1. 宿・ホテル予約TOP >  みんなの旅行記 >  【18きっぷ】鳥取・新見・広島・岡山・相生、境港のカニと日生のカキを堪能する旅【2024年3月】

さとけんさんの京都府〜広島県の旅行記

【18きっぷ】鳥取・新見・広島・岡山・相生、境港のカニと日生のカキを堪能する旅【2024年3月】

  • 一人
  • 1人
  • 温泉
  • 芸術・文化
  • 史跡・歴史
  • 自然
  • グルメ
  • ショッピング
  • 乗り物
  • 格安旅行

18きっぷを利用して、1日目は神奈川県から鳥取まで移動し、2日目は松江城を見学して境港のカニを堪能し新見に泊まり、3日目は新見から備後落合・三次・広島と乗り継いで呉の大和ミュージアムを見学、そのあとに広島の平和記念公園を訪れ広島に泊まり、4日目は宮島の厳島神社を参拝、そのあと岡山に移動して岡山城と岡山後楽園を散策して岡山に泊まり、5日目(この日は18きっぷは使いません)は日生のカキオコを堪能して姫路城を訪れ相生に泊まり、6日は相生から神奈川まで帰ります。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2024年3月4日(月)

京都駅

京都市下京区

「京都駅」を   >

さて、本日は神奈川から鳥取まで一気に移動します。神奈川県を早朝に出発して、JR東海道線の小田原発6時22分に乗り換え、熱海、浜松、豊橋、大垣、米原とそれぞれ始発列車を乗り継ぎ、米原から琵琶湖線で京都へ、京都からは嵯峨野線で園部、園部からは山陰本線で豊岡、浜坂と乗り換えながら鳥取着の予定は19時55分です。茅ケ崎で6分、豊橋で9分、大垣で15分、米原で19分の遅れが生じましたが、それぞれ接続列車が待っていてくれて、京都には予定通り13時37分ごろに到着しました。京都での乗り継ぎは29分の余裕がありますので、連絡通路の駅弁屋で鳥取の駅弁を買います。というのも鳥取駅の駅弁売り場が18時で閉店なので、商品の豊富な京都駅であらかじめ買っておくことにしました。写真は京都駅嵯峨野線の32番線ホーム。この後、園部の乗り継ぎ2分、豊岡の乗り継ぎ2分を無事にクリアして城崎温泉、香住と過ぎると、乗客はわずかになりました。

餘部駅

山陰本線の佐津・柴山・香住・鎧あたりまでは、まだ車窓に外の景色が見えたのですが、餘部駅を過ぎたころには日はとっぷりと暮れて、夜の列車の良い雰囲気に包まれております。お客さんもほとんどいないので、車内は静かで、列車の走行音だけがゴトゴトとしておりますな。こういう列車旅の旅情はいいものです。今日は豊岡駅の乗り換えで傘を忘れてしまいました。この日は晴天なのに私一人が傘を持って移動していたのは、明日からの天気予報が雨だからなのですが、仕方がない、鳥取で傘を買っておこうかな。

鳥取駅

画像は20時ジャスト、鳥取駅の改札です。有人改札とは懐かしい。

鳥取駅

鳥取駅近くの100円ショップで折り畳み傘を購入しホテルへ向かいます。20時を過ぎた鳥取駅付近は閑散として、地方駅の風情が実に良い。

ホテルモナーク鳥取

「ホテルモナーク鳥取」を   >

本日のお宿は鳥取駅から徒歩10分のホテルモナーク鳥取です。接客の印象がとても良かったです。今日は列車に乗りづめで身体も冷えましたので、御飯の前に、まず1階の大浴場の温泉へ温まりに行きました。ヌルッとしたいいお湯でした。

ホテルモナーク鳥取

「ホテルモナーク鳥取」を   >

さて、本日の御飯でございますな。去年は鳥取で買って敦賀で食べた「かにめし」ですな。今年は京都で買って鳥取で食べると。お気に入りの駅弁を食べ、明日の行程などをおさらいして、明日は朝が早いので23時半に就寝です。

2日目2024年3月5日(火)

鳥取駅

本日は4時に起床、4時50分にホテルをチェックアウト、鳥取5時16分発米子行きに乗車します。この時間、鳥取の改札は無人ですので、18きっぷのハンコは松江あたりで押してもらうことにします。

鳥取駅

時刻は5時5分、米子行きの列車が入線。今朝は本降りの予報ですが、この時間の鳥取は、まだ小雨。今日の予定は、鳥取5時16分発・米子7時43分着、米子7時45分発・松江8時27分着、松江で松江城を見学し、松江10時41分発・米子11時14分着、米子11時37分発高松町12時12分着、境港さかなセンターでカニを食べて、高松町14時47分発・米子15時21分着、米子16時7分発・新見18時1分着で、新見に泊まります。

松江城

松江市

「松江城」を   >

松江駅に8時27分に到着、雨と風の松江の街を歩いて8時53分に松江城にやってきました。このお城は、私は30年振りの訪問です。30年前の石垣とお濠は、うっすらと覚えているのですが、お城を覚えていませんな。中へは入らなかったのかしらん。それでは国宝・松江城を見学しましょう。

松江城

松江市

「松江城」を   >

おお、カッコいいですねー。どっしりとしている。下層がしっかりとした造りに見えますな。松江城は2015年7月に国宝に指定されました。国宝に指定された要因の一つに、2012年に「慶長16年」と記された祈祷札が発見されて、天守の完成時期が明確になったからとのこと。慶長16年は西暦で言うと1611年ですから、413年間、この地を見守ってきたお城・この地を見守ってきた天守閣ですな。

松江城

松江市

「松江城」を   >

傘を傘袋に入れ、靴を脱いで入城です。おお、急な階段ですな。去年の12月に訪問した犬山城、今年の1月に訪問した松本城も同じような急階段がありました。(この旅で訪れる姫路城にも同じような急階段がありました)階段の板の減り具合に、年季を感じます。

松江城

松江市

「松江城」を   >

天守閣の最上階はあまり広くはないが、とても明るいです。年季の入った梁や柱などをよく見ることができます。江戸時代はどんな人がここを訪れていたのかな、どんな景色がひろがっていたのかななどと、しばし楽しみます。

