Shotaさんの北海道〜山梨県の旅行記

北海道一周の旅−前編
- 1日目2024年5月10日(金)
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10:00-12:00
さかもと治療院(碑文谷)・しのみやクリニック(秋葉原)
いつもより早めにさかもと治療院へ。前立腺と腰痛と風邪の治療。右の胸に炎症があるとのこと。クリニックで体調を報告、処方をしていただいて、仙台へ向かう。
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18:00-19:00
仙台港フェリー・ターミナル
秋葉原から仙台港まで、約5時間のドライヴ。何とか出航受付時間に間に合った。「きたかみ」(2019年就航)に乗船、苫小牧へ。
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19:00-23:00
きたかみ・客室
体調、イビキ、睡眠などを考慮し、思い切って特等の個室にした。バス・トイレ付のツイン。普段は「起きて半畳、寝て一畳」の主義なので、豪華すぎて何だか落ち着かない。半世紀前は、東京から苫小牧まで枕ひとつでザコ寝だったのに・・・。風邪気味でセキも出たので個室にして正解。
- 2日目2024年5月11日(土)
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10:00-11:00
苫小牧フェリー・ターミナル
夜中何度か目を覚ましたものの、何とか眠って7時半に起床。11時、苫小牧港に到着。天候はご覧のとおり曇り。
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12:00-12:00
樽前山神社の創建は不詳。前身となる祠が江戸期、樽前山山麓に祀られたとも・・・。山を司る大山津見神、木々を司る久久能智神、原野を司る鹿屋野比賣神を祭神とする。
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15:00-16:00
幸福駅は半世紀前に訪れたときは、広尾線の駅であった。昭和62年(1987年)廃止。今は駅舎のレプリカが建ち、神社のような願かけの場に・・・。一帯は「交通公園」になり、気動車とモーターカーが展示されている。
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16:00-16:00
愛国神社の創建は明治35年(1902年)、香川県の開拓団が出雲大社の分霊を奉斎。大國主神を祭神とする。
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19:00-23:00
ホテルアルム IN オトフケ(音更町)
ホテルアルム IN オトフケは、何だか細長い造りのビジネスホテル。さっそく湯船に湯を溜めて疲れをとる。風邪と疲れで9時過ぎには就寝。
- 3日目2024年5月12日(日)
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00:00-06:00
ホテルアルム IN オトフケ(音更町)
早く寝たせいで5時ごろ目が覚めた。簡単な朝食を済ませて、6時半に出発。
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08:00-08:00
阿寒湖は釧路市北部に位置し、阿寒摩周国立公園に含まれる。天然記念物のマリモやヒメマスが棲息することで知られる。
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09:00-09:00
摩周第一展望台(弟子屈町)
摩周湖は弟子屈町にある湖。バイカル湖についで透明度が高いとされるが、霧でまったく見ることができない。それでも駐車場は有料・・・。
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11:00-12:00
網走監獄は明治14年(1881年)集知監(徒刑・流刑・終身懲役などの囚人を収容)の設置に始まる。当初「網走囚徒宿泊所」と称され、「宿泊所」が明治24年(1891年)に建てられた。他はそれに続いている。正門は大正13年(1923年)建築、昭和58年(1983年)再現構築。
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11:00-12:00
博物館の入場券に使われている舎房の写真。明治45年(1912年)建築、昭和60年(1985年)移築・復元。
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11:00-12:00
博物館内図 上部にある放射状の舎房の中心部に中央見張所がある。
