武田耕雲斎本陣跡
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へし子さんの武田耕雲斎逗留の陣屋及び山門のクチコミ - 武田耕雲斎本陣跡のクチコミ
福井ツウ へし子さん 女性/30代
元治元年12月11日、新保の本陣に着いた耕雲斎らは、
加賀藩の陣営に通行の許可を求めました。
しかし、天狗党追討軍を率いていた一橋慶喜はこれを許さず、
耕雲斎らは彼に対して敵対行為をとることは忍びないと降伏を決定しました。
- 行った時期:2010年10月26日
- 投稿日:2011年3月11日
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藤田東湖・戸田忠太夫と並び、水戸の三田と呼ばれた武田耕雲斎。
京都に上って一橋慶喜を頼り、水戸藩の現状と幕府の政策転換を訴えるべく、天狗党820余名を率いて中山道を進軍。
しかし、頼みの綱であった慶喜が天狗党討伐軍の総督に就いている事を知り、絶望の内に、ここ新保の陣屋にて降伏しました。
この人は暴走気味の若い志士達を抑えきれず、担ぎ上げられる形で天狗党首領になりました。
そして悲劇的な結末を迎えるわけですが、そのあたり西郷隆盛に似てるように思います。詳細情報をみる
- 行った時期:2013年5月23日
- 投稿日:2013年5月23日