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さとけんさんの京都府の旅行記

【京師の静寂】京都の旅3日目。早朝の清水寺を参拝し、隨心院・泉涌寺・三十三間堂と四条御旅町・田ごと。【2024年12月】

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今回の京都旅行は清水五条に宿をとりまして、賑やかな京都も落ち着いた京都も、様々な京都を楽しむことができました。1日目は夕方の清水寺から高台寺・八坂神社と周り、2日目は先斗町から平安神宮・南禅寺・哲学の道・銀閣寺・真如堂・青蓮院・圓徳院・霊山護国神社・建仁寺・六波羅蜜寺、3日目は早朝の清水寺から小野の隨心院・泉涌寺・三十三間堂・智積院・四条御旅町の田ごと、4日目は西本願寺から東本願寺・渉成園・相国寺・大徳寺・壬生寺・八木邸・東寺そして京都駅、5日目は伏見稲荷大社と周ってきました。この旅行記は3日目、京都3日目は早朝の清水寺を参拝し、東山駅から小野駅まで電車で移動、本堂の屋根が新しくなった隨心院で写経をして、小野駅から六地蔵駅を経由して東福寺駅まで電車で移動、泉涌寺・三十三間堂・智積院と歩いて周り、久しぶりの「四条御旅町・田ごと」にて京料理を楽しみました。本日の歩きは29,915歩・23.0kmとなりました。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2024年12月15日(日)

清水寺

京都市東山区

「清水寺」を   >

京都1日目の散策は、旅行記・『【殷賑の都】京都の旅1日目。夕刻の清水寺から高台寺へ【2024年12月】』をご覧ください。

2日目2024年12月16日(月)

青蓮院門跡

京都市東山区

「青蓮院門跡」を   >

京都2日目の散策は、旅行記・『【京都東山を歩く】京都の旅2日目。銀閣寺・真如堂・青蓮院・圓徳院と周る。【2024年12月】』をご覧ください。

3日目2024年12月17日(火)

ホテルSUI京都清水(旧ホテルアベストグランデ京都清水)

「ホテルSUI京都清水(旧ホテルアベストグランデ京都清水)」を   >

本日は4時50分起床、5時55分にホテルを出発です。今日は、清水寺の早朝参拝から始まり、東山駅から小野駅まで電車で移動して隨心院で写経をしまして、次に小野駅から六地蔵駅を経由して東福寺駅まで電車で移動、東福寺駅からは徒歩で泉涌寺、三十三間堂、智積院と周って七条駅から祇園四条まで電車で移動して、四条御旅町の田ごとでお夕飯を食べる予定です。

三年坂

京都市東山区

「三年坂」を   >

清水坂はまだほとんど人がいないですね。この画像は6時9分、左へ行けば三年坂(産寧坂)、正面へ登れば清水寺というポイントです。このあたりから徐々に観光客がチラホラとすれ違うようになってきます。

三年坂

京都市東山区

「三年坂」を   >

清水寺へのお参りの前に、まずは三年坂・二年坂・八坂の塔を周ってみることにしました。早起きの観光客とたまにすれ違うくらいで、ここは三年坂、静かな写真を撮ることができます。

三年坂

京都市東山区

「三年坂」を   >

瞬間的に全然人がいなくなります。一昨日の賑わいがウソのようです。

二年坂

京都市左京区

「二年坂」を   >

そしてこちらは二年坂(二寧坂)です。早起きして混雑を避けようという外国人観光客は少なからずいらっしゃるようで、まったく人がいないという感じではありません。

三年坂

京都市東山区

「三年坂」を   >

一昨日の晩に禅居庵で輝いていたお月さんが、今朝も綺麗に輝いておりますな。昼間なら大混雑の八坂の塔のフォトスポットも、この時間はまだ人が少なくて快適です。

法観寺(八坂の塔)

京都市東山区

「法観寺(八坂の塔)」を   >

おお、なかなか良いではないか。

法観寺(八坂の塔)