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12:00-12:00
桂ヶ岡砦址(網走市)
桂ケ岡チャシ址 古くは川の名をとって、「イシメシナイチャシコツ」と呼ばれていたようだ。チャシ址内部には二箇の竪穴住居址があったというが、いまは埋められて見られない。北筒式土器や各種石器が出土している。『日本城郭大系 1』
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12:00-12:00
網走市役所郷土博物館
網走市役所郷土博物館の前身は、モヨロ貝塚を発見した米村喜男衛が資料の散逸を防ぐために、住友財閥の支援を受けて設立した北見郷土館。本館は田上義也の設計により昭和11年(1936年)竣工。
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13:00-14:00
サロマ湖は日本最大の汽水湖であり、長さ26kmの砂州によってオホーツク海と仕切られている。砂州や周辺には貴重な原生花園がある。
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14:00-14:00
道の駅 愛ランド湧別で「かけそば」を。北海道の蕎麦への期待が大きすぎた・・・。
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18:00-18:00
雨が降り、強風が吹きすさぶ中、宗谷岬にたどり着いた。宗谷岬灯台は日本国最北に位置する灯台で、明治18年(1885年)に点灯。
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18:00-18:00
宗谷岬 祈りの塔(稚内市)
「祈りの塔」は、昭和58年(1983年)サハリン西海域で起きた大韓航空機撃墜事件の二周忌にあたる、昭和60年(1985年)に建立。19.83mの高さは事件発生の年を、16枚の羽は遭難者の母国を、269枚の白御影石は遭難者の数を表している。
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18:00-18:00
宗谷岬公園(稚内市)
「あけぼの像」は昭和46年(1971年)北海道の牛乳生産量100万トン突破と飼育乳牛50万頭突破を記念して建てられた。牧柵をかたどった台座の上に、野良着姿の男女が立っている。
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19:00-19:00
JR稚内駅は日本国内で最北に位置する、宗谷本線の駅。大正11年(1922年)の開業当時は約2km南に位置していたが、6年後現地まで路線が延伸された。
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20:00-23:00
ホテル美雪(稚内市)
雨と風の中、8時すぎに稚内駅近くのホテル美雪に到着。やはり北国はまだ寒い!
- 4日目2024年5月13日(月)
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07:00-07:00
昭和35年(1960年)に建てられた記念碑。南極観測船「宗谷」で南極に渡り、置き去りにされて死んだ樺太犬15頭と奇跡的に生存していたタロとジロを記念して建てられた碑。
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07:00-07:00
氷雪の門は昭和38年(1963年)に建立された、かつて日本領土であった樺太で亡くなった日本人のための慰霊塔。高村光太郎の指導を受けた本郷新による彫刻。
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07:00-07:00
昭和20年(1945年)8月20日、樺太真岡郡真岡町の真岡郵便局で自決した九人の電話交換手の慰霊碑。昭和38年(1963年)上記「氷雪の門」とともに建立された。
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08:00-08:00
野寒布岬は稚内市ノシャップにある岬。アイヌ語に由来し、「ノッサム(not-sam)」(顎[=岬]の・そば)ではないかとされている。
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08:00-08:00
稚内灯台
稚内灯台はノシャップ岬に建つ灯台。明治33年(1900年)初代稚内灯台が点灯。併せて霧笛を設置し、吹鳴開始。
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11:00-11:00
「道の駅 おといねっぷ」でもやはり蕎麦を・・・。煮卵がのっている。ここの蕎麦はのどごしがいい。出汁もけっこう!