松江城

松江市

「松江城」を   >

30年前の訪問時はこの石垣の上に紅葉のきれいな樹が植わっていて、そこで写真を撮った覚えがあります。拾った紅葉を何かに挟んで持ち帰ったが、あれはどこへ行ったのでしょうかね。変わらぬ物と変わっていくものとがあります。この石垣の前で、世の中の常ならずを感じました。雨の松江城をしばらく散策して、松江駅へ戻ります。

JR松江駅

松江市

「JR松江駅」を   >

松江城と松江駅は道を迷わずに歩いて、だいたい25分前後ですね。松江10時41分発米子行きに乗車します。

米子駅

米子駅に11時14分着、境線のホームには、11時37分発の境港行きが既に停車していました。おお、これは「ねずみ男列車」ですな。思っていたよりも乗車率が高いですね。本日は当初、境港駅で降りて徒歩20分の「水産物直売センター」へ行ってカニを食べようと計画していたのですが、水産物直売センターの定休日が火曜日ということで私の計画と合わず、境港駅よりやや南に「境港さかなセンター」があり、こちらの定休日は水曜日のため、高松町駅で降りて、歩いて境港さかなセンターへ行く事にしました。

高松町駅

高松町駅着は12時12分。去り行くねずみ男列車を見送る。さて、計画では14時47分高松町発の列車に乗ります。高松町駅から境港さかなセンターまでは私の足で徒歩20分強といったところですので、さかなセンターを14時10分ごろに出発すれば乗り遅れないだろうと、そうすると、さかなセンターでの滞在時間は1時間30分から40分くらい、カニを食べるには充分ですな。高松町駅で降りたのは私を含めて3人、ホームを降りて右手(西)へ行かれる方が2人でしたので、高松町駅から境港さかなセンター(高松町駅ホーム降りて左・つまり東)へ行くのは私だけのようです。計画をたてている段階では、私と同じようなプランの方がいくらかいるのではないかと思っていたのですが、雨と風の境港市高松町を一人テクテクと歩いていきます。雨が降っていなかったら、気分の良い歩きになったのになぁと、雨に対する恨み節が出ます。

境港さかなセンター

境港市

「境港さかなセンター」を   >

服が湿っぽくなってくるのも気にならなくなってきたころ、時刻は12時33分、境港さかなセンターに到着です。私の旅には必ずと言っていいほど「苦行区間」というものが存在しますし、むしろ今ではその苦行が無ければ旅として満足できないという感じに私は成っているのですが、今回の旅の苦行区間はまさにこの、「高松町駅から境港さかなセンターまでを雨と風にさらされながら歩く」行程でしたね。しかし苦行の後にはご褒美が待っているのも、また、世の中の常です。

境港さかなセンター

境港市

「境港さかなセンター」を   >

おお、これは良い。すぐにでもカニにありつけそうです。画像左手中央に見える赤いライン、あの紅ズワイガニに狙いをつけてカニを注文です。2杯で2,500円、3,500円、4,500円とグレードがあり、あとは松葉ガニが16,800円(確かこのくらい)という感じで、私は2杯3,500円を選択し、お店の方が食べやすくハサミを入れてくださるのを食卓の前で待ちます。

境港さかなセンター

境港市

「境港さかなセンター」を   >

イヤッホー。やったぁー。12時49分にカニ登場です。雨の中を歩いてきただけのことはありますな。あとはもくもくと、まさにカニを貪り食うといった感じで、できるだけミを残さずにカニを味わうのだ。

境港さかなセンター

境港市

「境港さかなセンター」を   >

ジューシーなミを取り出しては食べ、取り出しては食べ、そして細かいミはミソに和えて食べる。食べ終わるまでにちょうど1時間でしたね。きれいに食べることが出来ました。満足満足。ごちそうさまでした。時刻は13時50分。気が付いたらあと20分の滞在時間しか残っていないと。少し小走りに、境港さかなセンターの隣にある「夢みなとタワー」へ向かいます。

夢みなとタワー

境港市

「夢みなとタワー」を   >

1997年に建てられたタワーとのことで、すでに27年も経過しているのですが、まだまだ新しい印象を受けます。入場料は300円で、展望室と3階の展示室をみることができます。

夢みなとタワー

境港市

「夢みなとタワー」を   >

今日は雨も降って風も強いので海に白波がたくさん立っていますが、雲が空に張り付いている感じなので、海面あたりは水平線まで見通しがききます。いい景色ですな。訪問客も少なくて、というか途中から貸切り状態となって、気分よく過ごしました。タワーを14時10分過ぎに離れ、歩いて駅に向かい、高松町駅に到着は14時35分、12分ほど待つと列車がやってきましたので、米子へ向かいます。

米子駅

米子着15時21分、次に乗る列車が16時7分発新見行きで、乗り換え時間が40分くらいありますので、改札を出て駅弁を買います。米子駅はもともと、鯖寿司が有名な駅弁でしたな。鯖寿司が入っている駅弁を買って、今夜のホテルで食べるとしますか。

米子駅

時刻は15時56分、伯備線の新見行きが入線です。この列車は、米子からの乗車率が高かったのですが、少しずつ乗客が減っていきました。米子を出発したころはまだ明るかった車窓も、山間に入って段々と暗くなっていき、薄暗い山の至る所に雲と言いましょうか霧といいましょうか、霞がかかって良い雰囲気です。今日は雨の中をよく歩いたなと、満足の内に列車は終点の新見に到着です。

新見駅

18時1分、新見駅に到着。雨は小降りになっております。駅舎の雰囲気がよろしいですな。やや低めの天井から照らす黄色味がかかった灯りなど、何か、時代を間違えて降り立ったような心持ちです。

高梁川橋

橋の上から小雨がふる高梁川をみていますと、灯ともし頃の静けさといいますか、山あいの雲の入り方、川の流れる景色、道の水たまりに街灯が反射して、そこに雨がポツリポツリと落ちる様子など、昔を訪れているような旅情を感じます。旅をしていると時折、こういう感覚に入り込む、それは予期せぬ形で突然と現れて、いつの間にか消えてしまうのですな。4次元的な旅の面白さでしょうか。

新見ビジネスシティーホテル

新見から徒歩7分の場所にある新見ビジネスシティーホテルです。この建物の3階がフロントになっています。新見駅は鉄道交通の視点かみると、ここを起点終点として様々な路線の列車が運行されている重要な場所と思われますので、鉄道旅をするうえで、その重要な新見駅から徒歩7分にある宿というこの宿は、とても魅力的に思えます。

