新宮(丹鶴)城跡
- ここに行く計画を立てよう
- クチコミを投稿する
- 写真を投稿する
- 行った
- 行きたい
- クリップ
-
- シェアする
- メールする
立派な石垣 - 新宮(丹鶴)城跡のクチコミ
グルメツウ まこさん 女性/60代
- 一人
-
新宮(丹鶴)城跡
by まこさん(2016年3月撮影)
いいね 0
速玉大社から新宮駅に向かう途中に新宮城跡があります。
源為義の娘丹鶴姫の住まいがあったところから丹鶴城とも言われます。
公園内には立派な石垣が残っています。
桜の名所だと言う事で、お祭りのぼんぼりが吊るされ開花を待っていました。
- 行った時期:2016年3月
- 投稿日:2016年4月2日
- このクチコミは参考になりましたか?1はい
まこさんの他のクチコミ
新宮(丹鶴)城跡の新着クチコミ
-
立派な石垣と眺めの良さで楽しめます
熊野川河口の南岸の小高い丹鶴(たんかく)山に築かれた新宮城の遺跡です。城跡全体が眺望の良い公園になっていて、本丸広場から望む熊野川・熊野灘・新宮市街地の眺めはとてもすばらしい。城の建物は何も残っていませんが、見事な石垣がしっかりと残っていて、眺めの良さと相まって楽しめました。
「丹鶴城」という別名は、平安時代末期の武将で源頼朝の祖父として知られる源為義の娘・丹鶴姫が、この地に住まっていた事によります。源為義は、院の熊野参詣に護衛として随行した際、熊野別当の娘と結婚して丹鶴姫をもうけました。丹鶴姫が熊野別当家の一員となった事で、後に熊野や熊野水軍が平家から源氏に鞍替えするきっかけになりました。当時から丹鶴山は、別当家の住まいがあったほどに熊野川や熊野灘の水運の要衝にあった訳で、ここに砦や城が築かれるのは必然だったのでしょう。
1619年に、紀州の初代藩主・徳川頼宣の付家老である水野氏が入って立派な城郭になりました。紀州徳川家の支藩の城下町として新宮が栄えるきっかけになりました。詳細情報をみる
- 行った時期:2022年12月18日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2024年4月26日
他7枚の写真をみる
-
4月の桜の名所で、眼下の景色も素晴らしい
4月の桜シーズンの景色は最高です。無料で楽しめる桜スポットです。新宮市では有名な名所です。眼下に見える川岸も絶景です
詳細情報をみる
- 行った時期:2023年4月
- 混雑具合:やや混んでいた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2023年9月11日
-
予想以上に残っている城跡に城好き大歓喜
阿須賀神社から熊野速玉大社のちょうど中間部分にあるということで、城好きなこともあって訪問。道路歩いていると立派な神社のような城のような建物が見えますが、アレは公共法団?なんか違う施設ですね。この城跡に天守や建物は存在しません。(トイレはありますが)
新宮城なんて聞いたことも無い、城跡なんで轍とか形が残っている原っぱかなと思い訪問したんですが、めっちゃ城跡が残ってます。石垣や階段なども非常に良く残っていて、かつての風景を感じることが出来ます。安土城跡、小谷城跡、鳥羽城跡などたくさん訪問しましたが、城跡だとここが一番良かったですね。テンションあがって公園の中で一人騒いでました。
また、一番上から川を眺めることが出来たり、眺望も素晴らしくいいです。この後、神倉神社や熊野那智大社も訪問しましたが、自分が訪れた観光地の中ではここの眺めが一番好きでした。
・・・あくまで自分が城好きなんで大興奮でしたが、城に興味も無い人は天守も無いので、ただの高台登りになりますので、評価が下がると思います。ただ、城好きは行くべし。近所にあったら毎日通いたいレベルで、雰囲気が好きですね。詳細情報をみる
- 行った時期:2022年1月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2022年1月23日
-
石垣の跡
予定の列車まで時間が有ったのでふらりと立ち寄りました。
立派な石垣が残っており、建造物が残っていた時代はどうだったのかも気になりました。
まったく前情報が無かったのですが歩いてみて良かったです。
詳細を予習してから行くともっと楽しめますね。
川に架かる線路が見えましたが、その線路が城跡の下を通っているのに驚きました。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年6月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年6月10日
-
丹鶴城跡(たんかくじょうあと)
城郭に港の跡を見ることができます
本丸跡からは神倉神社を望むことが出来ます
松ノ丸跡にある水ノ手門より港の跡には
崖崩れにより下りられなくなっていました詳細情報をみる
- 行った時期:2019年5月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年5月31日
tanyさん