていましたが、平成16年(2004)海上自衛隊に寄贈され、現在鹿屋基地で展示公開されています。この機の垂直尾翼には、『菊水』マーク及び中央に『T-31』(T:TAKUMAの頭文字)が表示されています。この機は、第5航空艦隊(司令部:鹿屋)れい下部隊の詫間海軍航空隊所属(香川県三豊市詫間町)の31号機であります」ということで、詫間基地は香川県にあった基地で、今年の1月30日にその跡地を私は訪れました。今はスリップと呼ばれる構造物を残すのみの基地跡地になっていましたが、この機体はあの基地に在った機体なのかと感慨を新たにします。
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いつも思うのは、爆撃機・哨戒機・偵察機、そして二式大艇の「機首のガラス張りの席」は、それぞれとても重要な任務を帯びた席なのですが、もしそうでなければ、つまり重要な任務を帯びた飛行でさえなければ、もっと正確に言えば軍用機でなければ、この席ほどの特等席はないだろうにと思います。
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さぞかし眺めがいいだろうな。とはいえ、このような機体下部がガラス張りの機体というのは軍用機以外では私は見たことがありません。安全性を二の次に考えるような機体製造上の思想が旅客機にはないのでしょうね。
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こちらは尾部銃座です。二式大艇の高性能の一つに、強力な防御火器と、防弾装甲が挙げられていますね。松本零士の戦場漫画シリーズでも読んだことがあるなぁ。あれは面白かった。
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二式大艇として現存唯一ということですが、日本軍の大型機としても、これだけ完全な機体を保っている飛行機を私はほかに知りません。
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エンジン部分がこれだけ完全に残っている日本軍機はそうないでしょう。とはいえ、屋外展示が続けば、機体は劣化していくことでしょうから、できるだけ早くに屋内展示にならないものかと思いました。
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こちらは戦艦比叡の主錨という案内書きがあります。比叡はソロモン海で沈んだ戦艦ですので、錨が残っているのはどういうことなんだろうと思いまして、帰ってきてから少し調べたのですが、その点、いろいろ疑問を持っている人も多くいらっしゃるようで、あれは比叡の主錨というのは偽物だという意見、改装時に取り外された副錨だという意見などなど、鹿屋航空基地もそのあたり敢えてハッキリとさせていないのか、よくわからない点ですな。そしてなんと、千葉の海上自衛隊下総基地にも比叡の主錨と説明書きのある錨が展示されているらしいですね。そしてその錨のタイプが鹿屋航空基地に展示されている錨と同様に、日本軍が使用していた錨と違うという考察をしている方もいらっしゃいます。いずれにしても戦艦比叡はソロモン海の夜戦で壮絶な最期をとげていて、2019年1月に沈没している船体が発見されたそうです。そろそろ資料館へいくことにします。
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鹿屋航空基地資料館の展示は大きく分けて3つです。2階に、旧海軍の資料、特攻兵の遺書など、そして1階は海上自衛隊の資料館となっています。旧海軍の資料をたどっていけば、その延長上に特別攻撃というものが存在したことが、なんとなく理解できました。つまり当時の日本は明治以来に限っても、日本という国の為に命を亡くした人々が当たり前に居て、その歴史・戦史を教育されていた人々もまた、忠節を尽くし国から受けた恩に報いるという考え方を当たり前に受け入れる土壌があったのですね。資料館は訪問客が少なく、昨日の知覧特攻平和会館とはまた別の雰囲気の中で海軍の特攻兵の遺書を読みました。「スグコイ フジヤリョカン」という電報を家族に送った特攻兵は、その電報を受け取ってすぐにやってきた家族に結局会うことが出来なかった、という展示があり、私は図らずも涙をこぼしました。資料館を出て、都井岬へ行きましょう。
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19年振りの都井岬です。駐車場から見る灯台の景色をなんとなく覚えていました。ここは登れる灯台の一つです。
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300円を支払い、都井岬灯台にに登る。登るといってもあまり高くないので、それほど怖くはありません。ああ、海が、きれいだなぁ。
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風もなく穏やかな都井岬ですね。とにかく今回の旅行は天気が良い日が多かったです。
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志布志湾の向こうに見えるのは大隅半島ですな。志布志といえば、2004年に九州を訪れた際に志布志の道の駅にて車中泊をしたのですが、到着が18時ぐらい、その時には道の駅に多くの車が停まっていてこれは寂しくなくていいと、食事をして車の中で寝たのです。そして夜中に、コンコンと車を叩く音で起こされます。当時の私はスターレットという2ドアの車の後ろの席で寝ておりましたので、2ドアの後ろの席というのは、運転席なり助手席なりを前へ目一杯倒して前方のドアから降りるという、とてもせまっ苦しい乗り物なのですな。だからすぐにドアを開けずに吸盤で付けたカーテンを開けてみたところ、なんと警官がパトカーで横付けですね。職質です。うーんと寝ぼけ眼でせまっ苦しく車から降りてさらに仰天したのは、広い駐車場に停まっていた多くの車が今や1台もなく、私の車1台だけがポツンと、そしてその横にパトカーという具合ですね。優しいおじいちゃんみたいな警官のペアで、「ここに停めたらいけなかったですか」と驚いて尋ねたら「いやいやいや、いいんですよー、ただ神奈川のナンバーだからねー」という具合でしばらく雑談をして「気を付けてねー」と帰って行かれました。そんなことを思い出しましたな。職質を受けたのは学生時代に交通量調査のバイトをしていた時と、志布志湾のその時だけですが、ちょっとやっぱりドッキリしますね。
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ここにもメカメカしい大きな目玉がありますな。海を照らして航海の安全を保っています。
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灯台の中の階段はこんな具合ですので足もとにお気を付けください。
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さて、そろそろろ本日の宿へいきますかね。
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都井岬の野生馬
串間市
都井岬の野生馬に出会います。5頭いて、この親子は一番近くに寄ってきました。
