1. 宿・ホテル予約TOP >  みんなの旅行記 >  【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】

さとけんさんの滋賀県〜鹿児島県の旅行記

【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】

  • 一人
  • 1人
  • 温泉
  • 芸術・文化
  • 史跡・歴史
  • 自然
  • グルメ
  • ショッピング
  • 乗り物
  • ハイキング・登山

九州旅行その3では、杖立温泉から長崎市内へ走り、平和公園・原爆資料館・諏訪神社・長崎公園・大浦天主堂・グラバー園と訪ねて諏訪神社近くで1泊、夕食は中華街で、翌日は崇福寺と遠藤周作文学館を訪ねてから雲仙ロープウェイの仁田峠へ向かいます。泊まりは雲仙温泉です。長崎では我が家にある60年前に撮られた写真が、どの場所でどんな角度で撮られたのかを探す旅にもなりまして、この作業も面白く、自分には思い出に残る良い旅となりました。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2023年10月22日(日)

ガレリアかめおか

亀岡市

「ガレリアかめおか」を   >

本編は「9日目」から始まります。  (1日目から5日目の詳細は旅行記・『【九州その1】錦帯橋・吉野ヶ里遺跡・指宿温泉・知覧特攻平和会館・鹿屋航空基地資料館【2023年10月】』)

2日目2023年10月23日(月)

吉野ヶ里歴史公園

吉野ヶ里町(神埼郡)

「吉野ヶ里歴史公園」を   >

本編は「9日目」から始まります。  (1日目から5日目の詳細は旅行記・『【九州その1】錦帯橋・吉野ヶ里遺跡・指宿温泉・知覧特攻平和会館・鹿屋航空基地資料館【2023年10月】』)

3日目2023年10月24日(火)

砂むし会館「砂楽」

指宿市

「砂むし会館「砂楽」」を   >

本編は「9日目」から始まります。  (1日目から5日目の詳細は旅行記・『【九州その1】錦帯橋・吉野ヶ里遺跡・指宿温泉・知覧特攻平和会館・鹿屋航空基地資料館【2023年10月】』)

4日目2023年10月25日(水)

知覧特攻平和会館

南九州市

「知覧特攻平和会館」を   >

本編は「9日目」から始まります。  (1日目から5日目の詳細は旅行記・『【九州その1】錦帯橋・吉野ヶ里遺跡・指宿温泉・知覧特攻平和会館・鹿屋航空基地資料館【2023年10月】』)

5日目2023年10月26日(木)

鹿屋航空基地史料館

鹿屋市

「鹿屋航空基地史料館」を   >

本編は「9日目」から始まります。  (1日目から5日目の詳細は旅行記・『【九州その1】錦帯橋・吉野ヶ里遺跡・指宿温泉・知覧特攻平和会館・鹿屋航空基地資料館【2023年10月】』)

6日目2023年10月27日(金)

青島神社

宮崎市

「青島神社」を   >

本編は「9日目」から始まります。  (6日目から8日目の詳細は旅行記・『【九州その2】日南海岸から宮崎市内、通潤橋・熊本城・水前寺公園・阿蘇山・杖立温泉【2023年10月】』)

7日目2023年10月28日(土)

通潤橋

山都町(上益城郡)

「通潤橋」を   >

本編は「9日目」から始まります。  (6日目から8日目の詳細は旅行記・『【九州その2】日南海岸から宮崎市内、通潤橋・熊本城・水前寺公園・阿蘇山・杖立温泉【2023年10月】』)

8日目2023年10月29日(日)

阿蘇中岳火口(阿蘇山上)

阿蘇市

「阿蘇中岳火口(阿蘇山上)」を   >

本編は「9日目」から始まります。  (6日目から8日目の詳細は旅行記・『【九州その2】日南海岸から宮崎市内、通潤橋・熊本城・水前寺公園・阿蘇山・杖立温泉【2023年10月】』)

9日目2023年10月30日(月)

平和祈念像(長崎県長崎市)

長崎市

「平和祈念像(長崎県長崎市)」を   >

時刻は11時、長崎の平和公園へやってきました。ああ、なんて空が青いんだろう。雲ひとつありませんね。多くの方が亡くなりました。二度と繰り返さないという願いは一つであっても、二度と繰り返さないためにはどうしたらいいかという考え方は、決して一通りではないという点が難しいところなのですよね。

長崎原爆資料館

長崎市

「長崎原爆資料館」を   >

原爆資料館です。向き合うにはあまりに悲しい資料が並びます。外国人の方を含めて多くの閲覧者がいましたが、資料の音声以外はとても静かな館内でした。

諏訪神社(長崎県長崎市)