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12:00-12:00
名寄市北国博物館では名寄の冬、アイヌの自然と文化、四季の変化と名寄の花鳥木に関する展示がなされている。平成8年(1996年)開館。正面玄関の左側に5枚の板柱。アイヌにとって守り神であるシマフクロウが彫り込まれている。
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12:00-12:00
屋外に展示されているSL 排雪列車「キマロキ」編成。実際に運転席の内部を見ることができるので、マニアにはたまらないはず・・・。
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12:00-12:00
SL 排雪列車「キマロキ」編成 「(キ)機関車・(マ)マックレー車、(ロ)ロータリー車・(キ)機関車」によるキマロキ編成。
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14:00-15:00
「伝えるのは、命」をテーマとする日本最北の旭山動物園。昭和42年(1967年)に開園。動物の姿形を見せる「形態展示」から、行動や生活を見せる「行動展示」を平成9年(1997年)に導入。爾来注目を集め、来園者も急激に増加した。
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15:00-15:00
SDA 旭川教会(旭川市)
旭川にある教会。卒業生が牧師として働いている。
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15:00-15:00
作家・三浦綾子の直筆原稿、取材ノート、資料、プロフィール、書斎などが展示されている。平成10年(1998年)開館。外国樹種見本林の中にあり、散策するにもよい。
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15:00-15:00
代表作『氷点』の冒頭部分が彫られた文学碑が玄関前に据えられている。
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16:00-16:00
「四季の塔」は、美瑛町役場に付属する高さ44.5mの展望タワー。平成6年(1994年)町役場新築の際に建てられた。
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16:00-16:00
正式名称「展望花畑 四季彩の丘」は、7ヘクタールの広さを有する。季節によってラベンダー、ルピナス、コスモス、ヒマワリなど年間約30種類の草花が咲く美瑛を代表する花園。
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16:00-16:00
ラベンダーもまだ時期が早く、ただいま準備中という様子。
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16:00-17:00
「拓真館」は写真家・前田真三が昭和62年(1987年)に開設した自主ギャラリー。拓進という地名に真三の「真」と写真の「真」に因んで命名。無料で公開されている。
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16:00-17:00
「道は風景の中に捉えてこそ、道たりうる」という前田の基本理念と思えるような文章が入口に掲げてある。
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16:00-17:00
ライフワークとして取り組んだ「丘」の連作を常設展示する。
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17:00-18:00
富良野 ドラマ館(富良野市)
「富良野・ドラマ館」 外観は昭和17年(1942年)頃、開業当時の富良野駅を再現。富良野を舞台としたテレビドラマ三作品、「北の国から」、「優しい時間」、「風のガーデン」のオリジナル商品を販売している。
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17:00-18:00
風のガーデン(富良野市)
「風のガーデン」は花の香りや木々の緑を浴びるように味わうことのできるガーデン。ただし、有料。
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17:00-18:00
手づくりのクラフトを中心とするログハウスの店が林間に点在。「北の国から」に登場したキャンドルショップが再現されていたり、カフェなどもある。
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18:00-18:00
五郎の石の家(富良野市)
「北の国から」で、主人公の黒板五郎が建てた石の家。営業時間が過ぎ、風車、暖炉、石風呂などは見られず・・・。
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20:00-23:00
アパホテル & リゾート札幌(札幌市)
アパホテル & リゾート札幌は真駒内アイスアリーナの近くにあるかなり大きなホテル。富良野から強行軍で10時に到着。
- 5日目2024年5月14日(火)
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08:00-08:00
SDA 札幌教会(札幌市)
SDA 札幌教会。 この教会でも卒業生が働いている。
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09:00-09:00
「旧札幌農学校演武場」が正式名称。札幌農学校(北海道大学)の演武場として明治11年(1878年)に建設、3年後に時計台が設置された。 高いビルの谷間にひっそりと建ちつつ、観光客を集めている。
