大避神社
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巡礼 - 大避神社のクチコミ
歴史ツウ とうたんさん 男性/50代
- 一人
司馬遼太郎氏の「兜率天の巡礼」という小説に出てきた寺が実在すると知ってやってきました。
穏やかな海からの参道があり期待しましたが、無人で、少し荒れているような感じがしました。奉納されている船や絵などは立派なもののように思うのですが、野ざらしにされ残念。山側へは立入が禁じられているようであり、いすらい井戸の探索はできませんでした。
- 行った時期:2017年3月4日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年1月13日
- このクチコミは参考になりましたか?1はい
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大避神社の2022年04月の口コミ
京都広隆寺の近くの大酒神社は始皇帝を祀っているので、秦氏は始皇帝の末裔と言われている。始皇帝はユダヤ系と言われており、この神社は大闢神社と書いた。だいびゃく、つまりダビデのことである。なんと大避神社は古代キリスト教の礼拝堂だった!?
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- 行った時期:2022年4月29日
- 投稿日:2022年5月3日
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大避神社の2022年04月の口コミ
聖徳太子のパトロンで京都太秦広隆寺を創設した秦河勝が祭られている。聖徳太子に肩入れしすぎ太子没後は蘇我入鹿の圧迫を受け、京からこの赤穂に逃げた。秦氏は、6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団とされる。秦河勝は秦氏の族長的人物として聖徳太子の元で活躍した人物である。広隆寺近隣に大酒神社があり、こことの関係を探るべし。
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- 行った時期:2022年4月29日
- 投稿日:2022年5月3日
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大避神社の2022年04月の口コミ
「12の数のミステリー」。まず拝殿へ向う階段は12段。境内の井戸は12本の石柱で作られています。この神社への初穂料はその昔12銅で、今も12の倍数が収められているとか。また神社を守る社家も12家、祭りの日程も旧暦の9月12日、その祭りの祭礼船も12隻。ぜひ見てほしい拝殿の天井絵も、12×8枚あります。坂越を愛する哲学者、梅原猛さんの石碑を囲む石も12個。これは、河勝が12人の供人を伴っていたことからと伝えられています。
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- 行った時期:2022年4月29日
- 投稿日:2022年5月3日
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おまつりでした
坂の上にあります。日本遺産追加認定1周年北前船寄港地坂越浦まつりの講演中でした。次回は本殿を見学したいです。
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- 行った時期:2019年6月8日
- 混雑具合:やや混んでいた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2019年6月8日
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瀬戸内海三大船祭りの一つ坂越えの船祭りが有名だそうです。
祭神は、秦河勝・天照皇大神・春日大神で、船祭りの際には年に一度生島に入る事が許されます。
神社と生島は、どうも同一視されてるみたいで、秦氏の墓所は生島にあるそうです。
島と神社の間には、大きな駐車場とトイレがあり公園の様になっていました。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年12月29日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:お子様、配偶者
- 子どもの年齢:2〜3歳、4〜6歳
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2019年1月19日