長崎市

「諏訪神社(長崎県長崎市)」を   >

時刻は13時ちょっと前、長崎の諏訪神社にお詣りします。今年の10月7日・8日・9日に4年振りの長崎くんちが開催されたばかりの境内ですな。二礼二拍手一礼のお詣りをします。

諏訪神社(長崎県長崎市)

長崎市

「諏訪神社(長崎県長崎市)」を   >

そしてこちら、諏訪神社境内に移築された諏訪荘です。この建物はもとは諏訪神社下の炉粕町(ろかすまち)に5年の歳月をかけて大正9年(1920年)に建てられた建物で、昭和11年(1936年)からは「諏訪荘」の屋号で「日本の三指に数えられる」和式旅館として営業していましたが、昭和59年に廃業。取り壊されることになったが保存を望む長崎市民の活動などにより、ここ諏訪神社境内に移築されたとのことです。現在は諏訪神社の斎館(さいかん:神職などが神事に携わる前に心身を清めるためにこもる建物)として使用されているそうです。もうちょっと近くから見たかったのですが、中へは入ることはできません。

諏訪神社(長崎県長崎市)

長崎市

「諏訪神社(長崎県長崎市)」を   >

諏訪荘の斜め上にある玉園稲荷神社の抱き大楠です。実際に触って抱くことができます。立派な大楠ですねー。

長崎公園(諏訪の杜)

長崎市

「長崎公園(諏訪の杜)」を   >

こちらは諏訪神社の隣にある長崎公園内にある東照宮です。明治22年に現在地に移り、現社殿は明治30年に建立され、明治43年に諏訪神社の末社になったということです。面白いことに、60年前の写真には、この鳥居はこの位置にはなかったようですね。灯篭も少し種類の違う灯篭が並んでいます。本日は諏訪神社の近くの宿に泊まりますので、明日の朝に諏訪神社と長崎公園を散策します。次は大浦天主堂とグラバー園へ向かいます。松が枝ターミナル駐車場という駐車場に車を停めて歩きます。

大浦天主堂(歴史的建造物)

長崎市

「大浦天主堂(歴史的建造物)」を   >

大浦天主堂にやってきました。1864年竣工のカトリックの教会です。完成して数ヶ月後には、「信徒発見」という重要な出来事の現場になりました。1953年(昭和28年)には現行の国宝に指定されています。1597年2月5日に殉教した「日本二十六聖人」を守護の聖人とした教会で、正式な名称は「日本二十六聖殉教者聖堂」です。隣接する博物館の展示では、日本におけるキリスト教徒の苦難の歴史を詳しく展示していますので、じっくりと閲覧しました。

大浦天主堂(歴史的建造物)

長崎市

「大浦天主堂(歴史的建造物)」を   >

こちらは大浦天主堂の横の「祈念坂」です。

大浦天主堂(歴史的建造物)

長崎市

「大浦天主堂(歴史的建造物)」を   >

ああ、いいですね。人通りの多いメインの道から一本入ると、とても静かな環境です。今日は空が青いですな。

大浦天主堂(歴史的建造物)

長崎市

「大浦天主堂(歴史的建造物)」を   >

祈念坂を登ってグラバー園へ向かいます。

グラバー園

長崎市

「グラバー園」を   >

祈念坂からアプローチして、グラバー園の第2ゲート手前辺りから撮った長崎市街の景色です。長崎に来るのは私は今日が初めてなのですが、いかにも長崎というこの景色にしばし見とれます。長崎は坂が多いと言われますが、この地形・この町並みでは坂が多いはずだと納得します。坂が多いのは生活するには大変だけれども、この風景は人の営みが積み重ねられてきた結果の現在という感じで、情緒があるなと思いました。

グラバー園

長崎市

「グラバー園」を   >

グラバー園へ第2ゲートから入園です。

グラバー園

長崎市

「グラバー園」を   >

グラバー園へ入ってすぐに、港の見える良い景色に出会います。グラバーさんをはじめ幕末に来日した西洋の方はいい場所に家を建てましたねー。

旧グラバー住宅

長崎市

「旧グラバー住宅」を   >

グラバー邸前のこのポジションは、今も昔も写真撮影スポットになっているようですね。記念写真を撮影してすぐにプリントして販売するプロのカメラマンも、この場所にカメラを据えていらっしゃいました。