新見ビジネスシティーホテル

部屋に入ってホッとします。外観やフロント階、そしてエレベーターなどから勘案して、この建物は相当な年季が入っていると思われますが、部屋はきれいにリフォームされて、明るいのもいいですね。まずは雨で湿った服と折りたたみ傘を乾かす算段を整えます。本日は18,492歩。歩数以上に疲労したのは雨に濡れたからでありましょう。

新見ビジネスシティーホテル

そして本日の食事です。米子駅で購入した「吾左衛門弁当」ですな。昆布で巻いたサバ寿司が2切れ入っていて、酢が効いていて旨い。画像左上のカニ寿司も酢飯、小分けのおかずもお酢が基調と、酢の美味さにホッとした夕飯でした。このあと、ユニットバスで温まり今日のまとめと明日の行程のおさらいをして就寝です。

3日目2024年3月6日(水)

新見駅

さて、本日は4時に起床、5時にホテルをチェックアウトをして新見5時17分発の備後落合行きに乗車します。時刻表は芸備線の時刻表です。さすがに昼間の本数は少ないようですな。

新見駅

時刻は5時9分、備後落合行きの1両列車が入線です。本日の行程は、新見5時17分発・備後落合6時34分着、備後落合6時44分発・三次8時6分着、三次8時9分発広島9時29分着、広島9時40分発呉10時29分着と乗り継ぎ、大和ミュージアムを見学、そこから広島に戻って広島平和記念公園を訪れ、本日の泊まりは広島です。

新見駅

新見から乗車した私を含めた3人の乗客が、備後落合まで乗って行き、途中の乗り降りはなかったようです。備後落合に到着するころ、ようやく空が明るくなって、車窓が見えてきました。

備後落合駅

備後落合駅で乗り継ぎです。右は新見へ戻る列車、左は三次へ向かう列車です。ここから先、三次までは中学生ぐらいの学生さんが徐々に乗車して、結構な乗車率になりました。三次から先は広島へお出かけされる方々が乗ってきまして、これもかなりの混雑具合です。広島から先の呉までは、混んではいませんでした。新見を出発して呉を目的地とした場合、新見4時55分発の伯備線に乗車し倉敷から山陽本線に乗り継ぐルートの方が、呉への到着が50分ほど早いのですが、乗り継ぐ列車の混み具合だとか始発列車に乗って座れるかなとかを勘案して三次周りルートにしました。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

時刻は10時39分、呉市海事歴史科学館(愛称・大和ミュージアム)に到着です。屋外展示の戦艦・陸奥の主錨に圧倒されます。戦艦陸奥は長門型戦艦の2番艦で、昭和18年6月に広島湾の柱島沖で謎の大爆発を起こして爆沈、戦後1970年以降に引き上げられた船体の一部が、全国各地に現存しています。大和ミュージアムには主錨の一つと主砲、スクリューと主舵が展示されています。私は小学校三年から四年くらいの頃でしょうか、宇宙戦艦ヤマトに触発されて、ヤマトヤマトと言っていたら、我が父親に「大和っていう戦艦は、昔の日本に本当にあった戦艦だよ」と教えてもらい驚愕し、そこからですね、日本には昔は連合艦隊があって戦争に負けて現在に至っているという時間軸を意識しだしたのは。本では「ゼロ戦と戦艦大和」とか「燃える真珠湾」とか「壮烈!水雷戦隊」などといった子供でも読める本を読み、ウォーターラインシリーズという700分の1スケールのプラモデルを手をベタベタにしながら作って、20隻ぐらいの連合艦隊を持っていましたね。連合艦隊を持っているっておかしな言い方ですが、当時の私はそういうつもりでした。戦艦・空母・重巡・軽巡・駆逐艦に潜水艦とそろえておりました。さて、それでは大和ミュージアムに入館してみましょう。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

まずは企画展の「日本海軍と航空母艦」を見学です。改装される前の空母・赤城の模型とか、船体内部の飛行機を格納した状態の模型とか、珍しい展示が興味深いですね。写真は撮ってきたのですが、この旅行記の画像は100枚が掲載限度のようなので、割愛させていただきます。私はプラモデルでの空母は、赤城と翔鶴を作って持っていたのですが、赤城はもともと戦艦を造るつもりで空母に変更になったというだけあって、本当にゴツイ船体をしています。厚みがあるんですよ。子供からすると強そうな艦なんですよね。反対に翔鶴は低い飛行甲板を持ったスマートな船体でしたね。このパネルは日本の空母の飛行甲板の比較ですが、赤城が向こうから2番目、翔鶴はこちらから3番目のひと際大きな艦でした。煙突にしても赤城は熱煙を海水で冷却し湾曲した煙突で下方に排煙する方法で良かったが加賀は艦尾まで煙突を誘導して排煙する方法を採用して失敗だったなどという話は、私は初めて知りましたのでなかなか良い展示でした。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

そしてこれが秀逸な装置でして、これは日本空母の「図面閲覧端末」です。赤城の艦橋の構造などを拡大しながら閲覧していくことが出来る装置で、しばらくこれにかぶりつきます。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

おお。企画室を出ると大和の10分の1のスケールのレプリカがバーンと登場です。大和といえばこの艦首ですね。この曲線がそれ以前の戦艦と大きく違う、長門などは傾斜の少ない直線の艦首です。そして艦橋のバランスですね。長門をはじめとする大和以前の軍艦は艦橋が前がかりですよ。船の進化の過程を考えていけば戦艦の艦橋が前がかりでつんのめった印象なのは、構造的には当たり前なのですが、大和が特徴的なのは、艦橋や煙突などの船上構造物が船体の後ろの方にあって、重心がどっしりとしているような、富士山の裾野の広がりを思わせる綺麗な曲線の印象があります。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

そしてこちらが艦首のバルバス・バウです。ローマの昔から、戦艦は船首を敵の船体に突っ込ませてぶっ壊すという戦い方もありましたから、戦艦の艦首が直線的なのは伝統だったのでしょうが、艦首を丸くすることで水の抵抗が減って速力がでるということで、日本の軍艦では翔鶴型空母から採用されたそうです。ほぼ同時に大和型戦艦にも採用されました。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

