岡田鴨神社
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奈良葛城のカモ氏と京都加茂神社のカモは同族?別? - 岡田鴨神社のクチコミ
神社ツウ やんまあさん 男性/40代
- カップル・夫婦
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by やんまあさん(2017年11月3日撮影)
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この地域には奈良県葛城のカモ氏と京都市内の鴨社(下鴨神社・上賀茂神社)のカモ氏の足跡が残っており、山城風土記などでもこことの関係が記されている。昔はもっと広い範囲を保有していたらしい。
- 行った時期:2017年11月3日
- 投稿日:2017年11月4日
- このクチコミは参考になりましたか?2はい
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岡田鴨神社の新着クチコミ
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南山城の鴨社
「釈日本紀」の山城風土記の逸文によると、建角身命は日向の高千穂の峰に天降られた神で、神武天皇東遷の際、熊野から大和への難路を先導した八咫烏が、すなわち御祭神の建角身命で、大和平定に当たり数々の偉勲をたてられた。大和平定後、神は葛城の峰にとどまり、ついで山城国岡田賀茂(現在の加茂町・江戸時代までは賀茂村と書く)に移られ、その後に洛北の賀茂御祖神社(下鴨神社)に鎮まる。賀茂氏族の発展を祈り岡田賀茂の地に洛北より賀茂明神を勧請し賀茂氏族の祖神、建角身命が祀られた。当社の御鎮座は、崇神天皇の御代と伝えられている。境内は、元明天皇の岡田離宮の旧跡と伝えられ、村人が離宮の旧跡を保存するためにこの地に天満宮を創祀したと伝えられる。和銅天平時代には、現在の木津川(古名−加茂川)は岡田山(流岡)の北側を流れていたが、その後木津川が南側を流れるように変化し、水害が頻繁になり、式内岡田鴨神社を旧社地より岡田離宮の跡である天満宮の境内に遷された。
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- 行った時期:2016年10月17日
- 投稿日:2019年6月1日
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下鴨神社の元宮
日本神話に登場する神、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祭神です。
賀茂建角身命は、八咫烏(やたがらす)に化身し、神武(じんむ)天皇を熊野から大和へ道案内したと言われています。
木津川の氾濫により、何度か、遷座を行ない、現在地に、鎮座しています。
本殿は、二棟並んでおり、向かって右が岡田鴨神社、左が天満宮となっており、それぞれ建角身命、菅原道真を祀っています。
本殿後ろに見える楠の巨木が見事です。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年12月3日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年9月19日
vmisfさん
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岡田鴨神社A
伊勢・出雲の同時式年遷宮後に、各地の社が式年宮遷宮している。裏事情として、檜皮葺が高騰し、職人が忙しく、社は修繕したが屋根の檜皮葺を変えると2000万円が掛かるらしく、20年後に見送ったそうだ。ということで、御朱印いただき300円奉納!?
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- 行った時期:2016年10月29日
- 投稿日:2016年10月29日
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岡田鴨神社C
この地域に「菅原道真」というのが腑に落ちなかった。菅原道真は九州に左遷される道中に社が多いのはわかるが。宮司曰く、昔はアマテラスを祀っていたが、平安時代に天満宮が広がり、菅原道真に祭神を変更したかもしれないと言われていた。アマテラスだったかもというのは「なるほど」と思ったが、私の頭の中では「アマテラスではなくアマテルなど違う太陽神だったのでは?だから、隠した(変えた)かもしれない」と疑ってみた。
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- 行った時期:2016年10月29日
- 投稿日:2016年10月29日
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岡田鴨神社@
下鴨神社の元宮とも言われ、葛城王朝にいた鴨氏が現在の鴨社に行く前に一度、ここに腰を下ろしたとも言われ、あまり知られていないが、学者なども注目し訪れる神社。元々は天神社と鴨神社で別れていたが、川の氾濫で社を失い、現在の天神社と鴨神社を合体させ、現在に至る。なお、岡田というのはここらあたりの荘園のなまえ(小字)が岡田で、岡田離宮の地であったとも宮司より聞いた。つまりは、皇族をお呼びできるだけの豪族・氏族がいたということになる。
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- 行った時期:2016年10月29日
- 投稿日:2016年10月29日