グラバー園

長崎市

「グラバー園」を   >

そしてこのポジションもなかなかいいですな。グラバー邸のすぐ横から港を観た景色です。今日も良く歩いているのでベンチに腰をかけて、しばらく休憩です。ゆっくりしていましたら、16時半近くになり、陽もかげってきましたので、そろそろ宿へ向かうとしますか。

大浦天主堂(歴史的建造物)

長崎市

「大浦天主堂(歴史的建造物)」を   >

祈念坂を降りて駐車場に向かいます。グラバー園の賑わいから離れた祈念坂界隈は、静かな長崎の夕方という感じで、情緒あふれる時間・空間に身を置くことができました。

ステーションホテル長崎諏訪

「ステーションホテル長崎諏訪」を   >

諏訪神社近くのステーションホテル長崎諏訪にチェックインです。2022年3月25日にオープンした新しいホテルで、明るくて清潔でいいホテルでした。ユニットバスの段差がほとんどないのも使いやすいですね。さて、夕飯ですが、計画では長崎の中華街に行ってちゃんぽんを食べるつもりですが、昨日、身体の調子がやや優れなくて、今日も良く歩いたので、どうしようかな、外に出るか、近場で済ますか、近くにお店が無ければコンビニでもいいかななんて思っていたのですが、ホテルにチェックインすると、これはもう出かけないと損だという気持ちになりまして、混む前に中華街へ行ってしまおうと、すぐに外出です。車はタワー駐車場に入れて明日の朝まで出庫しませんので、路面電車で向かいます。

長崎電気軌道(長崎の路面電車)

長崎市

「長崎電気軌道(長崎の路面電車)」を   >

ステーションホテル長崎諏訪の優れたポイントの一つに、路面電車の諏訪神社駅まで1分かかるかどうかという立地の良さですね。下調べをしておりましたので、「5系統」の電車に乗れば中華街へ行けるということと、料金は後払い(後乗り前降り)で定額・140円ということをおさえておけば、問題なく中華街へ行くことができました。

長崎新地中華街

長崎市

「長崎新地中華街」を   >

そしてやってきました、長崎新地中華街です。写真中央下の光り輝いているところが入り口で、道の両側にお店が並ぶというイメージです。

長崎新地中華街

長崎市

「長崎新地中華街」を   >

そしてこちら、入り口にある「会楽園」に入ってみましょう。ちゃんぽんもチャーハンもアレもコレも食べたいという中華料理屋さんですが、今日は体調も本調子ではありませんし、アルコールもやめておこうかなという感じです。

長崎新地中華街

長崎市

「長崎新地中華街」を   >

というわけで、ちゃんぽんとエビチリにしました。エビチリはプリプリですねー。甘いんですよ、そしてグッと辛くなるんですな。いやー、甘露甘露。そしてちゃんぽんですね。よくね、私もそうですが「ちゃんぱんて、何?」とか、「ちゃんぽんってどんな味するの?」とかいう質問をしますね。で、聞かれた側は「うーんとね、うどんみたいでねー、スープは、えーと」と形容しがたいと苦しそうに答えるわけですが、ちゃんぽんは、これですね。これがちゃんぽんです。間違いない。ごちそうさまでした。美味しかったです。

長崎新地中華街

長崎市

「長崎新地中華街」を   >

食事の後は中華街をブラブラとします。近くのドラッグストアーで傷用の消毒液を買って路面電車に乗って、諏訪神社駅へ帰ります。

諏訪神社(長崎県長崎市)

長崎市

「諏訪神社(長崎県長崎市)」を   >

ホテルに戻る前に、諏訪神社でお詣りをして帰りました。

10日目2023年10月31日(火)

諏訪神社(長崎県長崎市)

長崎市

「諏訪神社(長崎県長崎市)」を   >

さて、朝は6時20分に起床し、6時45分から7時30分まで諏訪神社と長崎公園をお散歩です。

諏訪神社(長崎県長崎市)

長崎市

「諏訪神社(長崎県長崎市)」を   >

昨日よりもさらに静かな諏訪神社ですな。なかなかきつい階段です。階段も階段の横の傾斜も、長崎くんちの観覧席になります。

諏訪神社(長崎県長崎市)

長崎市

「諏訪神社(長崎県長崎市)」を   >

駐車場の脇にあるあちらの樹も立派ですねー。

諏訪神社(長崎県長崎市)

長崎市

「諏訪神社(長崎県長崎市)」を   >

拝殿にて、二礼二拍手一礼のお詣りをします。清々しいですな。

長崎公園(諏訪の杜)