菊の御紋章と主砲・副砲と艦橋です。艦首や艦上構造物のバランスと共に、大和の特徴の一つが主砲です。三連装です。この三連装の主砲、しかも46センチというのが、小学三年生や四年生の子供からしてみると連装とか単装とかに比べて、圧倒的に見た目が強いわけです。アメリカの戦艦はだいたい三連装の主砲を持つのに、日本は長門をはじめとする戦艦、重巡、軽巡もすべて二連装の砲塔だと思っていましたから、大和・武蔵はアメリカの戦艦に対抗しうる、いやそれ以上の強さを持った戦艦に見えました。とろこが、日本の軍艦の本を読んでいくと、三連装の主砲を持った巡洋艦があるらしい。重巡洋艦・最上らしい。そこでプラモデルの最上を探したら、なぜか、プラモデルの最上の主砲は二連装で、しかも航空巡洋艦になっているわけです。小学生の私は混乱しました。種を明かせば、もともとは三連装の主砲(15.5センチ)を持つ軽巡として造られた最上は、後に口径20.3センチの二連装主砲に換装され重巡となり、さらに最終的には水上偵察機を11機搭載できる航空巡洋艦に改装されたそうです。その最上から外された三連装の砲塔は、この大和や武蔵の副砲として再利用されたそうです。大和のプラモデルの箱を開けたら副砲が4門入っているのにも、私は混乱しました。大和の兵装は、最初は副砲が4門だったということも知らなかったわけで、接着剤で手をベタベタにしながら、本当に困った。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

こちらは海底から引き揚げられた大和の1.5m測距儀です。私はこれを見て足がすくみました。私が本物の大和を目にするのは、これが初めてだと気が付いたからです。この測距儀は、現場にあって、そこから見えるすべてを目撃していたのかと。沈没した大和らしき物体が発見されたのは1982年ということですが、ちょうどプラモデルを作り終わったころでしたので、非常なる関心を持って、このニュースを聞いていたことを思い出します。その後何回か、海底に沈む大和の調査が行われ、この測距儀もその時に引き揚げられた物のようですね。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

ウォーターラインシリーズの700分の1のプラモデルでは、船底の赤い部分は無いプラモデルで、要するに喫水線以上の海面に浮かぶ戦艦の姿を見せたプラモデルでした。大和の兵装は、初めは副砲が4門、二番主砲塔と三番主砲塔の後ろに一基ずつと、右舷・左舷の艦橋下あたりに副砲が一基ずつ置かれていました。これが対航空用の高角砲や機銃を艦橋周りに増設するために取り外されました。私が大和のプラモデルを開けて副砲4門に戸惑ったのは、こういういきさつで、改装前の姿を作りたい人用に副砲が4門用意されていたのですな。大和のレプリカを見ながら、我が懐かしき思い出に和んでしまいます。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

そしてこちら、ゼロ戦の62型です。昭和20年8月6日の夕刻に琵琶湖にて不時着水し、32年後の昭和53年1月に引き揚げられた機体です。このほか四式射爆照準器などの展示があります。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

大和は私が一番初めに作った軍艦のプラモデルですが、あとあとで考えると、一番部品の数が多くて、他の軍艦よりも制作の難易度が高いプラモデルでした。空母は赤城・翔鶴に、戦艦は大和、長門、金剛、そして重巡は愛宕に青葉、航空重巡の最上、軽巡は神通、駆逐艦はもう覚えきれない、防空駆逐艦の秋月とか高速駆逐艦の島風とか、吹雪もあったな。雪風は探してもなくて、作れなかったなぁとか、潜水艦は伊号と呂号がセットになっていて200円とか一番安かったなぁとか、航空潜水艦のイ-400も作ったなとか、部品が付いているプラスチックの枠をロウソクなどの火で熱して柔らかくなったところを両側から引っ張ると、ピーッと延びて細い線になって、それをアンテナ線として使ったりしたななどと、思い出は尽きませんな。アハハ。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

大和ミュージアムから見る呉の港です。呉は度重なる空襲で、終戦時には多くの軍艦が破壊され悲劇的な姿を見せていました。動画サイトでも、その様子を当時の記録映像でみることができます。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

大和ミュージアムからみる「てつのくじら館」(海上自衛隊呉資料館)です。あちらへもいきたかったなぁ、と後ろ髪をひかれつつ、しかし、本日は私にとって初めての広島平和記念公園訪問を予定していますので、屋外の波止場公園に足を延ばしたあと、呉を離れることとします。

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

呉市

「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を   >

戦艦・陸奥の41センチ主砲。東京の船の科学館にもありましたな。あの主砲は、今は横須賀のヴェルニー公園に移設されたそうですね。13時33分呉発の列車に乗り、広島へ移動です。

爆心地(島病院)

広島市中区

「爆心地(島病院)」を   >

広島駅から歩いて40分、15時ジャストに爆心地へやってきました。現在は島内科医院がある場所に、爆心地の案内板があります。案内板には「テニアン島から飛来した米軍機B-29『エノラ・ゲイ号』によって人類史上最初に使用された原子爆弾は、この上空約600mで炸裂しました。爆心直下となったこの一帯は、約3,000度から4,000度の熱線と爆風や放射線を受け、ほとんどの人びとが瞬時にその生命を奪われました。時に1945(昭和20)年8月6日午前8時15分のことでした。」と説明文が載っています。画像前方の突き当りの建物の前を右へ折れると、すぐに元安川があって、そこに原爆ドームと橋を渡って平和記念公園があります。

原爆ドーム

広島市中区

「原爆ドーム」を   >

原爆ドームにやってきました。その時のままに、大切に保存されてきた場所です。私は今まで幾度となくテレビや本などで原爆ドームを見てきたけれど、今日は初めてここに立って、原爆の被害に遭われた方たちを想います。

元安川

広島市中区

「元安川」を   >

原爆ドームを見て、その前に流れる元安川とその岸辺の石段をみると、心がシンと鎮まって、1945年の8月6日に思いを馳せると、いたたまれない気持ちになります。

原爆ドーム

広島市中区

「原爆ドーム」を   >

その想いはとてもつらいけれども、私はこの想いを忘れないようにしようと思いました。

平和記念公園

広島市中区

「平和記念公園」を   >

原爆の子の像です。12歳で亡くなった、ささきさだこさんがモデルです。さだこさんが亡くなってから2年と半年後に完成しました。さだこさんがご存命でしたら、今年81歳になられたはずです。