京都市東山区

「法観寺(八坂の塔)」を   >

昔の人が見ていた景色と、そう変わらない景色を楽しんでみました。

三年坂

京都市東山区

「三年坂」を   >

清水寺へ向かいます。空が明るくなってきました。

清水寺

京都市東山区

「清水寺」を   >

清水坂も人が少なくて歩きやすいですな。清水寺は朝6時から開門しています。

清水寺

京都市東山区

「清水寺」を   >

清水寺に到着、この場所には早朝にしてはけっこうな数の人がいらっしゃいます。

清水寺

京都市東山区

「清水寺」を   >

今日は月が綺麗ですからね、京都の日の出を清水寺の手前で、皆さんお待ちになっている模様です。

清水寺三重塔

京都市東山区

「清水寺三重塔」を   >

拝観料を支払って有料区間へ入って行くと、ここはそれほど観光客は多くないようです。

清水寺

京都市東山区

「清水寺」を   >

大黒天にも御本尊にも、並ぶことなくすぐ手前でお参りすることが出来ました。

清水寺

京都市東山区

「清水寺」を   >

清水の舞台の上もほとんど人が居なくて快適です。やはり冬の早朝は人が少なくて良いですな。

清水寺本堂

京都市東山区

「清水寺本堂」を   >

清水寺の本堂越しに明けてゆく京都の市街地をみます。今日もいいお天気になりそうですね。

清水寺音羽の滝

京都市東山区

「清水寺音羽の滝」を   >

そしてこちら、音羽の滝です。誰も並んでいないとは珍しい。これはぜひ水を汲まなくては! 観光客の私にとって、音羽の滝にこれだけ人がいないというのは滅多に無いことですよ。司馬遼太郎の短編集・「新撰組血風録」の一編・「沖田総司の恋」で土方歳三が、「ああ、これが音に名高い音羽の滝か。しかし本当かね」と訝しがった滝です。司馬遼太郎さんは「楓の枝がかぶさった石垣の上に、石樋いが出ている。その石樋いからほそい水が三すじ、糸をひくように落ちているだけである」と見事な写実で文章を書かれていますね。同小説で土方歳三は「あまり名高いから、轟々瀑々たる飛瀑だと思っていた」そうで、こういうセリフを土方に言わせるということは、司馬遼太郎さんは土方さんのことが結構気に入っていたんだろうなと、そんなことを考えました。私は存分に水を汲んで満足しました。

清水寺

京都市東山区

「清水寺」を   >

冬の早朝に、とても良いお参りができたと思います。

清水寺の紅葉

京都市東山区

「清水寺の紅葉」を   >

清水寺紅葉と紅葉の間に月が落ちてゆきますな。時刻は7時6分、清水寺を辞し、三年坂・二年坂を通って東山駅へ向かいます。

三年坂

京都市東山区

「三年坂」を   >

時刻は7時10分の清水は三年坂です。あれ?まだ人がいないね? と思われるかもしれませんが・・・

三年坂

京都市東山区

「三年坂」を   >

振り返ると既にこれだけの人出がありますね。今日も一日、清水界隈は賑わうことでしょう。

三年坂

京都市東山区

「三年坂」を   >

三年坂からの八坂の塔・フォトスポットもすでに三脚などを設置する観光客が集まり始めていますな。

二年坂

京都市左京区

「二年坂」を   >

二年坂は奇跡的に人がいらっしゃいませんね。とても歩きやすいし、立ち止まって写真を撮るのも楽にできます。画像の時刻は7時15分です。

ねねの道

ねねの道にやってきました。

高台寺

京都市東山区

「高台寺」を   >

高台寺の台所坂も静かですねー。

月真院 (御陵衛士屯所跡)