長崎市

「長崎公園(諏訪の杜)」を   >

そして長崎公園の東照宮です。昨日撮影した写真と、60年前に撮影された写真(これは諏訪荘に泊まった父と母が翌朝に散歩をして、どなたかに撮っていただいたのか、あるいは、三脚とタイマーで撮ったのか、2人並んで収まっている写真です)と、ホテルの部屋でじっくり照合し、今朝もやってきて、60年前の写真は確かにここで撮られた写真であることと、その時には鳥居が今の位置には無かったことを確認です。なるほど、私の父と母もとってもいい笑顔で写っていて、良い時間を過ごしていたんだなと、良かったなと思いました。私は彼らの苦労の種だったと思いますけど、彼らは彼らでまた、自分たちの時間をちゃんと楽しんだ人生を送っていらっしゃったんだなと、少し安心です。

長崎公園(諏訪の杜)

長崎市

「長崎公園(諏訪の杜)」を   >

長崎公園のはずれに急な坂道がありまして、その向こうに幕末の写真家・上野彦馬さんの像があります。

長崎公園(諏訪の杜)

長崎市

「長崎公園(諏訪の杜)」を   >

おお、車がキュルキュルとタイヤを鳴らして上がっていきますな。

長崎公園(諏訪の杜)

長崎市

「長崎公園(諏訪の杜)」を   >

上野彦馬(うえの ひこま)さんは、1838年に生まれ、1904年(明治37年)に亡くなった方です。幕末の本や写真を見ると、この方の名前を必ず目にすると思いますが、長崎のご出身なんですな。

長崎公園(諏訪の杜)

長崎市

「長崎公園(諏訪の杜)」を   >

上野彦馬さんの像から少し下がった場所です。けっこうな坂だと思いますね。さて、ホテルに戻り、シャワーを浴びて8時15分に出発したのですが、ホテル前の「馬町」交差点が通勤ラッシュでしょうか、渋滞していたため、ホテルのタワー駐車場からの出庫は行きたい方向に対して少し回り道になりましたが、私は特に時間の制約がないので、問題ありませんでした。今日は崇福寺・遠藤周作文学館・雲仙温泉と周ります。

崇福寺(長崎県長崎市)

長崎市

「崇福寺(長崎県長崎市)」を   >

時刻は8時45分、崇福寺(すうふくじ)にやって参りました。朝早い時間で、お参りする方もほとんどなく、とても静かで穏やかな良い滞在になりました。崇福寺は、長崎在住の中国・福州出身者が中心となって、福州から僧・超然を招き、寛永6年(1629年)に創立したお寺です。

崇福寺(長崎県長崎市)

長崎市

「崇福寺(長崎県長崎市)」を   >

崇福寺の三門は国指定の重要文化財です。狛犬が日本の狛犬と少し、というか、かなり違いますな。我が家にある60年前の写真と比べると、三門も敷石も石塀も昔の姿がそのまま現在まで引き継がれている一方で、三門の向こうの遠景は、60年前の写真では遠くの山並みが写っていますが、現在は高い建物に隠れて山は見えませんな。

崇福寺(長崎県長崎市)

長崎市

「崇福寺(長崎県長崎市)」を   >

そしてこちらは第一峰門、国宝です。

崇福寺(長崎県長崎市)

長崎市

「崇福寺(長崎県長崎市)」を   >

おお、すごい木組みですねー。材料を中国・寧波(にんぽー)で加工し、唐船数隻で長崎に運び、元禄8年(1695年)に建設した門とのこと。明朝末期・清朝初期の建築の影響を今に遺す貴重な建築とのことです。

崇福寺(長崎県長崎市)

長崎市

「崇福寺(長崎県長崎市)」を   >

この組み木は日本のお寺では見たことがありませんね。

崇福寺(長崎県長崎市)

長崎市

「崇福寺(長崎県長崎市)」を   >

静かな境内です。やはり朝早く、人々が動き出す前に訪問するのはいいですね。早起きは三文の得、でございますな。

崇福寺(長崎県長崎市)

長崎市

「崇福寺(長崎県長崎市)」を   >

そしてこちらが本堂の大雄宝殿です。御本尊は釈迦如来。この大雄宝殿も国宝です。この建物の面白いところは、もともとは1646年に単層屋根(1階建て・中国建築様式)で建てられ、35年ほど後で外観を重層屋根(2階建てのような外観)に改造し、それは和建築様式ということで、それが「違和感なく調和している」ところでしょうか。

崇福寺(長崎県長崎市)

