寺田屋
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寺田屋の口コミ一覧(2ページ目)
11 - 20件 (全149件中)
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- カップル・夫婦
坂本龍馬の寺田家 三十石船とは江戸時代に淀川を上り下りした客船です。
三十石船は長さ17m、巾2.5m船頭4人定員28名で上り一日又は一夜、下りは半日又は半夜を掛けて伏見と大阪の間を運行しました。江戸時代中期で約五十文、途中枚方に立寄ったそうです、ですが明治4年(1871年)に廃船になったそうです。建物は地震対策などの柱が外に有りますがいっまでも残してほしいですね- 行った時期:2020年2月9日
- 混雑具合:やや混んでいた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2020年3月1日
他10枚の写真
この口コミは参考になりましたか?37はい -
- カップル・夫婦
「寺田屋事件」として有名な旅館です。幕末の歴史を語るには欠かせない場所と言っても過言ではありません。現在の建物は当時のものがそのまま残っているわけではないようですが、資料館的な価値は充分あります。内部見学は有料ですが、是非入館することをお奨めします。- 行った時期:2018年6月
- 投稿日:2019年5月19日
この口コミは参考になりましたか?8はい -
- カップル・夫婦
部屋が昔ながらに残ってます
ボランティアの方が、臨場感たっぷりに
当時の様子を教えて下さり気持ちが
タイムスリップしました
おススメです- 行った時期:2019年3月
- 混雑具合:やや混んでいた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年3月31日
この口コミは参考になりましたか?7はい -
この口コミは参考になりましたか?2はい
-
- 家族
有料ですが、中の見物もおすすめします。
近代に名を残す方たちの軌跡を感じられました。
建物自体は狭いですが、随所に見どころがあり楽しめました。
最後の部屋に飾られている、30人程の名を知る人物達の集合写真は圧巻でした。- 行った時期:2018年10月
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2019年1月19日
グルメツウ もんくんさん 女性/40代
この口コミは参考になりましたか?2はい -
- 一人
伏見・中書島観光には外せないスポットと言えば寺田屋だと思います。王道の観光スポットだからか結構混雑しており、特に年配の方が多く見られました。
寺田屋は、坂本龍馬が伏見奉行に襲撃された場所として知られており、現在も旅館として使用されております。庭には龍馬の像や石碑等があり、内部は純和風かつレトロな趣きがあります。激動の幕末期の雰囲気が感じられる貴重な場所なので、坂本龍馬ファンは勿論幕末ファンにおすすめです!
※現在ある寺田屋は、当時のものではなく鳥羽・伏見の戦いの為罹災し再建されたものとの事です。- 行った時期:2019年1月10日
- 混雑具合:やや混んでいた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2019年1月18日
この口コミは参考になりましたか?20はい -
グルメツウ タヒロさん 男性/30代
この口コミは参考になりましたか?1はい -
- 友達同士
黒くてずっしりとした構えでした。寺田屋事件のあったところで歴史に残るところです。たくさんの方がカメラを片手にこられてました。歴史にまた、興味がわきました。- 行った時期:2016年5月
- 混雑具合:やや空いていた
- 人数:2人
- 投稿日:2019年1月8日
この口コミは参考になりましたか?1はい -
- カップル・夫婦
あの寺田屋事件のあった旅籠が今も宿として営業しているという、歴史好きにはたまらなそうなスポットです。残念ながら一足遅かったようで見学はできませんでしたが、外から雰囲気は楽しませてもらいました。駅前商店街にもほど近く、周囲は普通の商店や住宅が並んでいるというのも面白いです。まあ、旅館は温泉宿でもなければそんなに辺鄙な場所にはないですもんね。- 行った時期:2018年10月9日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年12月6日
この口コミは参考になりましたか?10はい -
寺田屋に行けば『寺田屋騒動』・『寺田屋遭難』・『京橋伏見口の戦い激戦地』等見どころがあります。
- 友達同士
『寺田屋騒動』文久2年(1862)薩摩藩は公武合体派と尊皇派(討幕)に分かれ同士討ちとなった事件です。寺田屋は薩摩藩士の定宿で、尊皇派は関白九条尚忠と京都所司代酒井忠義を襲撃し京都市街に火をつけるなど一気に討幕する謀議を企てますが、藩主島津久光が率いる公武合体派の知るところとなり集結していた寺田屋で説得を行いますが拒否され大混乱の切り合いが始まり尊皇派には多くの犠牲者が出ます。寺田屋に九烈士の碑がありますが、その後戦いに加わっていない者も惨殺や処罰が下されました。『寺田屋遭難』 慶応2年(1866)薩長同盟の仲介を行った坂本龍馬は寺田屋に宿泊しますが、伏見奉行の捕り方に襲われた事件です。深夜に風呂に入っていたお龍が取り方に気が付き裸のまま龍馬に危機を知らせました。龍馬は同宿していた長州の三吉慎蔵と防戦し龍馬は拳銃で捕り方数名を殺傷し、三吉は手槍で応戦しました。この時龍馬は親指を負傷しましたが裏木戸から脱出し近くの材木屋に隠れ事なきを得ました。その後西郷隆盛の助けによりお龍と九州旅行へ、これが日本初の新婚旅行と言われています。なお、この地は鳥羽伏見の戦いの地であり、近くに『京橋伏見口の戦い激戦地』の碑があります。- 行った時期:2018年3月
- 混雑具合:やや混んでいた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2018年9月28日
他5枚の写真
この口コミは参考になりましたか?13はい