八所宮
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天照大神ご両親など八柱神をお祀り - 八所宮のクチコミ
神社ツウ kingtutさん 男性/50代
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by kingtutさん(2013年12月17日撮影)
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by kingtutさん(2013年12月17日撮影)
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by kingtutさん(2013年12月17日撮影)
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八柱神は神武天皇東征の際に赤馬に乗り先導されたと。
原生林の神社の森全体が福岡県の天然記念物指定です。
- 行った時期:2013年12月17日
- 投稿日:2016年10月17日
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田舎の風景
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そんな気持ちをこの神社へ行く道すがら感じ、参拝を終えました。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年2月
- 混雑具合:空いていた
- 投稿日:2017年6月30日
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パワースポット
長い階段を上った先に本殿がありました。守り神として名高いそうで、厄よけの砂もありました。この日は吉留地区で梅祭りも行われていて賑わっていました。
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- 行った時期:2017年2月
- 混雑具合:やや混んでいた
- 滞在時間:1〜2時間
- 人数:2人
- 投稿日:2017年2月24日
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歴史のある神社だそうです
かなり古いお宮のようです。巫女さんにお伺いしたところ、相当古いお社だそうです。翼廊という特徴的な造りがあります。この翌廊に絵がかかっているのですが、相当な年代物のようです。弓道場もありました。
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- 行った時期:2017年1月12日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年1月22日
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神世七代中の四代を祀るという怪しい古社
唐津街道の赤間宿から鞍手に至る主要地方道29号線より、吉武小学校の反対側、県道287号線へ入って集落を抜けた辺りに坐す。
駐車場は少し先の県道沿い、その手前に御手洗池。白鳳2(674)年、神託により鶺鴒山上へ遷座するまでは、御手洗池前に鎮座したという。
八柱の神を祀るが故に、八所宮の名を持つ。明治の神仏判然令で合併させられた神社も少なくないが、貝原篤信(益軒)撰「續筑前國風土記」にも「吉富村八所大明神」と題し「惶根尊を正殿とす。泥土煮(本字は者に火)尊以下七神を合殿とす。すべて八神也。」とあり、当社は元から八所宮だったようである。
泥土煮尊(うひじにのみこと)・沙土煮尊(すひじにのみこと)
大戸之道尊(おほとのじのみこと)・大苫邊尊(おほとまべのみこと)
面足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
八所大明神と呼ばれたこの八柱は、國生み以前の男女神四組、神世七代中の四代。古事記では兄妹、日本書紀では不明。夫婦神とも。日本古来の聖数は二と八だから、その意味ではこの上なくめでたい数になる。
しかし古すぎて、これを祖とする氏族は記されていない。逆に言うと、此等の神を氏神とする氏族は無かったはずで、何者が何のために招いたのか。
續風土記では「宗像山」と題し、「赤馬村の上なる蘿が岳を云。…古老合傳えて昔神武帝日向より東征し、岡の湊に來り給ふ時、一神有て、赤馬に乗來たり、此里民に下知せり。土人是に於て、其の里を赤馬と名付けると云。」と伝える。社伝では、この神を八所大明神とする。蔦ヶ岳(つたがたけ)は、城山の古名。
小野道風の書と伝わる篇額は、遣唐使として渡航する旅路の無事を祈るため、当社に立ち寄り奉納されたものという。
遣唐使を廃止した寛平6(894)年に生まれた道風が、遣唐使の仕事に来たはずがない。
「赤」の地名は英彦山に鎮まる正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(まさか あかつ かちはやひ あめのおしほみみのみこと)に因むもので、吾勝野 → 赤 → 赤村と変遷した。つまり赤村と繋がりがあったはずなのに、そこを無視している。
神社なのに、曰く付きの「平和の鐘」がある。
怪しさ満点、しかし初代宗像大宮司が歌を詠んでいるので、宗像大社より起源は古いのかも。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年1月14日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年1月16日
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三文詩人さん
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八所宮
夫婦神4代8柱をお祀りすることから八所宮。境内は樹齢数百年の樫など県指定の天然記念物に指定されている。
階段が多いがゆるやかなので、あまり苦なく歩けます。詳細情報をみる
- 行った時期:2014年7月13日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2015年12月18日