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09:00-09:00
アメリカ風ネオバロック様式煉瓦造の道庁は明治21年(1888年)竣工。道立文書館、道歴史ギャラリー、樺太資料館、北方領土館などが入っている。 現在修復工事中。
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10:00-10:00
安政4年(1857年)から札幌に進出していた早山清太郎が小祠に出雲神を祀り、次いで島義勇が明治3年(1870年)創成川畔に社殿を建立し、北海道一宮とした。大国魂神、大那牟遅神、少彦名神、明治天皇を祭神とする。
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11:00-11:00
札幌市円山動物園は昭和27年(1952年)開園。開設時はヒグマ2頭、エゾシカ、オオワシの3種4点にすぎなかった。平成30年(2018年)時点で、169種939点(昆虫類を除く)が展示飼育されている。飼育員の手で育てられたチンパンジー「レディ」がいる。
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11:00-11:00
「さっぽろ羊ケ丘展望台」は札幌市街や石狩平野を見渡すことができる市南東部の緩やかな丘の上にある。ウィリアム・スミス・クラーク博士の像が据えられていることでも有名。この像は北海道大学構内にある像に代わるものとして、昭和51年(1976年)建立された。台座に有名な "Boys, be ambitious !" という博士の言葉が彫られている。
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11:00-11:00
クラーク記念館にはクラーク博士の生涯、札幌農学校時代の資料、写真などが展示されている。
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12:00-12:00
輪厚パーキングエリア(北広島市)
輪厚 PA でやはり「かき揚げそば」をいただく。このそばはのど越しがよく、出汁もちょうどよい。
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15:00-15:00
本輪西展望所(室蘭市)
本輪西展望所から室蘭市街を望む。
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18:00-18:00
古部の大滝は、滝の沢トンネルの上を流れる滝の沢からの落水。落差は約50mあるという豪快な滝だが、足元が危険なため近づくことはできない。
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20:00-23:00
ホテル緑園通(函館市)
ホテル緑園通は下宿を兼ねたような長期滞在型のビジネスホテル。風呂に入ってホッとひと息。
- 6日目2024年5月15日(水)
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08:00-08:00
志苔館址(函館市)
志苔(しのり)館は、上野国から蝦夷に渡った小林氏が中世に築いたとされる山城。土塁・空堀・門構え址が残る。『日本城郭大系 1』
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08:00-08:00
「天使の聖母トラピスチヌ修道院」は、トラピスト会(厳律シトー会)系の女子修道院。明治31年(1898年)フランスから派遣された8名の修道女によって創立された、日本最初の観想女子修道院である。
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08:00-08:00
院の一般エリア以外は男子禁制。売店で売られている、焼き菓子マグダレナ(マドレーヌ)は函館土産としても知られる。
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09:00-09:00
「四稜郭」とは五稜郭に対称してつけられた名。記録には新台場、神山台場とある。郭は五稜郭の北約3km の地点、権現山前部の傾斜地に、徳川脱走軍が明治2年(1869年)に築いた台場。『日本城郭大系 1』
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09:00-09:00
明治元年(1868年)箱館を占拠し、北海道を一時的に支配した徳川脱走軍は五稜郭を政庁とし、官軍との主戦場となるであろう渡島平野南端の抑えとして四稜郭を築いた。『日本城郭大系 1』
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09:00-09:00
「五稜郭」は、治安維持と蝦夷地の経営強化のため、函館山の麓に置かれた箱館奉行所に代わるものとして江戸幕府が元治元年(1864年)築いた平城(西洋式築城)である。遺構総構え・堀・石垣・胸壁などが残る。『日本城郭大系 1』
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09:00-09:00
新政府軍と旧幕府軍最後の戦闘である、箱館戦争(慶応4年/明治元年〈1868年−明治2年〈1869年〉)で榎本武揚率いる旧幕府軍の本拠となるが、明治2年(1869年)五稜郭では戦闘が行われることなく新政府軍に引き渡された。『日本城郭大系 1』 五稜郭公園には約1,600本のソメイヨシノが植わっており、五稜郭タワーは高さ 107mに改築された。
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09:00-09:00
SDA 函館教会(函館市)
SDA 函館教会。この教会は「三育保育園」を併設している。
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10:00-10:00
