芭蕉句碑(金ケ崎町)
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句碑ではなく鐘塚と呼ばれています - 芭蕉句碑(金ケ崎町)のクチコミ
三重ツウ こぼらさん 男性/50代
- カップル・夫婦
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by こぼらさん(2020年3月7日撮影)
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表示柱には「芭蕉翁鐘塚」と刻まれています。句碑ではなく、どうして鐘塚と呼ぶのか気になります。
南北朝時代(1336)、新田義貞はじめ南朝勢が恒良親王・尊良親王を奉じて金ヶ崎城に立て籠もり、足利軍率いる北朝勢が攻め立てました。最終的に金ヶ崎城を守っていた南朝勢300余名は自害して落城しましたが、城の陣鐘が北朝の手に渡らないように、落城前に南朝勢によって海に沈められました。芭蕉翁は奥の細道の旅で敦賀に寄った際に、この悲史にちなんだ句を詠みました。句に詠まれた鐘は金ヶ崎山近くの海に沈んだままなので、句碑を鐘の墓標にみたて「鐘塚」と呼ぶようになったようです。
- 行った時期:2020年3月7日
- 投稿日:2020年7月17日
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正面と側面に句が刻まれています
碑に刻まれた句を見つめても、「月いつこ」しか読めません。傍にある解説が頼りになります。「月いつこ 鐘は沈る うみのそこ」と刻まれているはずなのですが、そんなに文字数があるようには見えません。せいぜい「月いつこ 鐘」しか見えません。後で知りましたが、碑の側面に残る文字「沈るうみのそこ」が刻まれていたようです。
松尾芭蕉は「奥の細道」の帰路、中秋の名月の夜を敦賀で過ごしました。生憎の雨で月が全く見られず、金ヶ崎城落城の折に新田軍が陣鐘を海に沈めたとする故事にひっかけて、「月はいずこ?海の底に沈んで見つからない鐘を探すような思いだ。」という気持ちを詠んだのです。詳細情報をみる
- 行った時期:2020年3月7日
- 投稿日:2020年7月17日
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想いを感じることができました
芭蕉句碑を見ることができました。句は、義仲が味方の裏切りにより、難攻不落を誇った燧が城で敗れたことの無念さを偲んでいました。当時の想いを感じることができました。
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- 行った時期:2018年5月
- 投稿日:2018年5月11日
きよしさん
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句碑建立の背景に感心
敦賀市の金前寺にある芭蕉の句碑です。句碑には、「月いづこ 鐘は沈るうみのそこ」とあり、金ヶ崎の戦いに敗れた新田義顕の陣鐘の故事を詠ったものです。敦賀の俳人:白崎琴路がこの句が「おくのほそ道」に載らなかったことを惜しみ芭蕉の没後68年目に建立したものと聞き、なるほどと感心しました。
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- 行った時期:2018年4月
- 投稿日:2018年5月10日
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月いつこ鐘は沈るうみのそこ
金前寺の境内に芭蕉の句碑がありました。
「月いつこ鐘は沈るうみのそこ」
南北朝時代にこの地で足利軍と戦った新田義顕が、敗れた際に陣鐘を沈めたそうです。
その後に国守が鐘を引き上げようとしましたが、鐘は逆さに沈み、海底の泥に埋まり引き上がらなかった逸話を詠んだ句です。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年12月19日
- 投稿日:2018年4月16日
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北陸33観音霊場の番外札所
北陸33観音霊場の番外札所が金前寺です。
事前に北陸33観音霊場について、質問を1番中山寺に連絡したところ、
万が一、住職がいなくても御朱印が置いてあるので、それを集めてくだされば
こちらで閉じこむ冊子があるので大丈夫ですと言われました。
冬の雪深い間は、そうなることもあるらしいです。もう雪も解け、
ここの寺院でもとても、丁寧な対応をしていただき、
今後の遍路のアドバイスもいただきました。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年3月17日
- 投稿日:2018年3月20日