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都井岬の野生馬
串間市
周りの見物客にはわき目もふらず、草を食んでいますな。時々、軽くいななきます。
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都井岬の野生馬
串間市
見物客の皆さんもなかなか去りがたい様子です。台風の時とか、どうしているのでしょうな。何か身を隠す場所があるのでしょうか。馬の親子に別れを告げて今夜の宿へ向かいます。
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おお、素晴らしい眺めではないか。今夜は志布志湾沿いに建つ「大黒リゾートホテル」に泊まります。建物に入ってすぐのお土産売り場など、何か昭和の雰囲気を感じるレイアウトなんですけど、建物の中は古いという印象が全くないきれいな内装ときれいな室内で、バルコニーも現役です。なによりも眺望がいい。
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こんな感じのバルコニー、いい眺めです。まだ陽が沈むには時間がありますから、お風呂へ行ってみましょう。お風呂は受付があってそこでタオルを渡されますので、部屋からは何も持って行かなくていいというシステムです。内風呂と露天があり、どちらも良い景色だが、ヤシの樹が目前に見える露天はなかなか解放感ありですな。
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夕食は18時からですが、日没も早くなってきたため、夕食の前に夕陽が沈むのを拝めそうですな。
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夕陽が見える椅子に座り、本日訪ねた鹿屋航空基地資料館や都井岬の感想のまとめなどをノートに書いておりますと、いよいよ、陽が沈む、そんな時がやってまいりました。
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おお、地球の自転の速さを体感するまたしてもない機会ですな。陽が沈んでゆく。大きく輝いていた太陽は、地平線に沈むにつれ小さく絞られていき、そして沈んでいきました。
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さてお夕飯です。1階のレストランでいただくわけですが、食事も美味しく、接客もとても感じ良くて、昨日今日と知覧・鹿屋で悲しい思いをしたことも徐々に身体に染み込んでいくような感じで、穏やかな気分で過ごすことができました。
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食事の後は、何度かお風呂へ行き、気分の良い部屋でゆっくりとしました。明日からは宮崎、熊本・長崎への旅が続きます。
- 6日目2023年10月27日(金)
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旅行記・『【九州その2】日南海岸から宮崎市内、通潤橋・熊本城・水前寺公園・阿蘇山・杖立温泉【2023年10月】』へ続きます。
- 7日目2023年10月28日(土)
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旅行記・『【九州その2】日南海岸から宮崎市内、通潤橋・熊本城・水前寺公園・阿蘇山・杖立温泉【2023年10月】』へ続きます。
- 8日目2023年10月29日(日)
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旅行記・『【九州その2】日南海岸から宮崎市内、通潤橋・熊本城・水前寺公園・阿蘇山・杖立温泉【2023年10月】』へ続きます。
- 9日目2023年10月30日(月)
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旅行記・ 『【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】』 へ続きます。
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旅行記・ 『【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】』 へ続きます。
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旅行記・ 『【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】』 へ続きます。
- 10日目2023年10月31日(火)
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旅行記・ 『【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】』 へ続きます。
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旅行記・ 『【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】』 へ続きます。
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旅行記・ 『【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】』 へ続きます。
- 11日目2023年11月1日(水)
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旅行記・ 『【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】』 へ続きます。
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旅行記・ 『【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】』 へ続きます。
- 12日目2023年11月2日(木)
- 13日目2023年11月3日(金)
【九州その1】錦帯橋・吉野ヶ里遺跡・指宿温泉・知覧特攻平和会館・鹿屋航空基地資料館【2023年10月】
1日目の旅ルート
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まず1日目は浜松でスズキ歴史館と浜松市博物館を見学してから遠州灘・中田島砂丘を訪れ、2日目はかねて...
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【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】
2023/10/22(日) 〜 2023/11/3(金)- 一人
- 1人
九州旅行その3では、杖立温泉から長崎市内へ走り、平和公園・原爆資料館・諏訪神社・長崎公園・大浦天...
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