沓掛城址
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今川義元が桶狭間前夜に宿泊した城 - 沓掛城址のクチコミ
愛知ツウ めたぼぼさん 男性/50代
- 一人
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城跡の石碑
by めたぼぼさん(2017年9月撮影)
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諏訪曲輪より本丸を望む
by めたぼぼさん(2017年9月撮影)
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永禄三年(1560年)今川義元が尾張討伐し、京に上るべく駿府を出て、桶狭間の前夜に着陣した城。現在は公園として整備され、本丸とそれを取り囲む堀、二の丸、諏訪曲輪が残っています。場所は豊明市の国道1号線の前後町交差点を北へ3kmほど行った所に在ります。
- 行った時期:2017年9月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年9月9日
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沓掛城址公園として整備されています
桶狭間の前夜今川義元が宿泊した城として知られていますが、現在は本丸や空堀や曲輪が遺構として残る公園になっています。公園と言っても遊具などはなく、花見や広場で遊んだり散策はできると思いますが、遺構の維持管理が大変だと思います。
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- 行った時期:2022年3月17日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2024年7月17日
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大河ドラマ「どうする家康」の影響もあって沓掛城跡へ
2023年の大河ドラマ「どうする家康」の影響もあって沓掛城跡に行ってみた。 公園として整備されているだけで往時を偲ばせるものはただ石碑「沓掛城跡」と案内板と井戸の跡だけであった。 芭蕉の「夏草や 兵もの、、、」が思い起こされた。
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- 行った時期:2023年4月24日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2023年4月24日
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沓掛城址
沓掛城は応永元年(1394年)頃、藤原義行が築いたと伝わる。明応元年(1492年)前後から近藤氏の居城となったが、永禄3年(1560年)近藤景春が桶狭間の戦いで戦死し空城となった。『日本城郭大系9』
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- 行った時期:2021年12月15日
- 投稿日:2021年12月18日
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お堀
小さな公園になっていますので、親子連れでボール遊びをしているのをお見かけしました。お堀があり跡地だったと気付かされる沓掛城址です。
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- 行った時期:2018年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年5月5日
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跡地
駐車場も完備されており、入り口側に、沓掛城についての詳しい説明がありますので、知識がなくても楽しめると思います。
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- 行った時期:2018年2月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年4月26日