そしてこちら、月真院の門前を通ります。御陵衛士を結成した伊東甲子太郎は、1864年10月(以下、すべて新暦を使用)に新選組に加盟し、1867年4月に佐幕(新選組)か倒幕(伊東)かという思想の違いから新選組を離脱、ここ月真院を本拠地とする御陵衛士を結成しました。結局伊東は、その8ヶ月後に七条油小路近くで新選組によって暗殺されます。伊東の暗殺の3日前には坂本龍馬の暗殺があり、伊東の暗殺から約半年後には、近藤勇が処刑される。短い期間にいろんなことが起こっていた時代だったのですな。 1863年2月に近藤や土方が中山道を上って壬生に本拠地を構え、同年9月29日に天誅組、翌日9月30日に八月十八日の政変、同年10月28日に芹沢鴨一派の暗殺、同年11月6日に壬生浪士組は「新選組」と改名、1864年7月8日に池田屋、同年8月20日に禁門の変、10月に伊東が加盟、1865年3月20日に山南敬助が切腹、同年4月5日に新選組屯所が壬生から西本願寺へ移動、1867年4月24日御陵衛士結成、1867年11月10日大政奉還、同年12月10日坂本龍馬・中岡慎太郎の暗殺、3日後の12月13日伊藤甲子太郎の暗殺(油小路事件)、1868年1月12日近藤勇が狙撃される、1868年1月27日鳥羽伏見の戦い、1868年5月17日近藤勇の処刑、1869年6月20日土方歳三戦死。

円山公園

京都市東山区

「円山公園」を   >

時刻は7時31分、円山公園を通り抜けます。昨日の昼間に通り抜けた時には、多くの人がいた公園ですが、この時間はほとんど人が居ません。

知恩院

京都市東山区

「知恩院」を   >

知恩院にやってきました。お参りしていきましょう。今年も除夜の鐘の試し撞きは12月27日の14時からなんですな。

知恩院

京都市東山区

「知恩院」を   >

今朝はまだ参拝客も少ないので、写真も好きなように撮ることが出来ます。昨日訪れた際は、人が映り込まない写真を撮るのはなかなか大変でしたね。

知恩院

京都市東山区

「知恩院」を   >

本日は御影堂の中で法話が催されている最中でございますな。お堂に入ることは遠慮をしまして、外から合掌一礼のお参りをしました。阿弥陀堂は誰もいらっしゃいませんでしたので、合掌一礼でお参りをします。

粟田神社

京都市東山区

「粟田神社」を   >

知恩院の阿弥陀堂と御影堂の間を通って黒門を通り、青蓮院を過ぎてからすぐに右手へ折れてしばらく進むと粟田神社(あわたじんじゃ)に至ります。京の七口の一つである粟田口にあって東海道や中山道を歩く旅人から旅立ちの神として信仰を集めていました。こちらにお参りしていきましょう。

粟田神社

京都市東山区

「粟田神社」を   >

江戸時代の旅人もこちらに参拝したのだろうと、はるばる京都へやってきた旅人はホッとして、これから京都を出発する旅人は少し緊張して、お参りしたことだろうと勝手に想像します。参拝の後は東山駅から小野駅まで電車に乗り、隨心院へ向かいます。

隨心院

京都市山科区

「隨心院」を   >

時刻は9時に隨心院に到着、本日は写経をいたします。隨心院は門跡寺院(もんぜきじいん)で、小野御殿(小野門跡)とも呼ばれます。

隨心院

京都市山科区

「隨心院」を   >

500円玉ぐらいの水を墨で擦って墨汁を作り、般若心経を唱えてさぁ書くぞという段階が9時27分です。今回はお手本が透けにくくて、ちょっと筆のスピードが遅くなりました。

隨心院

京都市山科区

「隨心院」を   >

般若心経を書き終わりました。なんと時刻は11時55分です。書き始めから2時間30分かかりましたね。願い事や日付・名前などを書いて写経を終了です。受付で手続きをしてから、堂内の拝観をします。写経の部屋はストーブをつけていただいておりましたが、般若心経を写し終わってから、本日はかなり寒いということに気がつきました。

