姉川古戦場
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しどーさんの姉川古戦場のクチコミ - 姉川古戦場のクチコミ
神社ツウ しどーさん 男性/30代
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by しどーさん(2013年2月26日撮影)
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史跡を巡る事が好きな戦国マニア以外には、全く需要がないと思います。
石碑と要所の解説が書かれた案内板があります。
他の要所にもおそらく案内板と、それに準じる何かがあるのでしょうが、他の要所には行っていないのでわかりません。
時間のある時に巡ってみようかな。
- 行った時期:2013年2月26日
- 投稿日:2013年2月28日
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姉川古戦場の新着クチコミ
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桜が綺麗な姉川
誠に雰囲気の有る場所でした。
二箇所あるので両方ご覧下さい。
現状、橋が通行止めのため、ご注意を!詳細情報をみる
- 行った時期:2023年3月27日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2023年3月27日
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浅井長政が陣取った場所である。
浅井朝倉連合軍と織田徳川連合軍の姉川の戦い=B数に勝る織田徳川連合軍が有利と思われていたようだ。この姉川古戦場跡と言われる野村には浅井軍8,000名が陣を構え、信長軍23,000名と姉川を挟み対峙した。援軍は朝倉軍10,000名は三田の地に於いて徳川軍5,000名と対峙している。
戦いの火ぶたは朝倉勢が徳川勢に攻め込んだことで切られることとなる。朝倉軍一・二番隊が姉川を越え徳川方の酒井忠次・小笠原長忠に攻め込んだ。数に勝る朝倉軍は最初こそ優勢を保ち酒井・小笠原隊を押し込むが、石川数正隊の援護によってじりじりと押し返す展開となって激戦となった。浅井勢も朝倉に遅れを取るなとばかりに奮い立ち、先鋒を務めた浅井四翼のひとり磯野員昌が織田軍に攻め込んだ。猛将として知られる磯野員昌は先鋒坂井政尚蹴散らしその勢いで信長本隊近くまで攻め込んだ。員昌の姉川十一段崩し≠ニいう逸話が残る員昌であったが後方に陣取っていた氏家直元・安藤守就らが押し返し、稲葉通朝側面を攻撃することによって浮足立ってしまい重囲を突破して居城の佐和山城へと撤退する。
浅井朝倉連合軍は、敗戦によって戦場から落ちて行くしかなかった。磯野員昌は居城佐和山城に逃げ帰った後、後に織田方へと寝返り浅井家滅亡の遠因となっている。両軍合わせて数千もの戦死者を出した姉川の戦いであったが、その血が姉川の流れを赤く染め現在でも地名として血原∞血川≠ニいう名が残り現在に至っている。
敗走した浅井朝倉軍ではあったが、浅井氏の居城小谷城は山城の上に急峻な崖に囲まれている天然の要害でもあるため、5km程の距離までは追撃したが、自軍の兵力などを考えて直接攻めることはせず、支城のひとつであった横山城を取り囲みこれを開城させ、秀吉を城番として置き、3年後の小谷城攻めの基礎固めをするに留まった。
元々近江守護京極氏・六角氏の元国人領主として台頭し、下剋上で戦国大名に成り上がった浅井氏ではあったが、最後は朝倉氏との忠義を重んじ滅亡の道を歩んだと捉えられるであろう。長政・お市に浅井三姉妹の悲劇の場所として例えられる小谷城、生き残れる手段はなかったのかと思えてならない。桜が咲き新野村橋・北国往完道路が横切る姉川の畔に立ってふとそう感じたのは、往時の景色がデジャビュとして広がったからだと私には思えてならなかった。詳細情報をみる
- 行った時期:2021年3月29日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年5月17日
他6枚の写真をみる
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とてもひっそりたたずむ古戦場です。
水曜どうでしょうファンにはおなじみの姉川古戦場址ですが、実際はとてもひっそりしています。
「姉川古戦場址」の大きな看板(新しくなっています)と説明立て札と慰霊碑、あとはバス停くらいです。
すぐ近くの野村橋が老朽化で通行止めで、古戦場址の目の前で道が行き止まりのため、とてもひっそりしています。
水どうファンや歴史ファンにはたまらない場所ですが、あまりにひとけがなさ過ぎて残念。
周りは川と田んぼと住宅に囲まれていて、その中に遺構が点在しているのですが、遠くまで見回してもどこにあるのかはっきりわかりません。
一か所だけ、公園になっている場所だけ探し出すことができましたが、他は見つけられませんでした。
せっかく看板や説明書きが新しくなっているので、もうちょっとルートや場所の案内看板を増やして、トレッキングついでに歴史探訪といった雰囲気になれば観光客も増えるのに。
感慨深かった分、ちょっと残念でした。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年10月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年10月15日
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人知れず・・・といった雰囲気
国道365号線の姉川に架かる野村橋のやや西側に車が通ることのできない橋があり、その北側に古戦場の石碑と案内板がひっそりと建っています。かつてここで大きな戦があったことを窺い知ることは難しいかもしれませんが、浅井氏の居城であった小谷城祉とセットで訪れると感慨深いものがあると思います。
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- 行った時期:2018年5月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年5月27日
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看板・説明書き・石碑があります。
橋のたもとに看板や説明書き、石碑などがあります。今は川や河原、田んぼなどが広がっているだけなので、当時の様子は想像するのみです。ただ、姉川の合戦が有名なので浅井はてっきりこの戦で滅びたと思い込んでいたのですが、今回ここの説明書きを読んでそうではないことを初めて知りました。やっぱり現地に来てみるもんですね。
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- 行った時期:2015年9月21日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年3月20日