長崎市

「崇福寺(長崎県長崎市)」を   >

お釈迦様に合掌一礼でご挨拶です。60年前に、父も母もこうやって手を合わせたことでしょうな。私は初めてお会いするのに初めてじゃないような気がする、そんなお釈迦様でした。良いお参りができました。崇福寺を辞し、東出津町の遠藤周作文学館を目指します。

遠藤周作文学館

長崎市

「遠藤周作文学館」を   >

東出津町の遠藤周作文学館へやってきました。海がきれいだなー。なんといいますか、私が今までに見たどの海にも当てはまらない海、とでもいいますか。空も海も、青いんですねー、そしてとても静かですね。風も微風、まるで春のように私の肌よりも暑くもなく寒くもない。穏やかな景色です。

遠藤周作文学館

長崎市

「遠藤周作文学館」を   >

遠藤周作。1923年3月27日に生まれ、1996年9月29日に亡くなった日本の作家です。遠藤先生が亡くなってもう27年経つのですね。「申し訳ありません、ご無沙汰しておりました」という感じで初めてのここを訪れます。私の中学・高校時代の愛読書と言えば星新一氏・マンボウ博士(北杜夫氏)、そしてこの狐狸庵山人(こりあんさんじん・遠藤周作氏)でした。高校生の時に、「海と毒薬」と「沈黙」を読んでの私の正直な感想は「これ、狐狸庵先生ちゃうでぇ(狐狸庵先生が、こんな真面目な文章を書くはずがない)」というもので、本当に、あいすみません。

遠藤周作文学館

長崎市

「遠藤周作文学館」を   >

狐狸庵先生の身長が183センチメートルもあったということもごく最近知りました。彼は自分で自信がない部分(劣等生だった学生の頃の話とか、頭が薄くなってきたことを気にしている話だとか)について、面白おかしく文章にする方で、私から見て狐狸庵先生に格好の良い二枚目の印象など全く、まったく無かったのですが、実像はカッコ良ささえ感じさせる才人だったのかなと思います。学校の行き帰りの電車の中で狐狸庵、学校の休み時間にも狐狸庵、帰ってから寝る前も狐狸庵、入院した父に差し入れる本も狐狸庵といった具合で、本当に楽しかったですね。

遠藤周作文学館

長崎市

「遠藤周作文学館」を   >

入館する前に、館外に「生誕100年記念 遠藤周作読書感想文コンクール」のポスターが貼ってありまして、そこに遠藤周作氏の短い文章が載っていました。「私が諸君の文章から読みとりたかったのは、たとえ、それが強引な考え方でもよろしい。あるいは間違っていてもよい。諸君自信のこと 小説にたいする受けとめ方であった」(遠藤周作・『私の読後感』)  あー、いいですね。スッと頭に入ってくる平易でわかりやすい文章、句読点の位置も馴染みがある正しい使い方です。何よりも、人柄の優しさが伝わってきます。私は大学は理系に進みましたので、理系の先生方の書かれる本を教科書にしていたのですが、理系の先生方の書く文章は、私には、なべて理解し難く、その理由は私の頭が足りないからだと思っていましたし、今でも思っていますが、その足りない頭の私にも、遠藤氏の伝えたいことがこの短い文章で伝わってくるというのは凄いことだなと思います。それでは遠藤周作文学館へ入館しましょう。

遠藤周作文学館

長崎市

「遠藤周作文学館」を   >

とても良い滞在になりました。私を大切にしてくれた存在や私が大切にしてきた存在は、常に私と共に在り、常に私を見守りながら私を助けていてくれているのだという実感。亡くなった父や母やその他の親しい人々、そして己が信じる神と呼ばれるものかもしれませんが、そういう存在が沈黙などせずに、常にそこにいるという実感。そしてその実感が己の人生に作用して働きかけて、己の人生を通して表面に出るということ。これは今回の私の旅行のテーマでもある「過去の人々との語らい」にも通じる実感でしたので、遠藤周作氏の母なるイエス像と不思議にもマッチして、今回の旅の成果に意図せずして出会う、そんな滞在になりました。神は沈黙などしていないのだと。求めて、答えが返ってこないことと、沈黙とは同義ではないのだということ。私の頭はそう理解しました。