隨心院

京都市山科区

「隨心院」を   >

さて、堂内の拝観です。画像正面に見えるのが本堂ですな。綺麗になりましたねー。隨心院は「寛喜元年(西暦1229年)に後堀河天皇より門跡の宣旨を賜り、以来隨心院門跡と称され、来る令和11年(西暦2029年)には門跡宣旨800年の記念の年を迎えることになります」(隨心院公式ウェブサイト)ということで、現在各堂宇の修繕が為されています。2024年12月のこの日は奈良街道に面する総門が改修工事中でした。2022年には本堂屋根の瓦葺き替えがありまして、この改修に関してはクラウドファンディングが実施されて、わたくしも参加いたしました。2024年の5月17日の本堂落慶法要にてクラファンが御仕舞になったということで、私はそのあと初めての拝観ということになりますね。

隨心院

京都市山科区

「隨心院」を   >

クラファンのリターンがいろいろあったのですが、私は確か「お坊様の案内付き特別拝観」とか「本堂に名前の奉納」とかありましたけど、日程などが合わずに遠慮しまして、「本堂屋根瓦に名前の記載」というリターンだけを使わせていただきました。あの綺麗になった瓦のどれかに私の名前が刻まれているということになるのでしょう。この京都旅行の2日目の旅行記に記載した「知恩院の忘れ傘」や「大徳寺や知恩院の忘れ大工道具」に感じる「未来に対する4次元の旅の遊び心やその根底にある信仰心」のようなものに、私も参加をさせていただいたような気分でございますな。

隨心院

京都市山科区

「隨心院」を   >

隨心院は小野小町にゆかりのあるお寺でもありまして、こちらは小野小町の一生を描いた襖絵「極彩色梅匂小町絵図」(ごくさいしきうめいろこまちえず・2009年だるま商店 作)です。この襖絵は以前は撮影禁止だったと思います。どうやら2018年の春から撮影できるようになったらしいのですが、2022年12月に来たときも、2020年2月に来たときも、2019年の2月に来たときも、撮影可能になったことに気がつかなかった私は、なんともぼんやりとしておりますね。

隨心院

京都市山科区

「隨心院」を   >

本堂の御本尊・如意輪観世音菩薩(現在は秘仏)や他の仏様に合掌一礼でお参りをして、般若心経と真言を唱えました。良いお参りができました。

隨心院

京都市山科区

「隨心院」を   >

お庭も落ち着いて良いですね。隨心院はお気に入りのお寺の一つでもあり、また、江戸時代幕末前から幕末にかけての私の先祖にゆかりのあるお寺でもありますので、私にとっては特別なお寺です。再訪を期して隨心院を辞します。小野駅から地下鉄に乗って六地蔵駅でJRに乗り換え、東福寺駅で降りて、泉涌寺まで歩きます。

御寺泉涌寺

京都市東山区

「御寺泉涌寺」を   >

JR東福寺駅から地図サイトを参考に歩いて18分で泉涌寺に到着です。泉涌寺(せんにゅうじ)は皇室の菩提寺で、この大門は、もと京都御所の内裏の門であったとのこと。大門をはいると降り参道が現れます。この大門の受付で、まず拝観料の500円(伽藍拝観・仏殿から舎利殿まで)を納めます。

泉涌寺仏殿

京都市東山区

「泉涌寺仏殿」を   >

こちら「降り参道」と正面の「仏殿」です。時刻は13時40分、特に遅い時間というわけではありませんが、参拝客がほとんどいらっしゃらないので、とてもゆったりとした気持ちで参拝できました。

