国史跡白山平泉寺旧境内
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散策に最適 - 国史跡白山平泉寺旧境内のクチコミ
Fighting.Hippoさん 男性/70代
- カップル・夫婦
2度の台風の影響が色濃く残っていました。折れ散った枝葉が有ったものの
期待を裏切ることは有りませんでした。発掘現場まで足を延ばしましたが往時の規模の大きさに驚きました。
- 行った時期:2018年9月
- 投稿日:2018年9月14日
- このクチコミは参考になりましたか?2はい
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国史跡白山平泉寺旧境内の新着クチコミ
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苔が非常に美しいです!
雨が降っていたので、苔が非常に美しかったです。来年、特別開帳があると知ったので、是非伺えたら…と思っています。
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- 行った時期:2024年11月
- 投稿日:2024年11月4日
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かつての白山平泉寺はとても広大だった
白山神社に行くには、「史跡白山平泉寺旧境内」と表示された表示石から、杉巨木が並ぶ道を500mほど歩きます。入口がかなり離れているのも不思議ですし、白山神社と白山平泉寺とで呼び名が違っているのも気になります。
これは、かつての白山平泉寺が途方もなく広大な境内を有し、現在の白山神社の境内は、その一角に過ぎない事を物語っているのです。
かつての白山平泉寺は、最盛期の戦国時代には48社・36堂・六千の坊院が境内に建ち並び、約八千人もの僧兵が住んでいたといいます。白山信仰の一大拠点であり、強大な軍事力を有する政治拠点だったのです。16世紀の一向一揆により全山焼失したため、わずかに再興された部分が現在の白山神社として残ったのです。
「史跡白山平泉寺旧境内」入口からは、アスファルト舗装の車道と並行して、石畳の旧参道が続いています。旧参道は杉の巨木に覆われて昼なお薄暗く、石畳は苔むしてとても趣があります。旧参道に沿って苔むした斜面が続きますが、かつて参道に沿って建ち並んでいた坊院・塔堂の土塁・土塀跡のようです。斜面の上は平らになっていて、坊院があったらしい場所には石仏があります。風情を楽しみながら、ゆっくりと歩いて白山神社に向かいました。詳細情報をみる
- 行った時期:2023年6月10日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:2〜3時間
- 投稿日:2024年10月28日
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苔が美しい
苔の緑がとても美しかったです。駐車場からは割と歩きます。熊に注意の看板がいくつかあって、若干不安もありましたが無事に行けてホッとしてます。多くの人が参拝に来ていました。
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- 行った時期:2024年9月
- 投稿日:2024年9月24日
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白山平泉寺は1300年の歴史がある、
、奈良時代の修行僧の泰澄が白山に登頂すべく開いたところ、平泉(ひらいずみ)と呼ばれ、いつしか平泉寺(ひらいずみてら)と呼ばれるようになり、ここを中心に拝殿や、寺院が立ち並び、発展したとある。
1868年までは全国には神仏は同じ敷地内に多くあったが、1868年明治政府の神仏分離令により平泉寺の名は消え白山神社の拝殿、鳥居等、白山神社として残され、仏堂仏具は壊されたとある、山そのものを神として崇める、白山は女神、立山は男神として崇め信仰の対象になっている、詳細情報をみる
- 行った時期:2024年6月15日
- 投稿日:2024年6月25日
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平泉寺白山神社は2025年5月23・24・25日が33年毎に開催される御開帳です
6年ぶりに参詣した平泉寺白山神社、苔の美しさは梅雨の頃が最高と伺いましたが五月中旬では未だ地面がみえていました
来年2025年5月23・24・25日の三日間に、三十三年に一度の御開帳が行われると伺いました。皆様もどうぞお訪ねください詳細情報をみる
- 行った時期:2024年5月15日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2024年5月19日