仁田峠展望台

雲仙市

「仁田峠展望台」を   >

さて今回の旅の最終経由地は雲仙です。雲仙ロープウェイの仁田峠駅駐車場に到着です。ちょうど紅葉のシーズンと重なり駐車場は大賑わいですな。雲仙温泉郷から仁田峠まで自動車で行く場合は、仁田峠循環自動車道路という左回り一方通行の道路を走ることになります。昔は有料道路で普通車は770円でしたが、2009年4月から無料開放されています。ただし、現在は入り口で「100円程度の協力金」を求められます。支払いは任意のようですが、100円とは支払いやすい金額ですので100円を支払いました。紅葉シーズンの休日は大渋滞になるそうですが、本日は平日のため、駐車場が混んでいるといっても車を停められないということはありませんでした。仁田峠駐車場を挟んで登りも下りも一方通行なので走りやすかったですよ。

仁田峠展望台

雲仙市

「仁田峠展望台」を   >

降りてくるロープウェイのゴンドラには鈴なりに乗客が乗っているように見えますな。ロープウェイに乗るのは今は止めて、明日の朝一番にここへ来たら、いくらかは空いているだろうと考え、しばらく仁田峠展望台付近の景色を楽しんだ後に雲仙温泉へ向かいます。

雲仙地獄

雲仙市

「雲仙地獄」を   >

雲仙温泉には1回300円(普通車)の駐車場がいくつかありますので、そこへ車を停めて、雲仙地獄を歩きます。息が出来ないくらいというか、この空気の中で息をしてもいいのかなと戸惑うくらい、硫化水素の香りがムンムンとしております。湯気が至る所で上がっているし、まさに地獄というべき・・・、おっ、おやおや?

雲仙地獄

雲仙市

「雲仙地獄」を   >

おやおやおや? 何か、生き物が・・

雲仙地獄

雲仙市

「雲仙地獄」を   >

目を転じますと、ポコポコと沸くお湯に上がる湯けむりという感じで、やはりここは地獄の一丁目の様相を呈していますな。

雲仙地獄

雲仙市

「雲仙地獄」を   >

遊歩道の途中にある茶屋でレモネードをグビグビとやって喉をうるおしていると・・

雲仙地獄

雲仙市

「雲仙地獄」を   >

おやおやおや、これはもう見間違いではありますまい。ねこが、暖かいのでしょうかねぇ、岩の上でウトウトやっていますな。硫化水素にやられてしまわないか、心配になるではないか。

雲仙地獄

雲仙市

「雲仙地獄」を   >

と、ふと足もとをみると、おわっ。こんなに近くにねこがいるではないか。そろそろ、今晩のお宿に向かいますか。

100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル

「100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル」を   >

さて、本日と明日は雲仙スカイホテルに泊まります。このホテルで一番眺望の良い部屋というこのお部屋で、今日と明日はのんびり過ごすことにしました。

100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル

「100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル」を   >

部屋からの眺望です。眼下には温泉寺があり、雲仙地獄の一部が見えていますが、写真中央から右手にかけての山肌が露出した場所は、土砂崩れの跡のようです。ここ雲仙温泉郷付近では2021年8月13日に大雨が降って大規模な土砂崩れが起き、大きな被害がでました。現在は復興の途中にあります。

100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル

「100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル」を   >

さて、お風呂へ行きましょう。雲仙温泉です。源泉100%かけ流しの硫黄泉ということで、源泉からはかなり熱いお湯が流れていましたが、湯舟のお湯自体はそれほど熱くなくて、じっくり長湯が出来る感じでしたね。明日は学生さんの団体がいらっしゃるということですが、今日はそれほど宿泊客も多くなくて、のんびりゆったりと浸かることができました。明日は今回の九州旅行の最終日になります。明後日は1日中高速道路を走って帰るだけですので、観光と休養を雲仙で楽しむことにしましょう。

11日目2023年11月1日(水)

仁田峠第二展望所

南島原市

「仁田峠第二展望所」を   >

さて本日は、6時起床、7時から朝食で8時ちょっと前に宿を出発です。ロープウェイの始発は8時31分から、仁田峠循環自動車道路の夜間閉鎖が解かれるのが8時ちょうどということで、あさイチのロープウェイを狙ったわけですが、仁田峠循環自動車道路の上りの途中にある「仁田峠第二展望所」の景色が良かったものですから、しばらく道草です。

仁田峠第二展望所

南島原市

「仁田峠第二展望所」を   >

有明海を挟んで手前の島原と向こうが熊本ですね、雄大で美しい景色でした。中央辺りにある黒い線は逆転層でしょうか、それとも雲海から山頂を出している山の連なりでしょうか。少し黒ずんで見えますね。

