さとけんさんの京都府の旅行記
【千年の王都】京都の旅4日目・5日目。西本願寺・東本願寺・大徳寺、そして東寺【2024年12月】
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今回の京都旅行は清水五条に宿をとりまして、賑やかな京都も落ち着いた京都も、様々な京都を楽しむことができました。1日目は夕方の清水寺から高台寺・八坂神社と周り、2日目は先斗町から平安神宮・南禅寺・哲学の道・銀閣寺・真如堂・青蓮院・圓徳院・霊山護国神社・建仁寺・六波羅蜜寺、3日目は早朝の清水寺から小野の隨心院・泉涌寺・三十三間堂・智積院・四条御旅町の田ごと、4日目は西本願寺から東本願寺・渉成園・相国寺・大徳寺・壬生寺・八木邸・東寺そして京都駅、5日目は伏見稲荷大社と周ってきました。この旅行記は4日目と5日目、4日目は西本願寺から東本願寺・渉成園、相国寺から大徳寺、八木邸・壬生寺から東寺・京都駅と歩き、5日目はホテルを早朝にチェックアウトして伏見稲荷大社を早朝参拝し、高速バスの昼行便で帰りました。4日目の歩きは36,871歩・28.3km、5日目の歩きは9,912歩・7.6qとなりました。
神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代
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- 1日目2024年12月15日(日)
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京都1日目の散策は、旅行記・『【殷賑の都】京都の旅1日目。夕刻の清水寺から高台寺へ【2024年12月】』をご覧ください。
- 2日目2024年12月16日(月)
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京都2日目の散策は、旅行記・『【京都東山を歩く】京都の旅2日目。銀閣寺・真如堂・青蓮院・圓徳院と周る。【2024年12月】』をご覧ください。
- 3日目2024年12月17日(火)
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京都3日目の散策は、旅行記・『【京師の静寂】京都の旅3日目。早朝の清水寺を参拝し、隨心院・泉涌寺・三十三間堂と四条御旅町・田ごと。【2024年12月】』をご覧ください。
- 4日目2024年12月18日(水)
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本日は4時40分起床・5時30分出発の予定を変更して、5時50分に起床・6時50分にホテルを出発しました。今日お参りする予定だった御金神社と六角堂は、また次回ということなります。五条清水駅近くのホテルから西本覚寺を目指して西へ歩きます。
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五条油小路
西本願寺まで西へあと1ブロックというところで南北に走る通りが「油小路」です。画像正面が北、左が西という構図、つまり手前を左右に走る通りが五条通(国道1号)で、手前から正面奥へ延びる道が「油小路」ということです。この五条油小路から画像正面の北へ1.1km行くと、天正10年6月2日(ユリウス暦で1582年6月21日)早朝に、織田信長が明智光秀に襲撃された本能寺の現場になります。
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五条油小路
そしてこの画像は一枚前の画像と同じ地点から背後の南を向いて撮影した画像です。この地点から750mほど、画像正面の南へ進むと七条油小路となり、慶応3年11月18日(1867年12月13日)の夜更け、直前に新選組によって暗殺された伊東甲子太郎の亡骸を引き取りにきた御陵衛士と、待ち伏せしていた新選組が激突した「油小路事件」の現場になります。
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時刻は7時29分、西本願寺の敷地の東北の隅にある「太鼓楼」(重要文化財)にやってきました。1789年に建築された建物で、内部には二つの太鼓が現存しているとのこと。そして1865年4月5日(慶応元年3月10日)に新選組が屯所を壬生から西本願寺へ移動したあと、境内の東北にあったこの太鼓楼を使用していたそうです。この太鼓楼も新選組ゆかりの地ということになりますね。
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西本願寺の境内へ入ってきますと、いや、これは凄いな、色づいたイチョウの樹が見事ですし、その下の落ち葉の黄色もまた凄いです。イチョウのバックの御影堂と阿弥陀堂が規格外のデカさですのでイチョウの大きさが少しわかりにくいが、このイチョウの樹も十分に立派な樹です。そして画像左手にすこしだけ写っている樹齢400年の大イチョウはすっかり葉を落としているのに、こちらの樹齢が200年といわれるイチョウはまだまだ見ごろといえるでしょう。イチョウのバックの左手の建物が御影堂(1636年再建・2009年大修復)で、右手の建物が阿弥陀堂(1760年再建・1985年修復)です。