平和記念公園

広島市中区

「平和記念公園」を   >

平和記念公園です。戦前には中島町という繁華な町があり、住宅も住民もほぼ一瞬で姿を消したという悲劇の場所です。私は今まで、中島町については書籍などで見聞きして知識はありましたが、実際の現地に立ってみて、その規模を改めて感じました。在りし日の町の姿を想像することも出来ない自分にもどかしさを感じました。

広島平和記念資料館

広島市中区

「広島平和記念資料館」を   >

原爆資料館の見学です。資料館の中は、様々な展示をゆっくりと読むにはあまりにも人が多くて、私が望むようには見学できず、私は半ば消化不良で見学が終わってしまうのかと思ったのですが、展示の最後の方に腰ほどの高さの据え置きの端末機械があって、これは20台以上ですかね、かなりの台数があり、殆どの機械が使用されずに空いています。実際の展示は駆け足の見学になってしまった分を、この端末に張り付いて様々な情報を閲覧することにより、自分の気持ちを補填することが出来ました。資料館の出口付近には、亡くなった中学生の、1945年8月までの日記がパネルになって展示しており、8月6日以降はその日記が途切れているという現実に、人間の命の営みが突然に断たれてしまう残酷さを思い、しばし呆然としました。気が付けば閉館時間の18時が迫っておりましたので、あわてて資料館を出ます。

ヴァリエホテル広島

「ヴァリエホテル広島」を   >

原爆ドームから徒歩15分ほどのヴァリエホテル広島に泊まります。今日は精神的にかなり疲労したのですが、フロントの接客が優しくて、部屋も明るくて、ホッとしました。今日のまとめと明日の予定の確認をして、早々に就寝です。

4日目2024年3月7日(木)

JR西日本宮島フェリー宮島駐在

廿日市市

「JR西日本宮島フェリー宮島駐在」を   >

本日は4時20分起床、5時20分チェックアウト、歩いて広島駅に到着、5時52分広島駅発の列車に乗って、宮島口到着は6時18分。駅から宮島口のフェリー乗り場まで、6時25分発のフェリー(一番早いフェリー)に乗るために少し小走りで急ぎます。小走りして良かったと思います。接続時間7分は、意外と短かくて、フェリーに乗船後、すぐに出航しました。18きっぷでもこのフェリーに乗ることができますが、宮島への入島税100円を券売機で買って、乗船の改札で渡す必要があります。フェリーの乗り心地はとても良かったですよ。まるで滑るように進んでいきました。

嚴島神社

廿日市市

「嚴島神社」を   >

朝一番のフェリーで宮島に降り立ち、厳島神社への参道を歩きます。さすがに参拝客が少ない。まだ寒いのか、鹿が目を薄く開けながら道端にうずくまっていました。

嚴島神社

廿日市市

「嚴島神社」を   >

厳島神社にお初に参拝でございます。静かでいいですね。チャポン・チャポンという波が寄せる穏やかな音と、朝に目覚めた鳥の鳴き声と、そして木の板を踏む己のポクポクという足音しかしませんな。

嚴島神社

廿日市市

「嚴島神社」を   >

本日は実に穏やかな海面です。干潮の時以外は海の上であるがゆえに、回廊の周りに外側から人が近づかない造りになっていて、広くて静かな空間を占有している満足感と、誰にも邪魔をされない安心感を覚えます。

嚴島神社

廿日市市

「嚴島神社」を   >

右手に本殿と正面に五重塔ですな。美しいです。主祭神は、市杵島姫命と田心姫命と湍津姫命(いちきしまひめのみこと・たごりひめのみこと・たぎつひめのみこと)の三女神です。宗像三女神(むなかたさんじょしん)と呼ばれるこの女神たちは航海や交通の安全をお願いする神様です。余談ですが、東海道を歩いたときに興津宿の近くで「女体の森」と名付けられた宗像神社いう神社があって、いったいどうゆうことなんだろうと調べたら、その女体とは宗像三女神のことだったということがありました。

嚴島神社

廿日市市

「嚴島神社」を   >

今でこそ観光客が大勢訪れる厳島神社ですが、平家の時代には、おそらく限られた人しか参拝できなかったのではないかなと勝手に想像する。そうすると、この広い回廊を誰にも邪魔されずに参拝できたわけで、参拝した権力者が覚えたであろう満足感は相当なものであったに違いない。

嚴島神社

廿日市市

「嚴島神社」を   >

今朝は少し曇り空ですが、時折、雲の切れ間から陽の光が差し込み、朱色の柱が鮮やかに色づきます。心穏やかな参拝ができました。8時からは宝物館を見学、大切なものはほとんどがレプリカであったようですが、そのレプリカも実に豪華で、金銀に装飾された紙に書かれた金文字のお経などは復元品といえども文化財として貴重との案内があり、さもありなんと私は思いました。

大聖院

廿日市市

「大聖院」を   >

さて、宝物館を出てから近くの緩やかな坂道を登っていきますと、大聖院が現れます。まだ早い時間だから、ほとんど観光客がいない様子で良いお参りが出来そうですな。仁王門をくぐり、参道を昇っていきます。

大聖院

廿日市市

「大聖院」を   >

こちら左手は御成門、右手の画像中央は観音堂です。観音様に合掌一礼です。

大聖院

廿日市市

「大聖院」を   >

そしてこちらは勅願堂です。大聖院の本堂でもある勅願堂には波切不動明王がいらっしゃいまして、合掌一礼でお参りをします。なお、大聖院はこの「本坊」と、弥山山頂付近に「弥山本堂」があるのですね。今回は本坊のみの参拝となりました。本坊の御本尊はこの画像のお堂の中にある波切不動明王で、弥山本堂の御本尊は虚空蔵菩薩とのこと。

大聖院

廿日市市

「大聖院」を   >

勅願堂からさらに登っていくと大師堂があります。大聖院は開祖を空海とする真言宗のお寺です。大師堂の前からの景色が奥行きがあって、とても気分の良い景色です。

大聖院

廿日市市

「大聖院」を   >

大師堂の階下には遍照窟と呼ばれる場所があって、お砂踏み道場とのこと。ここをぐるっと歩くと四国八十八ヶ所を巡ったのと同じご利益があるようですね。この天井の燈籠の様子を見て、高野山の奥の院を思い出しましたな。奥の院は撮影が禁止されているので手許に画像が無くて、まったくの想い出の風景ですが、かなり暗いお堂の中で灯篭がたくさん灯されていたのを思い出します。良き思い出です。大聖院をお暇して、フェリー乗り場へ向かいます。