箱館戦争(慶応4年/明治元年〈1868年−明治2年〈1869年〉)末期、土方歳三が銃弾に倒れたとされる一本木門跡に近い若松緑地公園に碑が建っている。今も花がたえない。
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10:00-10:00
「はこだて明治館」は明治44年(1911年)道内初の郵便局として建造された旧函館郵便局。戦火に耐え、今日までその姿を残しており、ショッピングモールとして生まれ変わった。
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10:00-10:00
初代渡邉熊四郎が長崎から箱館に渡り、明治2年(1869年)大町に金森森屋洋物店を開業。これが赤レンガ倉庫の起源である。現在、ショッピングモールやビアホール・レストランなどが入っている。
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10:00-10:00
北海道第一歩の地碑 開道100年を迎えた昭和43年(1968年)日本中央競馬会によって寄贈された記念碑。北海道を思い起こさせるヒグマと船のイカリをモチーフにしているという。
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10:00-10:00
弁天台場址(函館市)
「弁天台場」は江戸幕府が安政3年(1856年)から文久3年(1863年)にかけて、箱館湾沖に建設した砲台。現在は函館ドック入口前に碑が建つのみ。
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11:00-11:00
國華山高龍禪寺は寛永10年(1633年)松前法源寺の僧・盤室芳龍が亀田村に創建した曹洞宗の寺院。明治12年(1879年)現地に移転。江戸期の絵師・蠣崎波響(かきざきはきょう)の傑作、「釈迦涅槃図」を所蔵する。 見事な山門である。
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11:00-11:00
旧ロシア領事館 函館の領事館としては最も早く開設された、ロシア帝国及びソビエト連邦の領事館であった。現在、ホテルとして再生する工事中。
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11:00-11:00
旧ロシア領事館(函館市)
明治36年(1903年)領事館建設が始まったが、翌年の日露戦争で中断、明治39年(1906年)完成。ロシア革命後、大正14年(1925年)からはソ連領事館となったが、最後の領事ザベーリエフが本国に引揚げた翌日、昭和19年(1944年)10月1日、領事館は閉鎖された。
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11:00-11:00
函館市船見町界隈
函館市船見町界隈には上記旧ロシア領事館、実行寺、船見公園などがあり、旧い洋館が残っている。
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11:00-11:00
「旧函館区公会堂」は明治43年(1910年)に竣工したコロニアルスタイルの洋館。明治40年(1907年)の大火で町会所が焼失、新たな集会所建設のため初代相馬哲平が五万円を寄付、工費五万八千円余りで完成した。ブルーグレー(青灰色)とイエロー(黄色)の配色は19世紀後半にアメリカで流行したヴィクトリア様式のもの。
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11:00-11:00
諸術調所址(函館市)
「諸術調所」は安政3年(1856年)函館奉行所の教育機関として幕府が設置した北海道初の学問所。蝦夷開拓に必要な知識や技術の開発、人材の育成を目的とした。
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11:00-11:00
イギリス領事館は安政6年(1859年)に開設。函館市に開設された領事館としてはロシア、アメリカに次ぐ。幾度かの大火に見舞われ、現在の建物になった。
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11:00-11:00
安政6年(1859年)の開港時、イギリス領事館は称名寺の境内に開設された。二回の移転を経、明治12年(1879年)の函館大火後、現地に建設された。領事館として使用されたのは大正2年(1913年)から昭和9年(1934年)まで。
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11:00-12:00
旧函館市庁舎(函館市)
「旧函館市庁舎」は明治42年(1909年)竣工。屋根窓や柱頭飾りのついたコリント式の柱など洋風建築の好例。現在は函館市写真歴史館、函館市元町観光案内所になっている。
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11:00-12:00
旧開拓使函館支庁書籍庫(函館市)
赤レンガ造りの函館支庁書籍庫は明治13年(1880年)築造。明治40年(1907年)の大火でも類焼を免れた。
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12:00-12:00
明治41年(1908年)築の相馬家住宅。当主相馬哲平は文久元年(1861年)新潟に生まれ、箱館に渡って米穀商を営んで財を築き、旧函館区公会堂建築に私財を投ずるなど箱館の発展に貢献した。
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12:00-12:00
社伝によると、保延元年(1135年)良忍が海上安全を願って建立。北海道最古の神社。塩土翁命、大綿津見神、須佐之男神を祭神とする。
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12:00-12:00
日本基督教団函館教会(函館市)