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こちらが阿弥陀堂(高さ25m・東西42m・南北45m)です。西本願寺の開門時間は5時30分、かなり早い印象です。ちなみに東寺は5時、東本願寺は5時50分(3月から10月)もしくは6時20分(11月から2月)、清水寺は6時開門、知恩院は6時開門、あとは平安神宮とか京都御所、このあたりが早朝拝観もしくは早朝散策可能なスポットと私は認識しています。それと紅葉の季節に7時30分に開門する天龍寺などもありますね。私は今はあまり夜行バスには使わないけれども、昔、夜行バスで早朝に京都に到着したという時にこのうちのどこかへ行ったり、あとはラーメン屋の「第一旭たかばし本店」が当時は早朝5時に開いていたので行ってました、しかししかーし、現在は「本家 第一旭 本店」と名称が変わって開店時間は6時から25時、ラーメンは一杯940円になっているようです。今回の京都旅行でも、新福菜館と第一旭が並んだあの通りに大行列が出来ているのを目撃しましたが、あの行列を見てしまうとなかなか行きづらい私です。
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こちらは御影堂(高さ29m・東西48m・南北62m)です。この日、西本願寺を訪れたのは7時30分でしたが、この時間は見かけた限りでは10人くらいの観光客がいらっしゃいました。境内もお堂も広いので、人の密度は本当に薄いです。御影堂でも阿弥陀堂でも熱心にお祈りをしている若い男性がいらっしゃって、まさにここは信仰の場であると実感いたしました。
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私にとって、西本願寺は、そしてこれから訪ねる東本願寺も、京都にきたなぁと、ああ京都だなと実感するスポットです。私が高校2年の時に初めて京都に来た時から、御影堂も阿弥陀堂も、そしてこの画像の御影堂と阿弥陀堂を結ぶ廊下も、何も変わっていないような気がします。まったくそのまま何十年と変わらない空間を実感する場所です。西本願寺を辞し、東本願寺へ向かいます。
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東本願寺へやってきました。いや、大きいなぁ。こちらは御影堂(1895年再建、高さ38m・正面76m・側面38m)で左手奥の建物が阿弥陀堂(1895年再建、高さ29m・正面52m・側面47m)です。さて、ナントカの中のナントカという極めて主観的な表現があります。例えば私の住む神奈川で言えば、横浜の中の横浜といえば私の中では「氷川丸と山下公園」です。ランドマークタワーとかみなとみらいとかではなく、ホテルニューグランドの前にある山下公園と氷川丸なんです。そして東京の中の東京といえば私の中ではやはり皇居です。東京タワーとか浅草寺も「東京の中の東京」という感じです。それでは「京都の中の京都」という少なくとも私の中での主観的な表現と断って考えるならば、どこであろうかと。私の中では、人生で一番最初の京都訪問で衝撃を受けた、三十三間堂、西本願寺、平安神宮、そしてこの東本願寺ですね。その時は東寺は行かなかったが、清水寺と金閣寺と仁和寺は行きました。そして宇多野にあったユースホステルに格安で泊まって、ミーティングに出たりしましたよ、ユースホステルのミーティング、懐かしいですねー。まぁ、とにかく、京都の中の京都、ここ東本願寺は私にとってそういう場所です。
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東本願寺における写真撮影については明確な表現で規定されています。とても助かります。
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本日はこれから行われる予定の行事のために、阿弥陀堂も御影堂も壇の扉が閉まっておりました。扉の向こうの阿弥陀如来に合掌一礼でお参りをして、黄金色に輝く欄間の透かし彫りを観ます。
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鳳凰でしょうか孔雀でしょうか。阿弥陀堂は植物や動物の彫刻が至る所にあります。
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阿弥陀堂の堂内です。畳は410枚敷かれているとのこと。
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そしてこちらは御影堂の堂内です。畳はなんと927枚敷かれているとのこと。
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こちらの欄間には天女の彫刻が施されています。妙なる音楽を奏でるという天女さま達がたくさんいらっしゃいます。
