古河城跡
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古河城跡
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渡良瀬川 このあたりに巨城が存在していた。
城の堀ではありません。渡良瀬川堤防です。
このあたりも城内 今は河川敷
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評価分布
古河城跡について
鎌倉時代、源頼朝の家臣下河辺行平が築城したのが最初という。慶長6年松平康長が二万石で入封して近世城郭として整えられた。城主は幕府の要職にあったものが多く古河が日光、奥州の両街道に面した要地であったことを裏付ける。◎土井利勝(1573-1644)徳川秀忠の側近。秀忠没後古河城主となり、大老となった。◎土井利位(1783-1848)古河藩主。大坂城代、京都所司代、老中など幕府の要職を歴任。一方、雪の研究家としても有名。◎鷹見泉石(1785-1858)古河藩家老として藩主土井利位を補佐。蘭学研究者としても海外地理研究に名を残す。
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。
所在地 | 〒306-0033 茨城県古河市中央町三丁目 MAP |
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古河城跡のクチコミ
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巨大城郭驚きの城跡
城主歴代藩主が徳川幕府の幕臣を務める等、しかしそこには城の痕跡はない。おそらく城マニアにしか分からないであろうこ風景の裏側。観光には向きません。たぶん.....。古地図を手にこの地に立ち浮かび上がる巨大な城。ここまで歴史からも地理からも消し去られた城があるだろうか?...北九州の島ごと削りとられ海に消えた城、新幹線の駅や周辺の街並みに飲み込まれた長岡城跡。おそらくこれだけ大きく明治時代まで残りながらここまできれいに消えた城は無いのかも?出城跡が博物館として残されている。ここに行けば古河城が存在していたことがわかる。
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- 行った時期:2017年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2017年7月26日
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古河城跡の基本情報
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。
名称 | 古河城跡(コガジョウセキ) |
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所在地 |
〒306-0033 茨城県古河市中央町三丁目
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その他情報 |
時代
:江戸時代
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最近の編集者 |
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古河城跡に関するよくある質問
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- 古河城跡周辺のおすすめ観光スポットは?
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- 古河文学館 - 約780m (徒歩約10分)
- 古河歴史博物館 - 約730m (徒歩約10分)
- 鷹見泉石記念館(歴史的建造物) - 約790m (徒歩約10分)
- 古河のお休み処坂長 - 約950m (徒歩約12分)
古河城跡の訪問者傾向
みんなが行った時期
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1月
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2月
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3月
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5月
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6月
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7月
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8月
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9月
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10月
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11月
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12月
訪問者の特徴
- 滞在時間
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- 1時間未満 50%
- 1〜2時間 50%
- 2〜3時間 0%
- 3時間以上 0%
- 混雑状況
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- 空いている 100%
- やや空き 0%
- 普通 0%
- やや混雑 0%
- 混雑 0%
- 年齢層
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- 10代 0%
- 20代 0%
- 30代 0%
- 40代 67%
- 50代以上 33%
- 男女比
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- 男性が多い 100%
- やや男性多 0%
- 約半数 0%
- やや女性多 0%
- 女性が多い 0%
- 訪問人数
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- 1人 100%
- 2人 0%
- 3〜5人 0%
- 6〜9人 0%
- 10人以上 0%
- 子供の年齢
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- 0〜1歳 0%
- 2〜3歳 0%
- 4〜6歳 0%
- 7〜12歳 0%
- 13歳以上 0%