天竺渡来大観音石像
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大観音さまが圧巻 - 天竺渡来大観音石像のクチコミ
グルメツウ まこさん 女性/60代
- 一人
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天竺渡来大観音石像
by まこさん(2014年6月撮影)
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壺阪寺の境内で一際目を引くのは、像高20m・総重量1200トンの大観音石像です。
インドから贈られたものだそうです。
人々を優しく見下ろしておられます、心が安らぐお顔です。
- 行った時期:2014年6月
- 投稿日:2018年7月4日
- このクチコミは参考になりましたか?1はい
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天竺渡来大観音石像の新着クチコミ
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圧巻です
近づけば近づくほど、その大きさに圧倒されます。
パワーを頂けたような気がします。
よくわからなくても、何かありがたい、そんな気持ちにさせられます。詳細情報をみる
- 行った時期:2023年3月
- 混雑具合:普通
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2023年4月1日
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高さ20m・重量1200トンの巨大石仏像
大観音石像は、禮堂や三重塔がある境内の中ではなく、公道を間にはさんだ丘陵地に立っています。昔ながらの境内の南側山林を切り開いて新たな境内が追加され、そこに巨大な石仏像が建立されたと表現した方がわかりやすいでしょうか。
南法華寺で最大の石仏像が「天竺渡来大観音石像」です。高さ20mで重量1200トンと解説されています。こんなに大きくて重い大観音石像を、そのままインドから日本へ運ぶのは無理なので、巨石を66個に分割して彫刻制作し、この場所に運び込んで組み上げたそうです。分割されているとはいえ、小高い丘陵地に運び込み、積み上げて石仏像として仕上げていく作業は、どんなに大変だったろうと思います。大観音石像は昭和58年に開眼しているので現代の技術を用いているものの、難工事だったのではないでしょうか。詳細情報をみる
- 行った時期:2020年2月11日
- 投稿日:2020年4月8日
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前住職がインドに貢献した証し
「天竺渡来大観音石像」は、南法華寺の先代住職・常磐勝憲長老が、ハンセン病救済事業などインドに多大な貢献をしたので、感謝のしるしとしてインドより贈られたものです。インドの文化勲章を受章している、最高レベルの職人と一門によって製作されたそうです。
それにしても南法華寺には、名前が「天竺渡来○○○石像」と付いている石仏像を多く見かけます。天竺という表現は、三蔵法師が仏教を学んだ古代インドをイメージしますが、現代インドという意味で用いられています。「天竺渡来○○○石像」とは、昭和から平成にかけてインドで製作され、南法華寺に来た石仏像という意味です。詳細情報をみる
- 行った時期:2020年2月11日
- 投稿日:2020年4月8日
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巨大
像の名に天竺渡来とあるように、インドからやってきた像だ。壺坂寺は1964年からインドでハンセン病患者の救済活動に取り組んでいるおり、その活動が縁で石像が制作された。高さは20メートル。真っ白な姿は遠くから見ても威容だ。石材はインド各地から調達され、現地で試作。66個に分けて日本に持ってきたという。涅槃像と「タッグ」で立つ姿は迫力満点。広い敷地が狭く見えるほどだ。
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- 行った時期:2019年7月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年7月22日
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天竺渡来大観音石像の2019年07月の口コミ
古寺ながらも今では海外の寺院と関係を持ち、寺内に巨大な石仏が多く安置されている。仏像の歴史を見ると、現在の明日香にアルカイックスマイルと言われる様式の仏像はアジアテイストが強かったが、鎌倉時代には独自の仏像様式が確立しており、宋の影響を受けながらも日本独自の仏像様式を確立して来たのだが、ここは先祖返りしている。背景としては、インド政府との交流のようです。壷阪寺前住職からのハンセン病患者救済事業を通してインド政府と付き合いが始まり、デカン高原の石を切り出し、大観音立像や涅槃像、釈迦一代記レリーフなどが納められ、今に至るようだ。
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- 行った時期:2019年7月6日
- 投稿日:2019年7月8日