三國神社
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旅の浮雲さんの三國神社のクチコミその2 - 三國神社のクチコミ
福井ツウ 旅の浮雲さん 男性/50代
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by 旅の浮雲さん(2009年5月撮影)
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三国の一年の最大行事は矢張り三国祭りだろう。
山王神社から6〜7台の人形山車が出る。
毎年5月20日前後の3日間、中日に山車が出る。
人でも結構多いが近年廃れてきてはいる。
三国町(みくにちょう)は福井県の北西部、九頭竜川の河口周辺に位置していた町で、かつての北前船の拠点であり現在は越前がにやアマエビの水揚げで知られる港町。港付近の狭い路地には昔ながらの町並みがある。その北の東尋坊、雄島、越前松島と景勝が続く海岸はもとより、各種の娯楽施設や祭事などがあり観光に訪れる人が多い。
- 行った時期:2009年5月
- 投稿日:2009年5月21日
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聖なる静けさ
静けさの中に立派な神社でした
立派な建物に地元の方々が大切にされて手入れが行き届いていると感じるました
小雨が降っているのか分からないくらいの雨の平日に伺いましたけれど他の人には合わず
何か壮大な感じがしました
北陸三大祭りのひとつで、時期は賑やからしいですよ詳細情報をみる
- 行った時期:2024年12月10日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2024年12月11日
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三國神社 随身門
三国湊きたまえ通り南の細い路地を抜けると、いきなり大きな鳥居前に出ます。立派な銅板巻きの鳥居の先、石段上にはこれまた立派な随身門が控えていました。
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- 行った時期:2024年3月16日
- 投稿日:2024年3月20日
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豪商達の力でできた神社
継体天皇が生まれ育った三国の神社であり、継体天皇を祀っていると聞いたので、歴史的な関心で訪れました。
三國神社は、確かに古代の延喜式神名帳に名を連ねています。しかし、当初の三國神社は中世には廃絶してしまったようです。現在は継体天皇を祀っているものの、近くにあった水門宮(継体天皇を祀っていた)を明治初期に合祀したからです。
現在の社殿は、天保の大飢饉の時に難民救済事業として、三国湊の豪商・内田惣右衛門らが境内整備とともに改築を行ったものです。天保10年(1839)に完成しています。いわば、三国の豪商たちの力で造営された神社です。当時の三国湊の豪商たちの財力を物語っているのです。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年10月20日
- 投稿日:2018年10月31日
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屋根には菊と桜の紋があります
三国神社の拝殿。祭神は大山咋命と継体天皇ですが、継体天皇が合祀されたのは明治5年なので、もともとは大山咋命のみを祀っていました。江戸時代は日吉山王社という名称だったので、地元の人たちは今でも(おさんのさん)と呼んでいるそうです。
明治初期に、延喜式にも名を連ねていて由緒ある三国神社に改称する事を藩庁(県庁)に願い出たものの却下された事があったそうです。このため、しばらくは桜谷神社という名称になっていました。その後、継体天皇が合祀されて三国神社への改称が許可されたという経緯があります。
そのせいか、本殿の屋根飾りには菊と桜の紋があしらわれています。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年10月20日
- 投稿日:2018年10月31日
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鳥居前は三国祭の主舞台です
神社前には、広い通りと広場があります。北陸の三大祭のひとつ三国祭では、山車がこの通りと広場で勢揃いするのです。5月20日の正午に、三国神社前に奉納され勢揃いした山車6基は、午後1時に神社前から街中に繰り出すのです。
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- 行った時期:2018年10月20日
- 投稿日:2018年10月31日