泉涌寺仏殿

京都市東山区

「泉涌寺仏殿」を   >

仏殿は1668年に四代将軍・徳川家綱公により再建された建物です。御本尊は「三世三尊仏」で、左に阿弥陀如来、中央に釈迦如来、右に弥勒如来が安置されています。そして、それぞれ、「左の阿弥陀如来は現在」・「中央の釈迦如来は過去」・「右の弥勒如来は未来」と過去現在未来の三世にわたって人類の平安と幸福を祈念しているとのこと。仏殿の大きな空間の高い位置に安置された三世仏に合掌一礼でお参りをしました。三世仏は過去・現在・未来の仏様ですが、鎌倉の浄智寺では左から阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来と、泉涌寺と並びは同じなのですが、阿弥陀如来が過去、釈迦如来が現在、弥勒如来が未来と、泉涌寺の三世仏とは担当時代が違うようですね。弥勒如来が未来というのは、多分誰もが合点がいく(56億7千万年後に現れると言われる)ところだと思いますが、阿弥陀如来や釈迦如来は、現在仏なのか過去仏なのかは、いろいろ考え方があるということらしいです。とにかく、泉涌寺では阿弥陀様が現在、お釈迦様が過去の守護尊ということですな。

泉涌寺御座所

京都市東山区

「泉涌寺御座所」を   >

そしてこの先の御座所と海会堂及びお庭の拝観は、ここ本坊の入口で特別拝観料500円を納めます。この先の御座所など建物内部の撮影はできません。

泉涌寺庭園

京都市東山区

「泉涌寺庭園」を   >

御座所には畳の上に椅子とテーブルが置かれて、椅子には菊の御紋章がついています。お庭が落ち着いていてとても良いですな。時々、鳥の鳴き声がしたり紅葉が落ちたりして、雲もダイナミックに移動していきます。紅葉の最盛期を過ぎたお庭というのも、しみじみとして良いものです。変わりゆく雲を観ていると世の中の常ならずを感じます。

泉涌寺庭園

京都市東山区

「泉涌寺庭園」を   >

この御座所には30分弱滞在したのですが、私の他の拝観者はついに現れず、静かな時間を過ごすことが出来ました。以前、泉涌寺にお参りしたのは2009年の9月に高齢の母を連れて京都を旅行した時でした。あの時は泉涌寺の境内で御蕎麦をいただいたなと、臨時のお蕎麦屋さんが出来ていて、おそばを母と二人で食べた想い出がありますな。結局、母との京都旅行はあの一度きりとなったのですが、(京都旅行のプランを)ああすれば良かったのになぁとか、あれは出来て良かったなとか、後悔と満足の想い出があの移り行く雲のように、湧いては動いて入り混じるという感じです。しみじみとした時間を過ごすことができました。

御寺泉涌寺

京都市東山区

「御寺泉涌寺」を   >

泉涌寺も私のお気に入りのお寺ですね。泉涌寺を辞し、三十三間堂まで歩いて移動します。泉涌寺から三十三間堂はJR東海道線を越える道で意外と近くて、歩いて20分ちょっとで行くことが出来ます。

養源院

京都市東山区

「養源院」を   >

三十三間堂の南大門をくぐると右手に養源院があります。血天井で知られるお寺ですが、本日はお休みのようですね。おやおや。門の左手に・・・。

養源院

京都市東山区

「養源院」を   >

なーんですかな、きみたちは? 門番ですかな。まったりしてていいですねー。

三十三間堂(蓮華王院)

京都市東山区

「三十三間堂(蓮華王院)」を   >

時刻は14時43分、三十三間堂に到着です。本日の拝観は16時まで、受付は15時30分までということで、拝観の人出もすでにピークを過ぎた模様で、それほど混んでいなく、それでも本日、私が行ったどのお寺よりも賑わってはいましたが、自分のペースで拝観することができました。三十三間堂は私は本当に好きで、1988年でしたか高校2年生の12月に同級生2人と、18きっぷで神奈川から、当時は大垣行の夜行電車がありましたから、京都には早い時間に到着したと思います。多分9時過ぎに生まれて初めての京都に着いたと。三十三間堂には何時ごろに来たのか覚えていませんが、堂内に入っても息が白くなるさむーい日で、足裏も冷たいのですが、現在よりもずっと観光客が少ない堂内に入って通路に出た時の、あの、はるか向こうまで金色の仏像がズラーッと並ぶ壮観かつ荘厳な景色に、すっかり心を射抜かれてしまったと。やはりファーストインプレッションというのは大事だなぁと思います。あの瞬間をなんとなく通過してしまう可能性もあったわけですからね。

