七里の渡跡
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かつての賑わいを思い起こさせるスポット - 七里の渡跡のクチコミ
神社ツウ まめちゃんさん 男性/60代
- カップル・夫婦
桑名市にあるかつての海上交通路の跡です。熱田:宮の渡しから、ここ桑名の渡しまでが7里あったことからが命名の由来ですが、かつての賑わいを思い起こさせるスポットでした。
- 行った時期:2019年1月
- 投稿日:2019年2月5日
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東海道の海路
人力と馬が陸路の移動手段であった近代以前、東海道は東名高速であり、東海道新幹線でもあったことでしょう。陸上交通が困難な桑名から名古屋市熱田までは唯一の海路で、ただの宿場町にとどまらず人と物が動き留まる東海道一の賑わいであったそうです。
当時の賑わいは失われたように思えますが、道路や鉄道の架橋のためだけではありません。幕末、徳川親藩であった桑名藩主松平定敬が京都所司代を務め、会津藩とともに新政府軍にも激しく抵抗したため、報復に城の石垣を毀ち、近隣の四日市に都市機能を移されたせいもあるのです。
この古都を半日街歩きする機会がありましたが、名士の洋風建築や水濠を利用した運河、それを利用した桑名城址などに賑わいの雅さが感じ取れました。
初めて訪れた町でしたが、自分の中に新しい発見がありました。詳細情報をみる
- 行った時期:2022年2月11日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2025年1月29日
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母と、母の桑名在住の友人と訪れました。
JR名古屋駅から普通電車で約30分、初めて桑名に来ました。母の友人のお宅でランチをした後、ゆっくり歩いて、七里の渡跡を見に来て、周辺を散策しました。
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- 行った時期:2024年11月30日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2025年1月22日
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七里の渡し
桑名は江戸期以前すでに、木曽・長良・揖斐川の三河川の湊町として発展していた。 【本陣2カ所、脇本陣4カ所、旅籠120軒。名物・焼蛤、白魚、時雨蛤、奈良漬】
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- 行った時期:2022年3月19日
- 投稿日:2022年3月31日
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桑名
「桑名 七里渡口」 手前の船の帆柱を境に、右に桑名城という重厚なモティーフ、左にはのびやかな海景を描くことで、情報を与えつつ風景画としての完成度を高めている。『宝永堂版 東海道五拾三次』
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- 行った時期:2022年3月19日
- 投稿日:2022年3月31日
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七里の渡跡
七里の渡しは熱田(宮)宿と桑名宿を結ぶ、東海道唯一の海上路。距離が約七里であったことから、その名が付いたらしい。五十三次の中で、両宿が旅籠数で1位と2位だったというから繁栄の程が伺えます。現在はこの航路を定期的に運航している船は有りませんが、復活したら乗船してみたいと思いました。名古屋から熱田を通って東海道線で帰ります。
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- 行った時期:2021年7月24日
- 投稿日:2021年8月1日