黒石寺
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歴史と修行の厳しさを感じさせるお寺です。 - 黒石寺のクチコミ
roverさん 男性/40代
- 家族
境内の建物や展示物に、歴史を感じさせられます。お坊さんが出てきて、お寺の中を丁寧に案内してくれます。このお寺は修行が厳しいことで知られており、冬に訪れると、山の中にあるお寺は寒さが厳しく、修行の大変さが伝わってきます。
- 行った時期:2012年10月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 家族の内訳:お子様、親・祖父母、配偶者
- 子どもの年齢:13歳以上
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2014年8月4日
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雰囲気良く
誰も居ない早朝に訪れたのて、木造造りの澄んだ空気を堪能した。ただお堂内はカーテンがかかっており、仏像を拝観出来なかったのが残念だった。
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- 行った時期:2024年10月
- 投稿日:2024年10月7日
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しっとりとしたいいお寺
残念ながら薬師如来拝観はできませんでしたがしっとりとしたいいお寺でした。ちょうど何かの撮影をしてました。
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- 行った時期:2022年11月6日
- 投稿日:2022年11月13日
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漂う静けさ
初めて行きましたが、とても雰囲気が良く漂う静けさの中、お前りをさせて頂きました。歴史を十分感じた時間でした。
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- 行った時期:2021年10月10日
- 混雑具合:普通
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年10月15日
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蝦夷の族長アテルイをお祀(まつ)りする薬師如来坐像が朝廷を威圧する
中尊寺からクルマで20分くらい。黒石寺(こくせきじ)がある。事前に電話連絡しておくことが必要。メールは返信が無い。
階段上,左に宝物殿があり,ここに薬師如来坐像。他の仏様は右手の本堂におられる。
●アテルイ
今から約1200年前,東北に住む蝦夷(えみし)は,大和朝廷の支配を受けそうになっていた。これに対抗したのが,族長アテルイである。蝦夷側は朝廷軍を大いに苦しめたが,結局,征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)に捕らえられた。田村麻呂は朝廷に対して助命を求めたが,802年に処刑された。
●アテルイの思い
アテルイの没後60年,薬師如来坐像がつくられた。お寺の方によると,都の情報に基づいて,この地方の方が作成したという。この大仏の165年くらい前の奈良 薬師寺の薬師如来坐像(白鳳期)が元。螺髪(らはつ,頭部にあり,多数の丸まった髪の毛)が大きすぎ,肉髻(にっけい,頭頂部の隆起)が不明確。この理由は,都の情報がちゃんと伝わらなかったためといわれている。
そうだろうか? 光背の化仏(けぶつ)である七仏薬師は普通のお顔だ。しかしこの薬師如来坐像のお顔は非常に険しい。薬師寺のそれを思い浮かべていたら,衝撃を受ける。背筋をしっかり伸ばし,遠くを見つめておられる。
●どうして薬師如来か
寺の起源は奈良薬師寺(法相宗)の僧による開山。古くは東光寺薬師寺とよばれていた。その後,天台宗に改宗され現在に。アテルイ像を薬師像にすれば,誰からも攻められないはず。この世に無念さを残したアテルイの思いをあらわす必要があったのだ。
●本堂には「オオタニ」持国天
本来,脇侍(薬師如来坐像の左右両脇)の日光・月光菩薩は,平安時代末期の作で,腕が細く,非常に女性的な像。薬師寺の肉感的なイメージとはまったく異なる。腰のひねりは,薬師寺同様に線対称であるが,腕は同じスタイル。向かって右の日光菩薩は,伸ばした右腕に曲げた腰が近づき,不安定な様(さま)。動きが明確。その反対が月光菩薩で安定した「静」だ。
本堂,向かって左に持国天がおられる。小顔に,しっかりした下半身。まさに「オオタニ」だ。おそらく東北におられた勇者がモデル。十二神将は,地元の方々のお顔をそのまま使っていて,ユーモラス。是非,お一人おひとりのお顔を見て欲しい。詳細情報をみる
- 行った時期:2021年6月9日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年6月12日
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奥州歴史の一部
開山の歴史は古く奥州征伐(9世紀)に遡る。明治期の火災ですべて灰塵になったそうで、本堂は再建。現在の水沢市街地や国道4号からもずいぶん離れた静かな地にあり遥か歴史に想いを馳せる。そばにある正法寺だけではない歴史のロマンを感じる。
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- 行った時期:2020年9月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2020年9月12日
やまさんさん