小浜城址
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小浜城址 - 小浜城址のクチコミ
自然ツウ とくちゃんさん 男性/60代
- カップル・夫婦
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小天守跡
by とくちゃんさん(2019年2月11日撮影)
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小浜城跡
by とくちゃんさん(2019年2月11日撮影)
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説明板
by とくちゃんさん(2019年2月11日撮影)
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城壁の一部
by とくちゃんさん(2019年2月11日撮影)
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天守跡
by とくちゃんさん(2019年2月11日撮影)
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雲浜古城図
by とくちゃんさん(2019年2月11日撮影)
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京極高次氏が関ヶ原合戦後に築城されて現在に至っている
近隣に駐車場は少なく来訪される方は事前に調べられた方が良さそうです
- 行った時期:2019年2月11日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年2月15日
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石垣ファンにはたまらない
城跡に小浜神社があるというか、城跡を小浜神社にしたというか、現在は城跡=神社です。その神社を囲む石垣は一見の価値があると思います。さらに、石垣のぎわにまで民家が迫っていましたが、あのうちの人たちは、毎日どんな気持ちで石垣を見上げているのでしょう。
なお、城跡は河口の中洲みたいな所にあるのですが、そこに渡る橋がかけかえ工事で車両通行止めなので、車では行きにくいです。詳細情報をみる
- 行った時期:2024年9月14日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2024年9月15日
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川に挟まれた場所にある神社
川に挟まれた小浜城址の場所に建てられた神社です。
社務所にお願いすると、御朱印を頂くことができます。
京極高次の出世にあやかり、出世まもりもあります。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年3月17日
- 投稿日:2018年3月20日
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京極高次の城の跡地
京極高次がお市さまの娘と結婚し、居城とした小浜城の跡地です。
川に挟まれた場所に築城された場所だけに、天守閣からは川に挟まれた美しい景色が、
・・・見れませんでした。
家々が見えるだけで、川も見えづらいですね。
そこは残念でしたが、地図を見ると、とても良い景色だったんだろうと感じました。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年3月17日
- 投稿日:2018年3月20日
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小浜城
小浜城があった場所になっていますよ。昔のお城にも興味を持っている人はこの場所にも行ってみるのがよさそうでしょうね。
詳細情報をみる
- 行った時期:2017年11月
- 投稿日:2017年12月25日
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ナビは小浜城址ではなく小浜神社の裏手を案内
小浜城は1601年京極高次により築城が始められたが、海と河川とを取り合わせた海岸城で工事は難航を極め後を継いだ京極忠高は完成を待たず1634年に出雲に転封されている。
替りに酒井忠勝が若狭の藩主となり天守閣などを作り、1641年、40余年の歳月をかけて完成したとの事である。
明治4年(1871年)に大阪鎮台分室改修工事中に本丸櫓(二の丸?)より出火し、大部分を消失し石垣を残すのみとなってしまい河川拡張により旧城地は削られ、現在では往時の面影は全くなくなってしまっている。
消失後の1875年に旧藩臣らにより藩祖酒井忠勝公を祀る小浜神社が建立されたのである。
城址は神社の奥にあるのである。だからナビは神社の裏手を案内したのである。
しかしそこからは城址の石垣までは辿り着けないのである。
数台しかない神社の駐車場に車を停める。鳥居の前には地元小学生の男女数人が群がりワイワイガヤガヤ言って中々立ち去らない。記念撮影が出来ないのである。元気で純真さ丸出しの子供達である。当然にどいてくれなどとは言えないのである。
この小浜神社にはかつて《9本ダモ》と言って樹齢500年とも言われたタブの木の巨木(9本の支幹が分岐したもの)があったとの事。国の天然記念物に指定されていたのであるが、2003年に最後の一本が枯死したため翌年に指定を解除されている。
しかし境内には巨木が2本育っている。1本は杉の木だがもう1本は詳しくないので判らないがタブの木であろうと思われる。
天橋立の智恩寺にある文樹と似ているので間違いはないと思う。なにはともあれ丈夫に育って欲しいものである。
さっきいた子供たちのようにである。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年5月13日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年8月16日