仁田峠第二展望所

南島原市

「仁田峠第二展望所」を   >

第二展望所からは雲仙岳の平成新山がよく見えますな。今日もいい天気ですね。道草が長引いて8時31分のロープウェイ始発には乗れそうもありませんので、二番手を狙うこととします。一番手は案外、混んでるかもしれませんし、二番手くらいがちょうど良い。

仁田峠展望台

雲仙市

「仁田峠展望台」を   >

仁田峠駐車場に到着です。狙い通り、駐車場に停まっている車の数はまだそれほど多くないですぞ。

雲仙ロープウェイ

雲仙市

「雲仙ロープウェイ」を   >

早速、ロープウェイに乗ることとしましょう。往復で1300円です。7人ほどの乗車で出発となりました。

雲仙ロープウェイ

雲仙市

「雲仙ロープウェイ」を   >

おお、ロープウェイからとてもいい景色が見えますな。紅葉は見ごろを迎えています。最高の見ごろはあと数日後かもしれません。しかし写真以上に赤色というかオレンジ色というか、色づきがきれいであります。

雲仙ロープウェイ

雲仙市

「雲仙ロープウェイ」を   >

おお、右に左にきれいな紅葉が見えるー。そしてロープウェイはあっという間に山頂側の妙見岳駅に到着です。

雲仙ロープウェイ

雲仙市

「雲仙ロープウェイ」を   >

妙見岳駅展望台からの眺めもまた極上ですな。

雲仙ロープウェイ

雲仙市

「雲仙ロープウェイ」を   >

仁田峠の駐車場が随分と小さく見えます。

雲仙ロープウェイ

雲仙市

「雲仙ロープウェイ」を   >

右手に見える池は、雲仙温泉郷の「おしどりの池」ですな。その向こうに海が見える。水平線が丸く見えるような気がします。左手に見える向こうの陸地は熊本県の天草のようですな。これだけ雄大で美しい景色を観に来られたのは幸せでした。

平成新山

島原市

「平成新山」を   >

妙見岳の山頂からみる平成新山です。60年前には無かった山です。山は生きているんだなーと思いました。

雲仙ロープウェイ

雲仙市

「雲仙ロープウェイ」を   >

下りのロープウェイから東側の紅葉を観ます。こちらも綺麗ですねー。

雲仙ロープウェイ

雲仙市

「雲仙ロープウェイ」を   >

今回、九州旅行の計画を立てた際には「紅葉」についてはまったく考慮していなかったというか、そのシーズンであることを忘れていたのですが、雲仙温泉郷に泊まることよって、綺麗な紅葉を空いている状況で観られたのは本当にラッキーでした。

雲仙ロープウェイ

雲仙市

「雲仙ロープウェイ」を   >

ロープウェイはあっという間に仁田峠駅に到着です。2分ぐらいの乗車時間ですな。

仁田峠展望台

雲仙市

「仁田峠展望台」を   >

雲仙ロープウェイの仁田峠駅にある仁田峠展望台から見た平成新山です。グッと近くから火山をみます。

仁田峠展望台

雲仙市

「仁田峠展望台」を   >

仁田峠展望台から視点を東側の山裾へ転じますと、背の高い樹がない斜面が見えます。あれが普賢岳の平成新山から下り落ちた土石流や火砕流の痕跡ですね。

仁田峠展望台

雲仙市

「仁田峠展望台」を   >

雲仙岳の景観を充分に楽しみました。雲仙温泉へ戻りましょう。

湯快リゾート 雲仙温泉 雲仙東洋館

雲仙市

「湯快リゾート 雲仙温泉 雲仙東洋館」を   >

雲仙温泉の立ち寄り湯に行きます。こちらは東洋館です。60年前にも存在し、経営母体は変わりましたけれども、今でも現役のホテルです。立ち寄り湯は9時から23時ですが、清掃時間が11時から14時でこの時間は入浴できません。私は10時から11時までの1時間、このホテルの外湯を楽しみました。

湯快リゾート 雲仙温泉 雲仙東洋館

雲仙市

「湯快リゾート 雲仙温泉 雲仙東洋館」を   >

これが60年前の東洋館のパンフレットです。一枚前の画像の左手にある、フロントがある建物の位置の写真です。随分と増改築が行われているようにも見えます。

雲仙温泉

雲仙市

「雲仙温泉」を   >

私は1時間でもいいから、この東洋館の建物に入ってみたかったのです。温泉は最上階にあって、いい湯でしたよ。10時40分には建物から出ましたので、とても幸せな40分でした。