豊国神社(千畳閣)

廿日市市

「豊国神社(千畳閣)」を   >

ここは千畳閣と呼ばれる建物です。フェリーの時間が迫っていたために、外観だけの見学でした。

嚴島神社

廿日市市

「嚴島神社」を   >

9時55分のフェリーに乗るために厳島神社の参道へ戻って参りますと、来るわ来るわ、大変な数の観光客が宮島を訪れていらっしゃいますな。いやいや、多少眠いのを我慢して早起きして早朝あさイチの参拝をした甲斐があったというものです。この時間になると、ちょっと心静かに神社を参拝するのはかなり難しい。乗ったフェリーが宮島口のフェリー乗り場に近づくと、これまた沢山の観光客がフェリーを待っておられるのをみて、また驚きます。早朝参拝がおススメですよ。

JR岡山駅

岡山市北区

「JR岡山駅」を   >

宮島口10時20分発の列車に乗って糸崎・福山で乗り継ぎながら岡山にやってきました。岡山着は14時10分、東口からまっすぐに東へ向かって歩きます。岡山城と後楽園が近くなると旭川の岸辺に出ます。よい雰囲気の岸辺です。

岡山城

岡山市北区

「岡山城」を   >

おお、岡山城です。烏城(うじょう)という別名があるように、黒くてどっしりとしていますね。岡山城は昭和20年6月29日の岡山大空襲で天守が焼けてしまいましたが、正確な実測図が残っていて、1966年(昭和41年)に再建されました。平成の改修を経て令和の大改修が2022年11月3日に完了したということで、外観も内部もとても綺麗な状態です。城の内部は博物館のような状態(熊本城や浜松城と同じような状態)で、天守の最上階に登るまでは城の中にいることがわからないくらいですねー。内部の展示は元城主の宇喜多や小早川や池田にちなんだ関ヶ原の内容が多くなっています。

岡山城

岡山市北区

「岡山城」を   >

天守最上階からの眺め。金地の鯱が一際目立ちます。

岡山城

岡山市北区

「岡山城」を   >

岡山城は石垣と天守の一階が五角形を成す城の形も特徴の一つです。岡山城を離れて旭川の橋を渡ると岡山後楽園に至ります。

岡山後楽園

岡山市北区

「岡山後楽園」を   >

岡山後楽園にやってきました。団体客とかち合いましたが、園内がとても広くて人の密度が薄まるため、全く気にならなかったという印象です。

岡山後楽園

岡山市北区

「岡山後楽園」を   >

空が広いなぁ。ゆったりとした気分になりますね。このお庭は1700年には完成していて、その後に藩主の好みで手を加えられつつ、江戸時代の姿を大きく変えることなく現代に伝えられてきたとのこと。この景色を、名も知らぬ昔の人びとも見たのだろうと、想像の世界を楽しみます。

岡山後楽園

岡山市北区

「岡山後楽園」を   >

遠くの山だけでなく、岡山城も借景になっていますね。とても広い。城までの距離、山までの距離も、庭園が延々と続いているような錯覚を覚え、広大な庭を占有している幸福を感じます。この岡山の後楽園は、本当に気分がせいせいしましたね。この日はここがラストの訪問地で予定が詰まっていないし、空は広いし人は少ないし、気分が良かったです。

岡山後楽園

岡山市北区

「岡山後楽園」を   >

というわけで、茶店で抹茶とキビダンゴならぬキビ大福をいただきます。歩き疲れた体に、抹茶の苦さとキビ大福の甘さが、ジンジンと染みこむ感じでございますな。鉄道の旅は、歩く距離も増えるようで、今回の旅は松江と境港の二日目が「18,492歩」、呉と広島の三日目が「20,547歩」、そして四日目の今日・宮島と岡山で「23,436歩」、五日目の日生と姫路が「19,259歩」となりました。

岡山後楽園

岡山市北区

「岡山後楽園」を   >

こちらは戦災で焼け落ちなかった「流店(りゅうてん)」と呼ばれる建物です。中央に水路があって、大きめの6個の石が点々と配置されていて、藩主の庭周りや賓客の接待などで休憩所として使われたとのこと。抹茶とか、飲んだのでしょうかね。のんびりと後楽園を散策して、疲れたのでホテルへ行きますか。

岡山城

岡山市北区

「岡山城」を   >

後楽園を出て、橋の上から旭川岸辺の岡山城を見る。いい景色です。後楽園も岡山城も岡山駅周辺の現在の繁華な市街地からは少し離れているので、空が広いのがとても良かったです。

岡山ユニバーサルホテル 第二別館

「岡山ユニバーサルホテル 第二別館」を   >

今日は岡山ユニバーサルホテル・第二別館に宿泊、シングル一泊で4,980円で、なんと、二食付きという価格に興味津々でやって参りました。部屋もユニットバスも空間を効率的に使っているという印象ですね。ワンフロアの間取りを工夫して、部屋数をふやしているのかなと想像しました。夕飯は17時半から21時半まで、1階の食堂に行って食べるわけですが、一見は百分に如かずと申しまして画像でお見せできれば一番いいのですが、一つの旅行記に100枚の画像が限度のようでして、夕食の写真は割愛いたしますが、悪くなかったですよ。日替わり定食とカレー定食のどちらかをチェックインの際に決めて、食券をもらって、その食券を食堂のおばさんの前に置く、というシステムです。簡素な内容ではありますが、納得して利用するならば、とてもお得な印象を受けます。本日も朝早くからよく楽しみました。明日は少し余裕のある計画に明後日は帰るだけと、気分的にも楽ですね。本日のまとめ、そして明日の予定をおさらいして就寝です。

5日目2024年3月8日(金)

日生駅

本日は6時30分に起床、早い時間に食事を予定しておりますのでホテルの朝食のバイキングは割愛し、岡山ユニバーサルホテル第二別館を7時55分にチェックアウトして、岡山駅まで歩いて8時20分に到着、8時30分岡山発の赤穂線の列車に乗って9時25分に日生(ひなせ)駅に到着です。なお、今日は移動距離が短いので18きっぷは使わずに、券売機で乗車券を購入しました。画像は日生駅です。当地でのお目当てはカキオコです。かきおこ、牡蠣のお好み焼きのことですね。このあと姫路方面へ行くのですが、列車の時刻は10時22分、11時52分となっています。今日の予定はカキオコと姫路城ですので、どっちの列車に乗っても大丈夫なのですが、10時22分に乗れるのなら乗って姫路城の見学時間を多めに確保して、その列車に乗れないようなら日生を歩いてみようという感じです。まずは9時30分開店のカキオコのお店へ向かいます。

