観世音寺
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九州随一の古刹 - 観世音寺のクチコミ
グルメツウ あきよしさん 男性/40代
- 一人
天智天皇が母君の冥福を祈るために発願されたという観世音寺は、九州の中でも由緒ある古刹といっていい存在です。
当時は壮大な伽藍が数多くあったようですが、現在の建物は江戸時代に入ってから立て直された講堂、金堂があるのみです。
それでも、境内には厳かで深遠な雰囲気が感じられます。
太宰府を訪れる人は、天満宮と参道をメインにされる人がほとんどかと思いますが、歴史好きな人であれば、この観世音寺と隣接する戒壇院付近まで足を伸ばすことをおすすめします。
華やかな天満宮周辺と比べて、地味に感じられるかもしれません。
でも、この一角には奈良時代からの歴史の断片の積み重なりが感じられるような気がして、たまに訪れたくなります。
- 行った時期:2018年9月
- 投稿日:2018年10月25日
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観世音寺の新着クチコミ
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非常に鄙びて奇麗な佇まいであるので、是非このままの姿を維持して貰いたい施設です
政庁跡から400m程の場所で、太宰府天満宮に向かう途中になるので立ち寄り易い寺である。境内入口の楠の古木は、半世紀前も同じ姿をしていたような気がする。本堂や鐘楼、碾磑、五重塔の礎石等は昔のままであるが、大分草臥れて来ている感が強く、周囲の樹木が育つ中で、人工の構造物はそれらに埋もれて消えてしまうような気配さえする。非常に鄙びて奇麗な佇まいであるので、是非このままの姿を維持して貰いたい施設である。
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- 行った時期:2023年7月22日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:配偶者、その他
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2023年7月28日
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巨大な仏像を収めた宝蔵は必見
観世音寺は、太宰府市役所の近く、太宰府政庁跡からも歩ける距離にあります。
最寄り駅は西鉄五条駅で、西鉄太宰府の手前の駅です。西鉄太宰府からでも20分で着きます。
昔は九州の寺院の元締めとして役割があり、巨大な堂宇が並んでいたそうですが、戦火で焼失し、現在は江戸時代に再建されたお堂が二つほど残っているだけです。
しかし、平安時代から鎌倉時代にかけての仏像16体が奇跡的に遺され、いずれも国の重要文化財に指定されています。
いずれもかなり巨大な仏像であり、大きなもので像高5メートルにもなります。
これらは同じ敷地内の宝蔵の2階に収められており、間近で見物することが出来ます。
この宝蔵周辺はコスモス畑としても有名であり、観世音寺はコスモスの名所としても有名です。
太宰府政庁跡からは5分程度ですので、一緒に観光するのが便利。詳細情報をみる
- 行った時期:2020年9月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2020年10月28日
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◆2020年なら博「毘沙門天 北方守護のカミ」◆
◆2020年なら博「毘沙門天 北方守護のカミ」◆九州を代表する仏像寺より「トバツ毘沙門天立像」が展示されていた。そうねんですよね、この仏像を見るたびに京都・浄瑠璃寺の本堂に安置させても違和感がないな〜と思う、一級品の仏像!
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- 行った時期:2020年2月10日
- 投稿日:2020年2月9日
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国宝の梵鐘がある
日本最古の国宝の梵鐘が、普通のお寺のように屋外にあったのにビックリしました。江戸時代に再建された金堂と講堂がありました。観光客の多い太宰府天満宮と違って、こちらはほとんど観光客が居なくて、静かで古寺を堪能できました。
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- 行った時期:2019年6月16日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2019年7月20日
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観世音寺の2019年05月の口コミ
かつては九州随一の古刹であり、現在も数々の仏教美術を残している。天智天皇が母親である斉明天皇の追善供養のために発願したとされ、以後、大宰府とともに歴史を積み重ねたが、大宰府の衰亡と共に衰退。
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- 行った時期:2019年5月19日
- 投稿日:2019年5月23日