西軍墓地
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よつつさんの西軍墓地のクチコミ - 西軍墓地のクチコミ
よつつさん 男性/60代
戊辰戦争の会津若松の戦いで多くの西軍(薩摩、長州など)の方が亡くなり、葬られているところでした。会津若松駅からも近くにありますが、ボランティアガイドさんの案内で初めて訪れることができました。
昔が偲ばれます。
- 行った時期:2010年9月17日
- 投稿日:2010年10月8日
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西軍墓地の新着クチコミ
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西軍墓地
2泊目は会津若松駅前のホテル、翌朝駅周辺を散歩しながら西軍墓地へ。戊辰戦争で敵として戦った西軍の戦死者をも丁重に弔う会津人の気質を感じさせます。
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- 行った時期:2018年12月23日
- 投稿日:2019年1月7日
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西軍墓地
戊辰戦争で戦死した新政府軍の精霊が眠る場所です。土佐藩、薩摩藩、長州藩、大垣藩などの戦死者が祀られています。それぞれ藩ごとに墓石がたてられていますが、薩摩藩の墓石が一番大きかった。
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- 行った時期:2017年10月12日
- 投稿日:2017年11月1日
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長州や薩摩の兵の墓地
会津若松の中心部の大通りから西側へ少し入ったところにありました。戊辰戦争で会津に攻めてきた長州や薩摩などの兵が眠る墓地です。多くの墓石が並んでいました。墓地はきれいに整えられていて、かつての敵などは関係なく大切にされているのを感じました。
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- 行った時期:2015年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年11月1日
マルンマーレさん
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150名の西軍兵士たちが眠る場所
会津戦争で若松付近で亡くなった西軍兵士150名の墓が、会津若松駅から歩いて5分ほどの場所にある。あの戦争で会津は遺体を暫く墓に葬ってやることすら禁じられ、また様々な理不尽を強いられたというのに、西軍墓地がこの地にあるというのが正直驚きだった。
会津戦争の際、この墓地の隣にある融通寺は錦の御旗を掲げていたので、さすがの西軍も破壊することは出来ず(城下のあらゆる寺が破壊された)駐屯所などとして使っていた。因みに、破壊こそしなかったものの、宝物を略奪したり寺のものを前庭で燃やしたりしていたらしい。その火は3日3晩燃え続けたそうだ。そして、戦死した自軍の兵士を埋葬するよう命令し、ここに墓地ができた。
墓石や刻まれた言葉、故人の名を複雑な想いで眺めつつ、静かに手を合わせてきた。歴史を考え、また歴史から学ぶことは大切なことだと改めて認識できる場所の1つである。会津ではたくさんの血が流されている。
今は隣に公園と幼稚園があり、子ども達の元気な歓声が聞こえる。その光景がとてもいい。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年7月17日