三十三間堂(蓮華王院)

京都市東山区

「三十三間堂(蓮華王院)」を   >

時刻は15時40分、拝観を終え南西の角から三十三間堂の本堂を眺めます。通し矢はこの面で行われるわけですな。綺麗に並ぶ仏像を観ながら、私が子供の時も、父親や母親が子供だった時も、幕末も関ヶ原の戦いの時も本能寺の変の時も、いやいやそれよりもずっと前の平安時代から、この仏像たちは少しばかりの違いはあるだろうが、この状態でこのように並んでいたのだろうと、なんて不思議な事なんだろうかと、ジンジンと心に染みるようなお参りでした。三十三間堂を辞し、智積院へ向かいます。

智積院

京都市東山区

「智積院」を   >

三十三間堂から歩いて10分ほどで智積院に到着です。

智積院

京都市東山区

「智積院」を   >

今日は金堂の大日如来にご挨拶をします。智積院は無料で拝観できる区域(金堂、明王殿、大師堂、密厳堂など)と有料になる区域(講堂、大書院、名勝庭園と宝物館)とがあります。本日は金堂のみお参りに行きます。

智積院

京都市東山区

「智積院」を   >

大日如来に合掌一礼でお参りをして、金堂前から西の空をみると、ちょうど雲に夕陽が隠れています。日の入りまではあと1時間ばかりあるようです。さて、それではお夕飯を食べにいきますかね。今日は四条御旅町の「田ごと」へ行くつもりです。七条駅まで歩いて電車に乗って祇園四条で降ります。田ごとは17時から、祇園四条駅ではまだ16時30分より前でしたので、しばらくぶらぶらと四条から三条を歩いてみますか。

先斗町

京都市中京区

「先斗町」を   >

先斗町を歩いてみますか。昨日の早朝に歩いた通りです。

先斗町

京都市中京区

「先斗町」を   >

そろそろお店の提灯に灯が入り始める時刻ですから、通りを歩く人も増えてきてます。この通りの細さがいいですねー。

三条大橋

京都市東山区

「三条大橋」を   >

三条大橋の西詰、弥次喜多の銅像の横に立札があります。

三条大橋

京都市中京区

「三条大橋」を   >

三条大橋の擬宝珠にある刀傷についての案内板です。西詰から二つ目の北側と南側の擬宝珠に刀傷があり、池田屋騒動のときについたのではないかといわれているそうです。

三条大橋

京都市東山区

「三条大橋」を   >

こちらは南側の擬宝珠の刀傷です。画像は前日・2024年12月16日の朝6時48分に撮ったものです。さて、これが池田屋事件の際についた刀の傷という伝承・言い伝えはどれほど信ぴょう性があるのか気になるところですが、可能性の話にはなるのですが、実証実験が行われて池田屋事件の時についた刀傷の可能性は十分にあるという検証結果(刀で本気で振り下ろさないとこのような傷はつかない・池田屋事件の他に考えられる抗争がない)が出たそうです。面白いですねー。

池田屋跡

京都市中京区

「池田屋跡」を   >

三条大橋から少し西へ移動すると、「池田屋騒動之址」という石碑が建っていて、「池田屋」という飲み屋になっています。2000年代初めごろは確かパチンコ屋でしたよね。

池田屋跡

京都市中京区

「池田屋跡」を   >

飲み屋の池田屋の前には、事件のあった「池田屋」の見取り図や事件当日の経緯など詳細なデータが掲示してあります。読み物を読んだあと、三条から四条へ向けて戻りました。

京料理 御旅町 田ごと

京都市下京区

「京料理 御旅町 田ごと」を   >

四条御旅町の田ごとに到着です。17時にはまだ早いので店前で少し待ちます。このお店は私が若いころ、まだ20代のころですかね、一人で訪れた際に、とても丁寧に接客してくださって、良い思い出になっているお店です。改装されたようですが、お店の端入口の雰囲気などは昔のままの気がします。一人では予約が出来ないため、開店の時間に来て空いていれば、一人でもお店の迷惑にならないかなと思ってこの時間にやってきました。このたびも感じよくお店に通されて良かった良かった。