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「見真」の額から左へ、こちらのお二人は、楽器ではないのかな? 蓮の花と蓮の葉でしょうか。ちょっとわかりませんが。
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こちらの天女様は右手の方が「腰鼓(ようこ)」かな、左手の方は琵琶ですね。
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そしてこちらは右手の方が「横笛(おうてき)」、左手の方はシンバルみたいな「にょうはち」と呼ばれるものでしょか。これは私の推測ですよ。
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見真の額から右手に、こちらの天女様達は、楽器では無くて植物の枝の先に照明や傘が付いたものをお持ちのようですね。
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こちらは右手が「筝(そう)」、「こと」のことのようです。そして左手の方は、これが「横笛(おうてき)」ですかね、フルートのような。それでは先ほどの天女さまは「たてぶえ」なのでしょうか。わかりませんな。
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そしてこちらの天女様は右手の方がバチを持って叩く太鼓、左手の方は「笙(しょう)」でしょう。天女様に妙なる音楽を聴かせていただきたいものでございます。今日は堂内の彫刻をじっくりと拝見いたしました。東本願寺を辞します。
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さて、東本願寺からまっすぐ東へ5分ほど歩くと、渉成園に至ります。渉成園は東本願寺の飛び地境内にある庭園です。時刻は9時5分、開門したばかりの渉成園を散策します。
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印月池です。東の空にのぼる月をきれいにうつすということらしいが、なるほど、これはきれいに月が池に映ることでしょうね。
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侵雪橋の向こうに、まだまだ綺麗な紅葉を見ることができます。
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回棹廊(かいとうろう)という木橋を渡っていくと、池に反射した紅葉の赤がさらに橋の屋根に反射して、赤色に包まれるような、いや、いいですねー。30分ほど、落ち着いた日本庭園を散策し渉成園を辞します。五条の駅から今出川駅へ地下鉄に乗って移動しました。この時の電車は混んでいましたねー。
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今出川駅で降りて、京都御所と同志社の間を歩きますとほどなく相国寺(しょうこくじ)の総門に着きます。1797年に再建された門です。相国寺はその塔頭寺院に金閣寺や銀閣寺があるお寺ですので、
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境内はゆったりとして実に静かですね。
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1605年に建てられた法堂の前にて御本尊の釈迦如来に合掌一礼のお参りをいたしました。毎年、春と秋の特別拝観では法堂・方丈・開山堂の内部の拝観が出来ます。相国寺を辞し、大徳寺へ向かって歩きます。
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妙覺寺
大徳寺へ向かう道すがら、妙覺寺というお寺がありまして、門も参道も本堂も立派だなと、お参りしていきます。案内板によると、一時は、本能寺とともに、織田信長の上洛時の宿所とされ、千利休による茶会も催されたそうです。1582年に本能寺の変があり、妙覺寺がこの地に移ったのは1583年とのことですから、信長が滞在したのはここに移る前の話のようですが、凄い話だなと感じました。この門は、秀吉の聚楽第の裏門を1663年に移建したものとのこと。
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妙覺寺
そしてこちらが本堂だと思っていたのですが、今、この旅行記を書くにあたり調べていましたら、こちらは「祖師堂」とのこと、本堂はこの画像の左手にあるようですな。気がつきませんでした。妙覺寺を辞し大徳寺へ歩を進めます。
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時刻は10時53分、大徳寺に到着です。相国寺から歩いて35分くらいでした。さて、大徳寺は空いているかな?
