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一切経を安置するお堂 - 三井寺一切経蔵のクチコミ

しどーさん

神社ツウ しどーさん 男性/40代

4.0
  • 一人

お堂の中には一切経を納めるための回転式の八角輪蔵がありました。
元々は山口県にあった国清寺の経蔵で、慶長7年(1602年)に毛利輝元から寄進され移築したものです。

  • 行った時期:2018年4月4日
  • 投稿日:2018年11月2日
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しどーさんの他のクチコミ

三井寺一切経蔵の新着クチコミ

  • 毛利輝元によって寄進された経蔵

    4.0

    カップル・夫婦

    歴史と格のあるお寺なのだ、と改めてこの一切経蔵を見上げて思いました。独特の厳かさが満ちている空間です。ここに数多くの経典が収められているのだと思うと、敬虔なきもちが沸いてきます。この形や趣がまた、厳かさを増しているように思います。

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    • 行った時期:2021年3月28日
    • 投稿日:2021年5月20日

    たれれったさん

    たれれったさん

    • 東京ツウ
    • 女性/40代
  • 八角堂のような大きい輪蔵

    5.0

    カップル・夫婦

    一切経蔵の中には、大きな輪蔵が収まっています。八面の上部全てに、屋根のような千鳥破風飾りが付いているので、輪蔵が八角堂のように見えます。こんなに大きくて立派な輪蔵は見たことがありません。収納している教典も多く重そうで、輪蔵として回して使えるのかどうか疑問に思います。
    一切経蔵と同時に、この輪蔵も山口から移築されたのでしょうか。そうならば、毛利藩は途方もない手間や経費を負わされたことでしょう。

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    • 行った時期:2020年3月6日
    • 投稿日:2020年4月30日

    こぼらさん

    こぼらさん

    • 三重ツウ
    • 男性/50代
  • かつて長州にあった

    5.0

    カップル・夫婦

    一切経蔵は、金堂から唐院に向かう参道の途中にあり、金堂を見下ろせる場所に立っています。室町時代の建築で、国の重要文化財です。
    この建物は、大内氏が国清寺(山口市)に建てたものを、毛利輝元が寄進して移築したものとされます。関ヶ原合戦で西軍の総大将をつとめた毛利輝元が、合戦に敗北した後の1602年に、はるばる山口から大津まで寺の移築をするとは不自然です。園城寺には、徳川家康が寄進・移築した仁王門や三重塔があるので、家康が輝元に半ば強制したのが実情でしょう。

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    • 行った時期:2020年3月6日
    • 投稿日:2020年4月30日

    こぼらさん

    こぼらさん

    • 三重ツウ
    • 男性/50代
  • 令和元年!国宝・金堂内陣参拝「秘仏結縁」F/P

    5.0

    一人

    金堂から天智、天武、持統の三天皇が産湯に用いられたという泉・閼伽井屋と弁慶鐘、孔雀を観た後は「一切経蔵」になる。ここは一切経を安置するための堂で、 内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられている。ちなみに、一切経蔵は1602年に毛利輝元によって山口・国清寺から移築されたそうです。

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    • 行った時期:2019年10月27日
    • 投稿日:2019年10月27日

    やんまあさん

    やんまあさん

    • 神社ツウ
    • 男性/40代
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