まるみ

備前市

「まるみ」を   >

9時30分から開いている「まるみ」に到着です。日生駅から歩いて10分から12分くらいです。途中、見通しの悪いカーブの歩道のない道を歩かねばならず、距離にして100mくらいでしょうか、この部分は最大限注意して歩きます。そこを過ぎると車の交通量の少ない道に入り、まるみに到着というわけです。どのくらいお客さんが入っているのかわからなかったのですが、開店直後ということで、私が一番乗りでございますな。

まるみ

備前市

「まるみ」を   >

かきおこ・特盛(1,500円)と、かきネギ焼き(1,000円)を注文、目の前の鉄板にて、大きな牡蠣が、これでもかという感じで盛り付けられ、ジュワーと焼き音を立てております。いい香りだ。感じの良い女将さんが、「大丈夫よー、食べられますよー」と牡蠣の多さに驚く私に太鼓判を押してくださいます。カキは一つの料理に15個くらい、合わせて30個くらいあったと思われます。カキのおばけが夢に出そうですな。

まるみ

備前市

「まるみ」を   >

かきネギ焼きが出来上がりまして、ヘラで皿に取って熱々のカキを、ホクホクしながら食べます。美味しいです。ジューシーですね。ポン酢で炒めているそうなのですが、いい味なんですよ、牡蠣本来の味が良く分かる味付けで、パクパクと食べます。

まるみ

備前市

「まるみ」を   >

そして真打のカキオコ・特盛でございます、うーん、ソースの匂いがいいですねー。ちゃんとカキに火が通っていて、それでいてジューシーさが失われていない。お好み焼きを食べ始めて、これは全部食べ切れないと悟ります。テイクアウトをお願いすると、テイクアウト用の入れ物に入れて渡してくれました。美味しかったなぁ。カキをたらふく食べたいと思っておりましたので、まさに満願成就という感じで、満足満足の日生は「まるみ」のカキオコでございました。御馳走様でした。さて、駅に戻ると10時18分、これは10時22分に充分に間に合いました。まるみで、先客がいなかったのでこの計画で10時22分に乗れたわけですが、先客がいらっしゃったら、10時22分は乗れないかもしれませんね。その時は、テイクアウトにしてもらって、赤穂線の列車の中で食べるという計画のアレンジもよろしいかと思います。カキだしお好み焼きだしソースだしという感じで、列車内に匂いはぷんぷんと充満するとは思いますが、心根の丈夫な方なら、多分大丈夫だと思います。座席もボックスシートか転換クロスですしね。そんなに慌てて10時22分に合わせなくても、次の11時52分をターゲットにして、列車の旅だしせっかくのカキオコだから朝から一杯やるという手もありますね。私はあまり飲めないのでそのプランは遠慮しましたが。姫路に11時17分着、姫路城へ歩いて向かいます。

姫路城

姫路市

「姫路城」を   >

おお、姫路城に到着です。観光客は多いが、敷地も広いですね。去年の10月に近くを車で通過して、ライトアップされた姫路城を見たことはありましたが、観光で訪れるのは今日が初めて、敷地の広さと言い石垣や天守の高さと言い裾に広がる城壁と言い、とても立派なお城ですな。

姫路城百間廊下

姫路市

「姫路城百間廊下」を   >

今日は見学時間がたっぷりとありますので、まずは「いの門」と「ろの門」を潜ってから左手へ「西の丸」の方へ行きます。世界遺産ということもあって、外国からの観光客が本当に多いのですが、この西の丸はどういうわけがガラガラでございます。桜の樹が植わっていて、桜が咲き始めたら皆さん、こちらにも足を延ばされるのでしょうが、本日は西の丸は人の密度が薄い、私好みの状況、しかも靴を脱いで入る長局(百聞廊下)はほとんど人がいらっしゃいませんな。長ーい廊下がずっと続いています。途中で急な階段があったりして、まだまだ続くかという感じで床板を静かに歩きます。これは石垣の上・城郭の外郭に連なる櫓の連なりでして、外から攻める敵に対して櫓の中を行き来しながら防御するというイメージなのでしょうか。あの、大阪城の落城を知る千姫さんもこのお城に住まわれたのですな。廊下のところどころに長屋のような生活空間があり、そこにいろんな展示がされているのですが、人がいないと油断しきっていて、独り言を言っていたら、「世界遺産・姫路城」と書かれた上着を着たスタッフの方がところどころにいらっしゃいますので、これにはちょっと恥ずかしい思いをいたします。

姫路城

姫路市

「姫路城」を   >

さてと、天守へ向かいますか。それにしても、見栄えのいいお城ですね。姫路に空襲があった翌朝に、奇跡的に焼け残った姫路城を見て、姫路の人びとは勇気づけられたと聞きますが、それはそうでしょうねという見事な、威風堂々としたお城です。

姫路城

姫路市

「姫路城」を   >

白い城壁と天へ続く段々が美しいですな。この白い壁は漆喰なんですね。白漆喰総塗籠造り(しろしっくいそうぬりごめづくり)と言うそうで、これは防火や耐火の意味もあったようです。土蔵が白漆喰で塗り固められるのと同じ理由なのでしょう。同時に、白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)と称される白い壁を持った美しい城として後世にその姿を残すこととなりました。

姫路城

姫路市

「姫路城」を   >

さて、天守に入ってきましたが、下層から明るいですね。急な階段がいくつもある、昔ながらの城の内部及び城の展示ですが、この下層の階から明るいというのは珍しいなと私は思いました。