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おお、これは期待した通りの大徳寺境内です。観光客らしい人はほぼ居ないですな。大徳寺は、大徳寺の山門・仏殿・法堂などの外からの見学のほかに、塔頭寺院の拝観ができまして、今までは、通常時に拝観可能な塔頭が「龍源院・瑞峰院・大仙院・高桐院」という情報でしたが、現在(2024年12月現在)は高桐院が拝観を休止中ということで拝観できません。そして他の塔頭は通常は非公開の塔頭がほとんどで、特別公開(京の冬の旅など)で公開される塔頭もあります。
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黄梅院
境内を歩いていますと、黄梅院の門があいていますねー。ここは通常は非公開の塔頭だと思っていたのですが、どうやら本日は拝観可能な模様です。すかさず門をくぐります。拝観料は1,000円でした。
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黄梅院
まずほ御本尊の釈迦如来にご挨拶をします。本堂前のお庭は「破頭庭(はとうてい)」です。明るくていいですねー。冬で葉が落ちて見通しと日当たりが良くなった、という感じですね。陽が当たる椅子に座って、ひなたぼっこをいたします。拝観者はほとんどいらっしゃらいませんでした。本堂は1588年もしくは1586年に建立され、破頭庭は天正年間に作られたということで、かなりの歴史です。ゆったりとした時間を過ごします。
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黄梅院
こちらは閑坐庭というお庭です。黄梅院を辞します。
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こちらが大徳寺の境内図です。20以上の塔頭があるようですな。
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こちらは大徳寺の仏殿です。山門と法堂との間にあります。1665年に再建されたそうです。
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大徳寺の御本尊は釈迦如来、仏殿の前から合掌一礼のお参りをします。天井画はこの仏殿が再建される前の仏殿(1479年再建)からの再利用とのことです。大徳寺は「山門」「仏殿」「法堂」を外から観ることができ、本坊(宗務本所や大方丈)は通常は非公開です。
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さて、大徳寺の塔頭の一つである高桐院です。コケの美しいお庭でお抹茶がいただける通常公開の塔頭として認識していましたが、この私の京都旅行の直前の情報で、拝観が出来ないらしいという情報に接しておりまして、その確認のために高桐院にやってきました。
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拝観を休止しています、と門前にありますね。残念ですが、2024年12月時点では高桐院の拝観は出来ないということで間違いありません。
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大徳寺の境内の静けさは格別です。長く留まるというよりは、通り抜ける感じでその風情を感じることができます。
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大徳寺の塔頭である瑞峯院にやってきました。
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こちらは「独坐庭」です。荒波に打ち寄せられても雄々と独坐している蓬莱山の風景とのこと、ハッキリとした砂の紋が特徴ですね。
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縁側に座ってしばしお庭を眺めます。ただ眺めるだけで良い、そういう時間が過ぎていきます。この後は鞍馬口駅まで歩いて電車にのり四条の大宮へ行く予定です。瑞峯院を辞します。
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シナモン レストラン
大徳寺から鞍馬口駅までの道中、カレーの良い匂いに誘われて今日はランチを食べようかとと「シナモンレストラン」に入り、Bランチ850円・チキンカレーを所望、ナンが大きいのだ。カレーも美味しく食べ応えがありました。
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四条通・坊城通
鞍馬口駅から電車に乗って四条駅で乗り換え、阪急京都線・大宮駅で下車。四条を西へ少し歩くと南北に走る「坊城通」が現れますのでここを左折して南へ少し歩いていきますと・・・
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四条通・坊城通
京福電鉄嵐山線の踏切を過ぎたあたりで、おお、前方に何か、見えてきましたね?
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時刻は13時53分、八木邸に到着です。本日は久しぶりに邸内へ入って案内を聴くつもりでやってきました。まずは画像右手の和菓子屋「京都鶴屋鶴寿庵」(こちらは現在の八木家の経営です)にて拝観の申し込みをしますと、案内が始まる時間(今回は14時10分)が伝えられますので、その時刻の5分前までに「京都鶴屋鶴寿庵」に集合するというシステムです。拝観料はガイド・抹茶・和菓子込みで1,100円で、ガイド時間は約40分ほど、お抹茶はガイドの後で鶴屋の店内でいただきます。私が八木邸へ上がってガイドを聴くのは22年ぶりあるいは23年ぶりという感じ、随分と久しぶりですな。八木邸の前の坊城通を歩いたことは何度かあるのですがね。
