桑名城址(九華公園)
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蟠龍櫓 - 桑名城址(九華公園)のクチコミ
お宿ツウ きーぼうさん 男性/60代
- 一人
桑名城の海に面するところ(七里の渡し跡)にあった櫓が再現されている唯一のもので、それ以外は城内敷地をぐるっとまわるだけとなっている。
- 行った時期:2015年9月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年8月23日
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桑名城址(九華公園)の新着クチコミ
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桑名城址
桑名築城は文治2年(1186年)鎌倉幕府の命による伊勢平氏の桑名三郎行綱に始まるとされる。慶長6年(1601年)徳川四天王の一人、本多中務大輔忠勝が入府、巨大な平城を十年近くかけて築いた。『日本城郭大系 10』
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- 行った時期:2023年5月27日
- 投稿日:2023年6月5日
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桑名城本丸址
桑名築城は文治2年(1186年)鎌倉幕府の命により当地を支配した伊勢平氏の桑名三郎行綱に始まるとされる。天正2年(1574年)の伊勢平定で信長の支配下に入る。
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- 行った時期:2022年3月19日
- 投稿日:2022年3月31日
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水の守り
関ケ原後の桑名藩主・本多忠勝は徳川譜代一の猛将ですが、城郭を整備し、大規模に町割し、交通の要衝として運輸・観光業を大いに栄えさせ、行政にも腕をふるったそうです。
東海道で唯一海路となる宿場町だけあって、城郭に巧みに水を曳き要塞化しています。
桑名駅から向かう街中にも当時の外濠が水路として遺され、城探訪気分が盛り上がります。
本丸は揖斐川河口に面した辺りで、今は九華公園となっています。水濠が鋭角的にくねってて、天守へは橋をいくつも渡って気分よく散策できます。主要な橋頭には櫓らしき跡があって迎撃拠点となっていた模様です。
残念ながら、幕末、桑名藩は官軍に激しく抵抗したため、報復措置として辰巳櫓を燃やされ、石垣を壊して石材を供出させられました。
鎭國守國神社境内にある天守址には、賊軍とされ靖国・護国神社に祀られない桑名藩士犠牲者の慰霊碑がひっそりとが建てられていました。詳細情報をみる
- 行った時期:2022年2月11日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2022年3月6日
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かなりの規模。
旧桑名城の本丸跡と二の丸跡に造られた公園だそうです。残された堀の広さからすると、かなり規模の大きな城であったことが偲ばれます。天守台跡が復元されていますが、そこには戊辰戦争で犠牲になった人々を弔う碑が建てられていました。
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- 行った時期:2020年1月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2021年8月7日
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本多忠勝像
伊賀上野から桑名へ移動、揖斐川河口の桑名城址へ。現在城址は九華公園となっていて、城跡的遺構は多く有りません。公園の入口には初代藩主・本多忠勝像が睨みを利かせていました。
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- 行った時期:2021年7月24日
- 投稿日:2021年8月1日