一宮城址(城山公園)
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標高約30mの台地上にあった山城 - 一宮城址(城山公園)のクチコミ
東京ツウ きよしさん 男性/20代
- 一人
一宮城は、周囲を山に囲まれた天然の地形を利用した標高約30mの台地上にあった山城です。築城と落城の時期は不明ですが、天正の初め頃(1573〜)に戦火で焼失したそうです。
- 行った時期:2017年8月
- 投稿日:2017年12月21日
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一宮城址
一宮城の築城は南北朝期ではないかとされるが、詳細は不明。永禄5年(1562年)城主内藤久長が館山城主里見美頼、万木城主土岐頼春、大多喜城主正木盛賢らに攻められ落城したという記録などがあるとされる。城址は「城山」と呼ばれ、曲輪が残っている。
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- 行った時期:2023年1月7日
- 投稿日:2023年1月19日
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一宮城址
文禄元年(1592年)本多忠勝の支配する大多喜領となった後、領主の変遷を経て明暦3年(1657年)には脇坂淡路守安元、また文政9年(1826年)には加納遠江守久儔によって陣屋が造られた。
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- 行った時期:2023年1月7日
- 投稿日:2023年1月19日
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一宮藩1万3千石の城跡
一宮藩1万3千石のお城跡です。
城主はもとは徳川吉宗の側近だった加納久通に始まる加納氏です。
市街から近く、最後の藩主・加納久宜のお墓があるところからは、街並みが展望できました。
また加納久宜は最後の藩主で鹿児島県知事のあと、この一宮町長になったそうです。詳細情報をみる
- 行った時期:2021年12月26日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年12月27日
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城の遺構は見当たらず
JR上総一宮駅の西方の高台、城山と呼ばれる場所が一宮城址みたいです。度重なる戦火により城跡は殆ど遺ってなく、地形のみが城址かと思われます。
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- 行った時期:2018年11月10日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年3月22日
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お城の跡
残念ながらお城自体は焼失してしまったということであとかたもない様子でした。ただ高台にあるので見晴らしはいいです。
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- 行った時期:2017年9月
- 投稿日:2018年8月7日