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ちょっと時間がありますので、八木邸の周りをブラブラとします。こちらは八木邸の対面にあります「新徳禅寺」です。新徳寺は清河八郎が浪士たちを前に「(建前は上洛する将軍をお守りするために京都へやってきたことになっているが)実は将軍ではなくミカドをお守りするのだ」と演説したお寺です。幕府側は清河の背信に驚き浪士一行を江戸へ戻そうとする。一方、浪士の中には清河の変節ともいうべき策を弄する行為に同調できずに、袂を分かって京都に残留する者が現れると。そして江戸へ戻らず京都に留まった人々のうちのひとつのグループが後の新選組となるわけです。
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壬生寺にやってきました。参道にハトが沢山いて、逃げずに寄ってきます。修学旅行生のグループがハトと遊んで楽しそうですな。
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壬生寺の御本尊は地蔵菩薩、正面の本堂は1967年の再建です。合掌一礼のお参りをします。幕末には新選組の武芸の調練が行われた場所とのことですが、境内の広さとしては現在と幕末とを比べると、幕末ではどのくらい広かったのかな。壬生寺の幕末当時の古写真など、残っていないものでしょうかねぇ。みてみたいなぁ。
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さて、時間になりましたので鶴屋に集合して、5人ほどの見学者とガイドさんとで八木邸の中へ入っていきます。この門をくぐりますと写真撮影はすべて禁止となります。ガイドさんのお話は非常に上手でして、知ってる話や言われてみれば思い出す話なども多いのだが、この現場で聴くと一味も二味も違う、ゾクゾクと伝わってくる、そんなひと時であります。鴨居の刀傷や芹沢鴨がけつまずいた文机などを目にしますと、まさにその瞬間に立ち会っているような気持になりますし、血を浴びた柱や庭の石畳や灯篭などは当時のままである、あの石畳を踏んで土方歳三が部屋に突っ込んできたのだなどと聴くとゾワゾワします。当時は長州などの敵対する浪士の犯行とみられて(みせかけていて)いたが、暗殺者の一人が土方歳三であったことを八木家の女将さんが目撃していた、これは彼女が普段から土方歳三のお世話をしていて見慣れていたので間違いのないところであるという話など、臨場感たっぷりでございます。最後の提灯の話、これは提灯の紋から福井の一条谷・朝倉家と八木家とのかかわりについてのお話でしたが、私は初めて聞く話でしたのでとても興味深かったです。
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40分ほどのガイドをありがとうございました。
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お抹茶と屯所餅を頂きます。いささか殺伐とした話が多かった後なので、ホッとしてお抹茶をいただきます。屯所餅は日保ちが4日ということでお土産に購入することを諦めたのですが、今思えばあのお餅も買ってくれば良かったなと、なかなか美味しいお餅(求肥)のお菓子でした。八木邸を辞し、坊城通を歩いて南へ下っていきます。坊城通を歩くのは、これがなかなかよろしい。何が良いって雰囲気が良いですな。車一台がぎりぎりで通るような一方通行の道なのですが、明らかに古道としての雰囲気を残しております。坊城通を南下すると京都産業大学附属中学校・高等学校にぶち当たりまして、ここで私は道を間違えて「壬生川通」に入って南下して更に「櫛笥通(くしげどおり)」に入ったわけです。この次の画像の櫛笥通も京都の古道の雰囲気が残っていてとても良いのです。が、しかし、一度外れた坊城通へ私か上手にリカバリーしておれば、輪違屋とか島原大門とか、花街の島原へ行けたのに残念なことをしましたな。やはり下調べは大事、行き当たりばったりも面白いですけどね、ちょっとの差で島原をスルーしてしまいました。
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櫛笥通 (くしげどおり)
私は島原大門へは夜更けに訪れたことがあります。あれも22年か23年前かという昔ですが、司馬遼太郎の「新撰組血風録」の「油小路の決闘」という一編、あの場所へ事件の同時刻に行ってみようと出かけました。伊東甲子太郎が暗殺された時間がだいたい22時前後だったと思いますが、その時間に現場である七条油小路へ私は行ってみました。そのまま西へ歩いて島原へ、島原も「燃えよ剣」等にちょくちょく登場する花街でしたので、今の島原は花街の跡地しかないということは承知の上で、弱々しい街灯の光を受けて暗闇に浮かぶ「島原大門」を見上げて、この下を通り抜けた多くの人々を想っておりました。そこへ、すぅーっと、小柄な高齢の女性が現れましてね。街灯に浮かぶその女性の垂れたほっぺたが、驚くほど白くて驚くほどきれいな肌、そして開口一番、「おにいさん、遊びに来てくれたのに悪かったね、もうやってないのよ、ここは」という内容の京言葉で私に話しかけてくれたんですよ。私はクラッとしましたねー。その瞬間に時間も空間もいつだかどこだか分からない感じの4次元の感覚になりまして、おそらく禁止法以前の島原を知るその小柄な老婦人としばらくお話をしてお別れしたのですが、とっても印象深い不思議なひと時であったなと、今でも懐かしく思います。