雲仙地獄

雲仙市

「雲仙地獄」を   >

こちらは雲仙地獄は雲仙地獄でも「昔の」雲仙地獄である旧八万地獄と呼ばれる場所です。高温のガスや熱水が噴出している場所を「地獄」と呼び、地獄地帯の岩石は、ガスや熱水の影響を受けて分解・崩壊が促進され、地表は次第に浸食され盆地状の地獄地形になるとのこと。川によって地表の姿が変わるように、ガスと熱水で地表の姿が変わるということです。そしてこの「旧八万地獄」は「地獄地形の老年期」とのこと、つまり地獄のおじいちゃんですな。おじいちゃんの地獄か。

雲仙地獄

雲仙市

「雲仙地獄」を   >

雲仙地獄の遊歩道の途中にある「新湯」と呼ばれる共同浴場へやってきましたが、なんと定休日とのこと。確か、新湯共同浴場のほかに、もう2つほど共同浴場があったはずですし、定休日は重ならないように設定していると思うので歩いて探せば共同浴場に入浴できるでしょうが、スカイホテルに戻れば温泉に入れますので共同湯めぐりはやめておきます。写真は新湯の近くにある足湯ですが、こちらもお湯がかけ流れていない(溜まっている)様子なので、足を浸けるのをやめておきます。

喜久

雲仙市

「喜久」を   >

スカイホテルの近くの喜久というお店でちゃんぽんとクリームソーダを食べて宿へ戻ります。こちらのちゃんぽんも美味しかったですな。うむうむ、これがちゃんぽんである、間違いなくちゃんぽん、というちゃんぽんでした。美味しかったです。ごちそうさまでした。

100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル

「100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル」を   >

スカイホテルに戻り、何度か大浴場の温泉を楽しみつつ、今日のまとめ、そして今回の旅行のまとめをします。今回は2004年から19年振りの九州旅行ということで、気合をいれて周りたいところをいろいろと周った結果、忙しい旅行とはなりましたが、行きたいところへ行って、確かめたいことを確かめ、撮りたい写真を撮りたい角度で撮って、その結果、とても穏やかで幸せな気分を味わうことができ、そしてこれからの自分の短い人生においても、自分を助けてくれるような体験を得ましたので、とても良い旅行になったと思っています。また、60年前の父と母の新婚旅行の足跡を辿ることにより、父と母を「連れて」旅行をしたつもりの私でしたが、諏訪神社やグラバー園や崇福寺で心穏やかな時間を過ごした時や雲仙で雄大な景色の中に身を置いた時に実感したのは、私が父と母を連れてきたのではなく、父と母が私をここへ連れてきてくれたのだということでした。これはとても幸せな実感です。

100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル

「100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル」を   >

お夕飯です。昨日は私を含めて6組ぐらいが食堂にいましたが、本日は私一人ということで、ちょっとだけ、いい気分ですな。学生の団体さんは壁の向こうの隣りの部屋で、節度ある様子で食事をされていました。さて、明日は長時間のドライブとなります。今晩は早めに横になって、寝れるだけ寝てしまいましょう。

12日目2023年11月2日(木)

100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル

「100%源泉掛け流しの宿 雲仙スカイホテル」を   >

5時に起床し、7時にスカイホテルの朝ごはんを食べます。8時に宿を出発し、ガソリンを満タンにしてから島原道路の長野インターチェンジで自動車専用道路に入り、10時半に古賀SAでお土産を買って、12時過ぎに佐波川SAで休憩、14時20分から15時まで福山SAで仮眠、15時45分に吉備SAでガソリンを入れ、18時半から19時半まで土山SAで食事休憩です。

土山サービスエリア

甲賀市

「土山サービスエリア」を   >

土山SAのフードコートはとても賑わっていましたね。こちらでラーメンを食べてから、日付がかわるころを目安に神奈川へ帰ります。高速道路は走りが単調なんですけど、信号がないのはとても走りやすい、走りやすいが、景色も走りも単調で今一つツマラナイというのが私の感想です。とにもかくにも、有意義な旅行を実施し、無事に家へ帰りつくことが出来て、本当に良かったです。

13日目2023年11月3日(金)

【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】

1日目の旅ルート

みんなのコメント(0件)

投稿する

投稿に際しては、必ず観光ガイドご利用規約をご確認ください。
皆様がより快適にご利用いただくための「投稿上のルール」や、
投稿内容の利用に関して記載しております。

閉じる

この旅行記は参考になりましたか?参考になった!4

この旅行記をもとに旅の計画をつくる
この旅行記をカスタマイズして、あなたの旅の計画を作りましょう

さとけんさんの他の旅行記

(C) Recruit Co., Ltd.