狭野神社
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神武帝御出身地。 - 狭野神社のクチコミ
神社ツウ 三文詩人さん 男性/50代
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狭野神社鳥居
by 三文詩人さん(2016年8月撮影)
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狭野神社参道
by 三文詩人さん(2016年8月撮影)
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狭野神社太鼓橋
by 三文詩人さん(2016年8月撮影)
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狭野神社拝殿前
by 三文詩人さん(2016年8月撮影)
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狭野杉
by 三文詩人さん(2016年8月撮影)
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高原町に坐す。神武帝を祀る。
日本書紀の一書によると、神武帝は幼名を狹野尊と申し上げた。その名をいただく当社は、幼少期の神武帝を祀ることになり、宮崎神宮の別宮だったが今は独立したらしい。
付近に皇子原公園があり、その中の皇子原神社は、当社の元宮である。霧島六社権現の一に数えられ、同じくその一である霧島東神社にも近い。
「権現」とはインドから来た仏様が日本の神様として顕現したもので、本地垂迹説を前提しており、神仏混淆を推し進めた修験道に特有の表現である。何が言いたいかというと、ここは山伏が籠ったはずの山だ。
宮崎神宮に詣でた時に存在を知り、行ってみた。拝殿前の拝所など、建物は宮崎神宮に似る。
大きな違いは参道の木立で、山中深くでもあり、ほとんど森。狭野杉といって、樹齢400年以上を数えるとか。しかも高原にあって晴れ間は見えず、霧霞こそ掛かっていなかったが、聖地の雰囲気がある。しかし住むのは大変そうだ。
不思議でならないのは、当社の位置である。景行帝に敵対したはずのクマソ、古事記では熊曾、日本書紀では熊襲とする勢力を、風土記では球磨曽於と記す。これが球磨村から曽於市までの範囲を本拠としたのなら、高原町は球磨曽於のど真ん中にある。
それでは、神武帝はクマソの先祖なのか。日本武尊が熊襲を征伐したのは、兄弟喧嘩か跡目争いだったのか。そんなことは書いてないのだが。
駐車場の位置は判り難い。国道223号線沿い鳥居が建つ所に駐車場はなく、「高原町狭野」交差点を右折して少し上り、右に入った所にある。通り過ぎてしまい、裏側から参拝する羽目になった。
参道途中に小川が流れせせらぎの音が涼しげだが、夏は当然のように蚊が多い。
- 行った時期:2016年8月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年8月29日
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高貴な空気感
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- 行った時期:2019年4月
- 投稿日:2019年4月8日
takakoさん
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- 行った時期:2018年2月19日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
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- 行った時期:2018年6月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:親・祖父母、その他
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- 行った時期:2018年4月
- 投稿日:2018年5月4日
takakoさん
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杉木立
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- 行った時期:2017年9月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2017年10月17日