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さて、時刻は15時35分、東寺に到着です。壬生寺から歩いて35分くらいですね。思っていたよりも近いですな。京都を歩いてみると、京都は人々が歩いて造った街だということが良く分かります。京都ではちょっとした散策の途上に次から次へと観光スポットが現れる印象です。京都の他には東京が、一度焼けてしまっていますが、東京も歩いていろんな観光スポットへ行くことができますが、やはり京都は「歩く観光」に一番適した街だなと私は思います。
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東寺の紅葉も、最盛期を過ぎたとは言えまだまだ綺麗ですな。
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夕陽に照らされる五重塔も美しいです。金堂の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、そして十二神将にお参りして、続いて講堂の大日如来を中心とする立体曼荼羅にお参りです。東寺も私のお気に入りのお寺の一つです。特に仏像が好きです。大日如来のお顔がとても良いと思います。十二神将もいいですね。躍動感があります。
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金堂・講堂をお参りして、気持ちもすっきり、今回の京都旅行で行きたかったところ・やりたかったこと、すべて思い通りにできたと満足です。今回の京都旅行のテーマの一つに、インバウンドの影響がどのくらいあるのか、自分が今まで観てきた京都を果たしてこれからも観に行くことができるのかを確認したいというテーマもありまして、結果はどうだったかというと、インバウンドの影響は大きくあるけれども、それは場所と時間がある程度限られていて、私が京都へ行きたいと思った時にインバウンドの混雑を理由に京都行きを断念する必要はないんだなと、そんな感想を持ちました。ジャストタイミングな季節(例えば桜の最盛期とか、お祭りの期間だとか、紅葉の最盛期だとか)のジャストタイミングな時間(休日の昼前後など)の外国人に人気のある場所(ガイドブックで紹介されるような日本の中の日本という印象の場所や交通の便の良い場所)は、私は避けたいですけれどね、どれもを少しずつズラすと、今までと同じような静かな京都が、意外と(あるいは当然に)残っている、そんな感想を私は持ちました。とはいえ、現地で対応される方々・生活されている方々はズラしようがない、すべてを受け止めて対応しなければならないという点において、オーバーツーリズムは切実な問題として今ここに存在するだろうなとも感じました。
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さて、京都駅へ歩いて向かいます。こんばんは京都駅近くで何か食べようかと思っていたのですが、昼のカレー屋さんのナンが大きくてまだお腹が空かないな、お弁当でも買ってホテルで食べようかなと計画変更です。
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東寺から歩いて20分ほど、京都駅は大混雑でしたね。南北自由通路は南側の近鉄の改札付近から北の伊勢丹あたりまで、見渡す限り人の頭がずーっと続いているような感じ、南北自由通路沿いの駅弁屋さんで駅弁を購入し、京都旅行の直前にネットで注文していた阿闍梨餅を伊勢丹の地下で受け取って、あとは京都駅ビルを少し散策してみようと東側のエレベーターに乗ります。画像の中央に走るのが「空中径路」ですね。あそこへ行ってみましょう。
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京都駅は混んでいるのですがね、例えば2階にあたる南北自由通路とか1階にある中央改札口あたりやタクシー乗り場・バス乗り場は人が大勢いるのですが、駅ビルの東側のエレベーターって人の密度はぐっと薄くなります。
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東側のエレベーターから西側の大階段を観ます。この位置からだと電飾がハッキリクッキリ見えますねー。西側のエレベーターもそんなに人がいないですな。
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京都駅東側には京都タワーのフォトスポットがあります。靴型も描いてあって、その上に立って写真を撮ってもらうとタワーをバックにベストな写真になるというわけですな。
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京都駅ビルがグランドオープンしたのが1997年の9月、すでに27年経過しているのですが、まったく古臭さを感じないってのが凄いな。
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このエレベーターを昇ればいよいよ空中径路です。
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いやー、今日も空いていますね。空中径路って意外と空いているんですよね。ここまで来るルートがわかりづらいのかしらん? この時間はまだ17時前なのでライトアップはされていませんな。
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空中径路を西まで歩き、駅ビルの中のラーメン小路を抜けて屋上に上がり、暮れ行く京との街を眺めてから西側のエレベーターを降ります。右の大階段の電飾は下まで行かないとみられないのです。
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そしてこちら、大階段のクリスマス電飾です。遠くの東側のエレベーターから観たときよりも少し色が薄いのかな? やや上の遠くから見た方がハッキリと見えるライトの向きなのかもしれません。そして時刻は17時を過ぎましたので、再び空中径路へ向かってみます。この画像からエレベーターを降りずに、画像の左手へ行って、「広場」を東へ移動します。この「広場」もあまり人が居ませんでしたね。観光客はあまり通らない穴場的な場所なのかもしれませんね。
