大分八幡宮
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大分(だいぶ)八幡宮です。 - 大分八幡宮の口コミ
福岡ツウ おっさんさん 男性/40代
- 一人
大分(だいぶ)八幡宮と読みます。
地域では古い大きな神社の一つです。
福岡の筥崎宮の元宮だそうです。
県道から入る道は狭かったですが、
駐車場はあります。
私がお参りさせていただいたのは
正月(1月)だったので、社務所
が開けられており、ご朱印をいただく
ことができました。お守りも置いて
ありました。
敷地には大きな楠の木があり、見て
いると目にやさしい気がします。
神社の裏手にある丘は『古墳』です。
- 行った時期:2016年1月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年10月16日
- この口コミは参考になりましたか?5はい
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この地名は「だいぶ」と読む。これを倭王武の上表文と結び付け、九州王朝説の根拠の一つとなっている。
文中に「窃かに自ら開府儀同三司を仮し」とあり、これを三公三司(太師・太傅・太保)に倣ったと考える。魏は「師」の字を忌避して「太宰」と改めたから、太宰府市・飯塚市大分・小郡市大保をこれに充てる。
一方、伝説では、神功皇后が新羅遠征軍をここで解散したので「大分かれ」の地とする。話を聞く限り、どっちもどっちな気がする。
大分八幡宮は、筥崎宮の元宮である。御神体を箱に入れて持ち運んだから箱崎、それをショウケに載せて峠を越えたからショウケ越えという。
更に『八幡宇佐宮御託宣集』は「大分宮は我本宮なり」という。日本書紀では応神帝が宇瀰(宇美)で産まれたとしているのに対し、大分八幡宮境内に「応神天皇産湯の井戸」が残るから、こちらが本来の宇瀰ということか。
宇佐八幡は応神帝・比売大神・神功皇后をセットで祀るのに対し、大分八幡宮は応神帝・玉依姫・神功皇后を祀る。玉とは魂、玉依姫とは依り代となる巫女さんのこと、おそらく個人名ではない。比売大神=宗像三女神が無い、と思いきや、境内社「市杵島神社」があった。庭園の池に小島を作って祀る。
裏山には古墳が眠るという。階段を上ってみたが、梵字を刻んだ祠があるだけで、何者を祀るものか判らなかった。詳細情報をみる
- 行った時期:2015年1月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年9月6日
他1枚の写真をみる
三文詩人さん
-
お宮参りで行きました
良かった所…ほとんど貸切状態でした。駐車場が広い。静かで焦らずゆっくり写真が撮れた。神主さんが家族写真を撮ってくれた。
悪い所…特になし。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:お子様、親・祖父母、配偶者
- 子どもの年齢:0〜1歳
- 人数:6人〜9人
- 投稿日:2016年9月5日
-
見所が満載です
神社なのに楼門に仁王さんがいます。確かに他所の神社にもいます。しかし隣の養源寺にも仁王さんがいたのでふと疑問が湧きました。仁王さんは仏教の仏さんではなかったでしょうか。
更に天然記念物の楠や、それに負けない立派な楠が他にも数本あります。趣のある池があります。本殿右手奥には鳥居とそこから丘に登る階段があります。今回私が訪問した時は天気が悪かった為階段は登っていませんので、何があるかはわかりません。
決して広い境内ではないのですが、上記の如く見所の沢山ある神社です。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年7月2日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年7月2日
-
天皇ゆかりの八幡宮がこんなところに?!
天皇様の由来の地、大分八幡宮と書いて、だいぶはちまんぐうと読みます。ここは福岡から飯塚へのしょうけ峠の由来の地でもあります。こんなところに天皇家ゆかりの地があるとわ!!宇美八幡宮様とのご縁があるんです。「当宮は、神功皇后が朝鮮半島を攻めた後、粕屋(かすや)郡の宇美(うみ)村で応神天皇をご出産されてから、翌年の春、都にお上りの際、軍隊を引率されて、粕屋郡と嘉穂(かほ)郡の郡境にある、険しい山「ショウケ越え」を通って、当宮について、しばらく留まられた所である。」という、由緒正しきところなんですよ。建物自体はとても古くて、あまりなじみのない造りなのでとても新鮮です。そして、この裏手にはなんと古墳もあったそう。皆様一度足を運んでみて下さい。行った人にしかわからない、なんとも不思議な穏やかな空気につつまれます。他では見られない様々なものがここにはありますよ〜。白馬、右大臣、左大臣、産湯・・・一見は百聞にしかず・・・です!
詳細情報をみる
- 行った時期:2015年10月4日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2015年10月13日