名古屋東照宮
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尾張藩初代藩主『徳川義直』創建の名古屋東照宮、現在、正室『春姫』の御霊屋が名古屋東照宮です。 - 名古屋東照宮の口コミ
歴史ツウ もとや-んさん 男性/60代
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尾張東照宮由緒記
by もとや-んさん(2018年2月撮影)
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尾張東照宮1
by もとや-んさん(2018年2月撮影)
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尾張東照宮2
by もとや-んさん(2018年2月撮影)
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明倫堂跡・案内板
by もとや-んさん(2018年2月撮影)
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徳川家康の九男、尾張藩初代藩主『徳川義直』は、元和5年(1619)に名古屋城内三の丸に『東照宮(三之丸東照宮)』(現在の正門前駐車場〜金シャチ広場周辺)を勧請、南光坊天海を導師とし家康の神像を祀った。創建当時の境内は3600坪に本殿の社殿は権現造、楼門・唐門・渡殿・祭文殿などがあり、東照宮として最も豪華であったと伝わる。なお現在の『日光東照宮』は『徳川家光』が、寛永13年(1636)『寛永の大造替』により再建したものである。明治4年(1871)以降名古屋鎮台(軍隊)が城内に置かれ、明治8年(1875)旧藩校明倫堂(初代総裁細井平洲)跡地である現在地に仮遷座(翌年本遷座)その後『名古屋東照宮』として国宝に指定されていた。昭和20年(1945)5月14日の空襲により、名古屋城天守・本丸御殿等とともに義直以来の本殿など主要建造物は焼失した。現在の『名古屋東照宮』は慶安4年(1651)『徳川義直』の正室『春姫(高原院)』の御霊屋を昭和28年(1953)に尾張徳川家の菩提寺『建中寺』から移築し『名古屋東照宮』とされたものです。
- 行った時期:2018年2月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:6人〜9人
- 投稿日:2018年3月9日
- この口コミは参考になりましたか?2はい
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名古屋の東照宮
名古屋の東照宮です。那古野神社のすぐ隣にあります。
お手洗いは、道に出たところに公衆トイレがあるのですが、あまりキレイではなかったです。
参拝をして、御朱印を書いていただいている間に、お手洗いを利用しました。詳細情報をみる
- 行った時期:2023年7月28日
- 投稿日:2023年8月15日
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名古屋にも東照宮
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- 行った時期:2022年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2022年7月24日
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名古屋東照宮、家康ゆかりの神社
尾張藩徳川義直が、父徳川家康の3回忌大祭を行い翌1618年に名古屋城内三の丸に創建、三の丸東照宮と称され当時は3600坪あってと言われる当時は豪華絢爛の装飾を施し華麗なものだったという、かってはこの時期屋台も出てにぎやかだったが、数十年前より屋台などはなく、ある意味では昼夜問わず静かな雰囲気の中の本当の花見ができる、桜はほゞ満開に近い感じがし、三々五々人も訪れ花見を楽しんでいた。
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- 行った時期:2020年3月29日
- 投稿日:2020年3月31日
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境内の桜もほゞ満開
昭和20年空襲により主要建造物を焼失し、1954年(昭和29年) 建中寺より義直の正室春姫(高原院)の御霊屋を移築して社殿とした。愛知県の有形文化財、
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- 行った時期:2020年3月29日
- 投稿日:2020年3月31日
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名古屋東照宮
徳川家由来の東照宮静かな住宅街の一角にあった、昨年は御鎮座400年を迎えた、4月にとり行われる大祭は、那古野神社天王祭、若宮八幡宮祭と並び戦前は名古屋三大祭りとされた
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- 行った時期:2019年12月21日
- 投稿日:2019年12月27日