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再び空中径路へやってくると、おお。ライトの輪っかが次から次へ向こうからこっちへとやってきます。
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空中径路の途中から見た京都タワーもライトアップされておりますな。きれいな景色をみられましたし、今日も歩き疲れたので、そろそろホテルへもどりますか。
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帰りは東側のエレベーターを降りていきます。このプロジェクトマッピングも綺麗ですねー。人も少ないし、この穴場的な雰囲気がたまらないですな。
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駅から歩いて25分ほど、清水五条へ戻ってきました。清水五条は京都駅からだと、JR奈良線の東福寺駅で京阪に乗り換えると、電車だけで戻ってこられる場所でもあります。今回は歩いたのでわからないのですが、JR奈良線は17時を過ぎると帰宅ラッシュで混むかもしれませんね。この写真は17時41分、五条大橋から清水方向を撮った写真ですが、左を走る国道1号線はズラっと車が渋滞していました。
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ホテルに戻って、ハッピーアワー、無料の日本酒・山田錦とソフトドリンクのオレンジジュースを飲みまして、満足満足。今日も良く歩いたわい。
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本日の歩きは28kmほどになりました。最近は歩きなれていないからなのか、足の裏が痛くなりましたね。歩く旅の計画があるときは、旅行に出る前々から、少しずつ歩くのに慣れていくのがいいのですが、今回は準備が不足していたかもしれません。
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シャワーを浴びてから、こちらは本日のお夕飯、神戸の駅弁「すきやき弁当」でごさいます。美味しかったですよー。明日は早朝に伏見稲荷大社を参拝して高速バスで神奈川へ帰ります。
- 5日目2024年12月19日(木)
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本日は4時30分起床、シャワーを浴びて5時30分にチェックアウト、清水五条駅から伏見稲荷駅まで電車に乗り、伏見稲荷大社を参拝です。
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まだ、このように薄暗いのですが、チラホラと外国の観光客がタクシーや電車でいらっしゃってますね。
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とは言ってもやはり早朝、お参りをするには十分な人の密度の薄さです。
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こちらは楼門です。1589年に豊臣秀吉によって造営されました。
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外拝殿の向こうの本殿で二礼二拍手一礼のお参りをしました。さて、千本鳥居の方へ行ってみますかね。
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おお。まだ暗いが、観光客も少ないので好きなタイミングで写真を撮ることができます。
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さすが千本鳥居です。
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早朝から猫のお出迎え、しっぽを立ててご機嫌ですな!
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この写真を撮った時はわからなかったのですが、あとで拡大したら、可愛い顔をしてこちらを見ておりました。いろんな人がいるから虐められないように気を付けるんだよ。
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帰りのバスの時間もありますので、あまり奥へは行かずに途中で引き返します。
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明るくなってきました。参拝客も増えてきました。
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伏見稲荷駅
さて、伏見稲荷駅に戻ってきました。伏見稲荷駅から高速バス・京都深草バス停の最寄り駅である藤森駅は電車で2つ目の駅です。
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京都深草バス停(上り)
こちらが高速バスの深草バス停です。2年ぶりの京都旅行でしたが、充実していてなかなか良かったな。満足満足の京都でした。今度は京都市内の古道を歩いてみたいな。
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1日目の旅ルート
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