寒風沢造鑑の碑
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日本最初の洋式軍艦建造は寒風沢島でした - 寒風沢造鑑の碑のクチコミ
宮城ツウ イッツパパさん 男性/40代
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造艦の碑の全景です
by イッツパパさん(2017年12月撮影)
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由来が書かれていますが、字が薄くなっています。
by イッツパパさん(2017年12月撮影)
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幕末に日本最初の洋式軍艦「開成丸」(全長33m)の建造地になったことを記念して碑が建っています。津波で周りには何もありませんが、しっかり残っています。
- 行った時期:2017年12月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年12月8日
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寒風沢造鑑の碑の新着クチコミ
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指定文化財
指定文化財とされている寒風沢造鑑の碑を見学してきました。
浦戸寒風沢に建っていて、歴史を感じることができる寒風沢造鑑の碑、おススメです。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年7月
- 混雑具合:普通
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年1月13日
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仙台藩
この碑は 国防上の必要から仙台藩が幕末初めて西洋式機帆船 を建造した場に建っています。 歴史が好きな方にオススメのスポットです
詳細情報をみる
- 行った時期:2017年9月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年11月20日
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ノンキさんの寒風沢造鑑の碑のクチコミ
船着場から歩いて5分の場所にあります。
江戸時代末期、ロシアが日本との通商を求めてきたが、幕府はこれを拒否したため千島に報復攻撃を加えてきた。
幕府は仙台藩に出動命令を出し石浜水道より2,000人の藩兵を出動させ、北辺の警護にあたらせ、南下に備えさせ、後に仙台藩は蝦夷地の警備を命じられた。
養賢堂学頭・大槻習斎を中心に「開物、成務」の計画をたて武備をかためながら、西洋式新技術を採り入れ軍制改革を推進していた。
兵学主任小野寺鳳谷(寒風沢・石浜・船入島の砲台設計者)が藩命によって江戸の造船技術家三浦乾也を招聘し、寒風沢で着工、完成。
船の長さ110尺・幅25尺・高さ19尺2寸・2本マスト・洋式大砲9門を備えた日本最初の洋式軍艦として建造され、開物成務より開と成をとって開成丸と命名した。詳細情報をみる
- 行った時期:2008年6月
- 投稿日:2008年6月15日