姫路城

姫路市

「姫路城」を   >

天守閣の最上階です。なかなかいい景色ですね。降りるのも急階段なので、これは余程注意しながら降りることといたします。足もとだけではなく、頭の高さにも注意です。

姫路城

姫路市

「姫路城」を   >

おお、すっかり晴れてきましたね。石垣が高いですよねー。ほかのお城に比べると、石垣の高さが際立つような感想を私は持ちました。

姫路城

姫路市

「姫路城」を   >

しばし地上の広さと城の眺めを楽しんだあと、姫路城を離れます。お菊さんの井戸も見学、いや、深い深い。高さがありますねー。番町皿屋敷のお菊さんは、東海道を歩いたときに平塚宿でも説明書きがあったと思います。お菊さんは平塚出身と言われております。しかしこれは江戸の番町皿屋敷の話で、ここ姫路では播州皿屋敷でございますからな、ちょっと設定は違うと思います。番町皿屋敷と言えば、小学校二年生の時の私の十八番でして、教室を真っ暗にして怪談話の披露の時は、私は番町皿屋敷でしたね。いちまーい、にまーい、とか数え始めると、みんながクスクス笑うんですよ、小学生くらいってのは本当に素直でよろしい。しかし笑ってるんだから怪談話としては失敗です。少し大きくなって、落語の皿屋敷を聞きますと、お菊さんが十八枚数えるから、「九枚じゃねぇのか、おかしいじゃねぇか」と江戸っ子のツッコミに、「明日はお休みだから二日分数えました」とお菊が答えるとか、お坊さんが供養をしようと「ナンマイダー」と唱えると、「九枚だー」とお菊が答えるとか、大人はやりたい放題ですね。せっかくの怪談話なのに、すっかり怖がることができなくなりました。

好古園

姫路市

「好古園」を   >

姫路城を出て西へ200mから300mほどあるくと、好古園に至ります。ここ好古園は、姫路城を借景とする、平成4年に開園した池泉回遊式の日本庭園とのこと。ああ、新しいお庭なんですね。もともとは西御屋敷と呼ばれる屋敷や武家屋敷があった場所のようです。同じく城を借景とするお庭には、岡山城の後楽園や彦根城の玄宮園へ行きましたが、その二つの庭園と異なる点は、好古園は細かく区切りが分かれていて、広々としたお庭というわけではありませんね。漆喰の塗られた土塀に開けられた門を潜って隣りの区画へ行くという場所で、私はしたたかに頭を打ちました。みなさん、お気を付けください。

好古園

姫路市

「好古園」を   >

好古園での私のお目当ては、こちら、双樹庵でございますな。ガラリと戸を開けて受付の女性と会話をしながらお茶券を買いまして、座敷へ行って座って待つと抹茶とお菓子がいただけます。

好古園

姫路市

「好古園」を   >

座敷は空いていて、先客は3名、すぐに出ていかれましたので、ゆっくりとお茶を飲みます。姫路城はアップダウンがありますので、ちょっと疲れましたね。うーん。おいしい。私が退出するころには、お茶を求める方が7人くらいに増えて賑やかになってきました。人の波みたいなものがあって、姫路城の天守最上階でも感じたのですが、人が空くか混むかってのは、波が寄せたり引いたりするのと同じで、周期は読めないのだけれども、周期性があって面白いと思いました。

好古園

姫路市

「好古園」を   >

好古園からみた姫路城。ちょっと遠い感じですね。足もとには曲水が流れていて、静かな穏やかな時間です。

好古園

姫路市

「好古園」を   >

やわらかそうなコケに当たる陽も傾いてきましたね。姫路城でゆっくりすごしましたので、本日の宿へ向かいます。姫路駅まで歩き、相生駅へ行きます。

相生ステーションホテルアネックス

「相生ステーションホテルアネックス」を   >

相生駅から徒歩1分から3分、駅からすぐ近くのホテルです。窓が広くて明るくて良いですな。本日で観光は終了、明日は列車に乗って帰るだけです。本日のまとめと明日の時刻表を確認し、お酒を飲んで就寝です。

6日目2024年3月9日(土)

網干駅

本日は4時起床、5時10分チェックアウト、5時22分相生駅発の列車に乗って、5時31分に網干駅に到着。画像は5時35分、網干駅を通過するサンライズ出雲です。6時11分網干発の近江塩津行き新快速に乗って、米原へ行きます。この新快速に乗って転換クロスシートの窓側に座れば、姫路以降の大阪京都といった繁華な市街地の混雑とは無縁の列車の旅が出来るだろうと思いました。早朝の相生駅、網干駅の混み具合がわからなくて、今日は少し余裕を持った計画にしてみたのです。

網干駅

網干駅にて。この掲示板にある網干駅着5時58分(相生発5時48分)に乗ってきて6時11分発に乗っても良かったし、そのまま相生発5時48分発の列車もしくは相生発5時22分発の列車にのって米原まで、いずれにしても直通なので、網干で乗り換えなくても良かったのですが、米原着が一番早いのはこの6時11分網干発の新快速なのですな。土曜日の朝6時にしては乗り込む乗客が多かったような気がしました。一つのドアに、2.3人が待っている感じですかね。相生→網干→米原→豊橋→浜松→島田→熱海、熱海からは東海道線で神奈川へという感じで無事に帰還でございます。米原まで直通も良かったし、米原から大垣の乗り換えなしで豊橋へ行けたのも楽でした。今回の旅行は、18きっぷの5回分を一度の旅行で使うというプランでしたが、なかなか良かったと思います。だいたい3回分+2回分や、日帰りを1回入れる使い切り方なのですが、5回分を一度に使うとなれば、行きと帰りで思い切って遠くに行って、そこを始点にして3回分の移動および観光という面白い旅が出来たと思います。ビジネスホテルに泊まって朝早くの出発や、到着時間を決めずにチェックインをするなど夕食・朝食の時間制限なしにプランを組めたのも面白かったですね。途中乗車がほとんどなくて、だいたい始発駅で列車に座って乗車でしたので、それも楽でした。次回はこの方法で紀伊半島を周る予定です。

【18きっぷ】鳥取・新見・広島・岡山・相生、境港のカニと日生のカキを堪能する旅【2024年3月】

1日目の旅ルート

みんなのコメント(0件)

投稿する

投稿に際しては、必ず観光ガイドご利用規約をご確認ください。
皆様がより快適にご利用いただくための「投稿上のルール」や、
投稿内容の利用に関して記載しております。

閉じる

この旅行記は参考になりましたか?参考になった!1

この旅行記をもとに旅の計画をつくる
この旅行記をカスタマイズして、あなたの旅の計画を作りましょう

さとけんさんの他の旅行記

(C) Recruit Co., Ltd.