日本基督教団函館教会はメソジスト系の教会。米国メソジスト教会の宣教師・M.C.ハリスが明治7年(1874年)函館伝道を開始、三年後、教会堂が建設された。現在の会堂は昭和6年(1931年)建設。
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12:00-12:00
亀井勝一郎生誕の地に建つ碑には「私の家のすぐ隣は、フランスの神父のいるローマカソリック教会堂であった。・・・私は幼少年時代を、これら教会や寺院を遊び場として過ごしたのである。」という、『東海の小島の思い出』の一節が刻まれている。
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12:00-12:00
亀井勝一郎生誕の地
文芸評論家・亀井勝一郎(1907ー1966)は函館市元町に生まれ、終生函館弁を使い、函館のサケやイカを愛したという。『人間教育』、『大和古寺風物詩』などで知られる。
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12:00-12:00
カトリック元町教会は、安政6年(1859年)フランス人宣教師メルメ・デ・カションが建てた仮聖堂に始まる。次々火災に見舞われるが、焼け残ったレンガ壁などを補修し、大鐘楼が増築されて大正12年(1923年)現在の会堂が完成。
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12:00-12:00
函館ハリストス正教会は、安政6年(1860年)ロシア領事館に隣接して建てられた。大正5年(1916年)に再建された現聖堂は、ビザンティン建築の影響を受け、煉瓦造一部三階建ての平屋で基礎は石造り、外壁は白漆喰である。
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12:00-12:00
南部藩陣屋址(函館市)
南部陣屋址 寛政11年(1799年)幕府に箱館の警護を命じられた南部(盛岡)藩が設置した陣屋の址。函館山ロープウェイ「山麓駅」近くにあり、付近は南部坂と呼ばれている
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12:00-13:00
函館山ロープウェイは昭和33年(1958年)に開通。山頂からの旧市街地の眺望・夜景は素晴らしい。
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14:00-14:00
平成9年(1997年)、北海道初の横綱千代の山雅信とその弟子でもある横綱千代の富士貢が同じ福島町出身であることを記念して建てられた。二人が使用した横綱やまわし、両者の全勝額などが展示されている。
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15:00-15:00
松前神社は明治14年(1881年)松前藩主武田信廣を祭神として建立された。
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15:00-15:00
松前城は城主大名に格上げされた十七代・松前伊豆守崇広が安政元年(1854年)築いた平山城。天保・弘化期、漁場を求めて南下するヨーロッパ諸国を警戒し、辺警強化のため幕府が築城を命じたもの。『日本城郭大系 1』
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15:00-15:00
松前城に先立って、慶長11年(1606年)若狭武田氏の裔、武田慶広が「福山館」を築いたが、その史料は残っていない。 松前(福山)城址には、郭・外堀・石垣・本丸御門・本丸表御殿玄関・堀上門が残る。復興天守閣と七千本の桜が観光客を楽しませている。『日本城郭大系 1』
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16:00-16:00
海陽丸記念館(江差町)
海陽丸は幕末期、幕府海軍に所属したオランダ製軍艦。慶応3年(1867年)横浜へ入港したが、わずか1年数か月後、江差沖において暴風雨に遭い、座礁・沈没した。平成2年(1990年)復元、展示されている。
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17:00-17:00
江差追分会館・江差山車会館 「江差追分」、姥神大神宮渡御祭の山車(ヤマ)に関する展示施設。昭和57年(1982年)開館。
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19:00-23:00
ホテルカルチャービレッジ泊(泊村)
ホテルカルチャービレッジ泊は泊原発の近くにあるリゾート・ホテル。ウッド調のシャレた造りだ。
北海道一周の旅−前編
1日目の旅ルート
Shotaさんの他の旅行記
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2025/4/12(土)
- 一人
- 1人
世話になっている板金屋の社長さんが、この週末近くの神社で手筒花火をあげると教えてくださったので、...
35 2 5 -
2025/4/4(金) 〜 2025/4/5(土)
- 一人
- 1人
都内で治療・診察の後、伊勢崎市周辺の神社・古刹・城址と桜を訪ね、翌朝、こだま千本桜や間瀬ダムを見...
40 2 5 -
2025/3/22(土) 〜 2025/3/23(日)
- 一人
- 1人
桜開花の時期が来たので、静岡の神社・仏閣をまわり、子どものころから一度行ってみたいと思っていた佐...
50 2 9 -
2025/3/7(金) 〜 2025/3/8(土)
- 一人
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都内で治療・診察の後、天候は気になったが、能登を訪ねてみようと思った。やはり信州は雪でチェーン規...
42 1 6
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