京料理 御旅町 田ごと

京都市下京区

「京料理 御旅町 田ごと」を   >

さて、本日もよく歩いたわい、乾杯でございます。今日は写経をしたり電車に乗ったりで、昨日ほどは歩ていないかもしれませんがね。

京料理 御旅町 田ごと

京都市下京区

「京料理 御旅町 田ごと」を   >

お造りが美味しかったですなー。身体に染みとおるような食事です。

京料理 御旅町 田ごと

京都市下京区

「京料理 御旅町 田ごと」を   >

そして光悦水指弁当をいただきます。お味も良いですし、食事が柔らかな癒しの時間になっておりますのでとても気分が良いですな。

京料理 御旅町 田ごと

京都市下京区

「京料理 御旅町 田ごと」を   >

二段目のお弁当です。

京料理 御旅町 田ごと

京都市下京区

「京料理 御旅町 田ごと」を   >

天ぷらも美味しいのじゃ。

京料理 御旅町 田ごと

京都市下京区

「京料理 御旅町 田ごと」を   >

お吸い物もご飯も美味でございました。

京料理 御旅町 田ごと

京都市下京区

「京料理 御旅町 田ごと」を   >

このわらび餅も美味しかったな。ごちそうさまでした。満足満足な良い時間でした。

八坂神社・ 御旅所 (西御殿)・冠者殿社

帰りがけに田ごとの近くの八坂神社・境外のお社である 御旅所 (西御殿)・冠者殿社をお参りしていきます。四条河原町でこの提灯の灯りはなかなか雰囲気がありますよ。

京都こまめはん

そして人通りの繁華な新京極商店街にて、こまめはんをお土産に購入。気分がよいのぅ。五条のホテルまで、歩いて帰ることにしよう。

団栗橋

というわけで、賑やかな四条河原町から南へ下って鴨川を団栗橋で渡ります。画像は団栗橋から四条方向を眺めたところです。団栗橋まで来ると、橋の上も鴨川沿いの大通りの歩道も歩いている人はぐっと少なくなりますね。

ホテルSUI京都清水(旧ホテルアベストグランデ京都清水)

「ホテルSUI京都清水(旧ホテルアベストグランデ京都清水)」を   >

ホテルに到着したのは18時45分、今日も良く歩きました。明日は早く起きて二条城近くの御金神社から六角堂をお参りして西本願寺へ歩を進める計画でしたが、昨日も今日もよく歩いて少し足が痛くなってきたので、明日の朝は少しゆっくりして西本願寺からスタートしようという風に計画を変更し、就寝です。

4日目2024年12月18日(水)

東寺(教王護国寺)

京都市南区

「東寺(教王護国寺)」を   >

京都4日目の散策は、旅行記・『【千年の王都】京都の旅4日目・5日目。西本願寺・東本願寺・大徳寺、そして東寺【2024年12月】』をご覧ください。

5日目2024年12月19日(木)

伏見稲荷大社

京都市伏見区

「伏見稲荷大社」を   >

京都5日目の散策は、旅行記・『【千年の王都】京都の旅4日目・5日目。西本願寺・東本願寺・大徳寺、そして東寺【2024年12月】』をご覧ください。

【京師の静寂】京都の旅3日目。早朝の清水寺を参拝し、隨心院・泉涌寺・三十三間堂と四条御旅町・田ごと。【2024年12月】

1日目の旅ルート

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