芭蕉翁生家
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芭蕉の生活ぶりを再現 - 芭蕉翁生家のクチコミ
三重ツウ さくらさん 男性/50代
- カップル・夫婦
松尾芭蕉が29歳になるまで過ごした家。当時の生活ぶりが再現されています。奥庭には芭蕉が書斎としていた釣月軒も残っていて当時が偲ばれます。
- 行った時期:2015年11月
- 投稿日:2016年7月27日
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芭蕉翁生家の新着クチコミ
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内部は非公開でした
2019年12月10日現在、内部は非公開のようです。伊賀街道国道163号線沿い、農人町交差点付近です。内部は非公開のため見られませんが、国道沿いなので場所はすぐにわかるはずです。伊賀市内の句碑巡りと一緒に寄ってみると良いかも知れません。
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- 行った時期:2019年12月10日
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2020年6月9日
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現在改装中
松尾芭蕉の生家があったとされるところに建っている建物です。現在内部が改装中で中に入ることはできませんでした。
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- 行った時期:2018年12月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年12月22日
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当時の建物かどうかの真偽は別として
今まで伊賀市内の句碑ばかり鑑賞してきましたので、生家に行かずして芭蕉翁を語るなかれと思い、行ってみました。入ってすぐに、建物の様式が明治期以降のものではないかと感じ、受付の方に尋ねてみました。すると、芭蕉翁が活躍した時代以後に2回の大火があり、今の建物は19世紀後半に再建されたものだそうです。特に2回目の大火は、あの安政の大地震(1854)で、付近一帯が壊滅してしまい、どこに芭蕉翁の生家があったのかはっきりしない時期もあったようです。
ただし、ここが芭蕉翁の生誕地である事は、様々な文献やその後の学術調査によって、間違いないそうです。そうなると、釣月軒も再建されたものという事になってしまいます。また、門弟たちが建ててプレゼントしたとされる無名庵は、なぜ再建されなかったのかという疑問も生じます。
でも、そんな勘ぐりは野暮なのでしょうね。若き頃の芭蕉翁は、今も残っている釣月軒で処女句集「貝おほひ」を執筆し、俳聖となった後も帰郷した折には、ここで起居していたと信じて観覧するのが幸せだと思います。29歳で江戸に向かうまで、この場所で生まれ育ったのは事実なのですから。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年11月17日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年11月17日
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29歳まで過ごした生家
芭蕉翁は、1644年に、伊賀で生まれております。
6人兄弟の中で育っています。
幼少より藤堂藩の侍大将の藤堂新七郎家に奉公に出て、嫡男の良忠に仕えることになり、北村季吟(きぎん)に俳諧を学ぶ機会を得ております。
良忠の死後、俳諧を職業とするため、29歳で江戸へ旅立つまで、ここで暮らしております。
その後も幾度となく、伊賀に帰郷しています。
晩年には、
「旧里や 臍の緒に泣 としの暮れ(ふるさとや へそのをになく としのくれ)」
と詠み、懐かしい人々を偲びました。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年11月29日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年9月19日
vmisfさん
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俳聖の生家
伊賀市出身の松尾芭蕉が、幼少期から29歳までを過ごした家です。
建物の前には自分の臍の緒を見つけた時に詠んだ俳句の碑があります。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年11月14日
- 投稿日:2016年12月1日