阿須伎神社
- エリア
- ジャンル
-
- ここに行く計画を立てよう
- クチコミを投稿する
- 写真を投稿する
- 行った
- 行きたい
- クリップ
-
- シェアする
- メールする
遠い昔、出雲と宗像の交流を示す神 - 阿須伎神社のクチコミ
神社ツウ 三文詩人さん 男性/50代
- 一人
-
国道から少し入っただけなのに、深い山の中みたい。拝殿は特徴のない流造
by 三文詩人さん(2017年3月19日撮影)
いいね 0 -
本殿は大社造。そんなに古くは見えないが、色々解って見ると畏れ多い
by 三文詩人さん(2017年3月19日撮影)
いいね 0 -
「こうじん」と読めば「庚申」に通じる。藁を巻いて蛇体を示す
by 三文詩人さん(2017年3月19日撮影)
いいね 0 -
別の神社の遙拝所らしい。
by 三文詩人さん(2017年3月19日撮影)
いいね 0 -
出雲市駅から1km余り。阿利神社にも阿遲須枳高日子根命を祀る。これも式内社
by 三文詩人さん(2017年3月19日撮影)
いいね 0
出雲大社から、国道431号を東へ3km少々。北側に阿式谷の集落へ入る道があり、阿須伎神社への道標が立つ。入ると道は細くなり、駐車場どころか転回場所もろくに無いので、国道沿いに駐車した方が良かったかも。
味耜高彦根(あじすきたかひこね)神を祀るので、アジスキ社とかになりそうなところ、阿須伎(あすき)神社という。阿受伎(あずき)社とも称した。出雲大社では阿式社と呼ぶ。
出雲國風土記出雲郡条では、阿受伎社9、阿受枳社4、阿受支社26、合わせて39社。延喜式では出雲國に阿須伎神社1、神阿須伎神社1、阿遲須伎神社1、合わせて3社。御由緒で延喜式に11社あるとしているのは、他国の社も含むようだ。何にしても一大勢力であったのに、当社ー社に集約されたという。
この神の名は、記紀の注釈にある「切れ味の良い鋤」などではなく、アヅキ(ア好き?)ではないか。「小豆の神」だったりしたら、神々しくて良いと思う。
この神は古事記に拠ると、出雲の大國主神と胸形(宗像)奧津宮の多紀理毘賣命との子。その割には、出雲大社にも宗像大社にも祀らない。宗像では許斐山麓の的原神社くらいしか思い当たらない。出雲でも、38社消滅している。
この神は、出雲と宗像を結んだ氏族の神ではないか。今では出雲大社摂社の一とされるものの、元は別系統だったのではないか。その勢いが衰えるのは、後ろ楯を失ったとしか思えず、遣唐使廃止や宗像大宮司家滅亡などの煽りを食らった可能性が高い。
合祀された式内社の多さにも驚く。豪華と言えば豪華だが、全てが一社に固められたのは、一山いくらで売られる奉仕品の切なさがある。
同社神韓國伊大弖(おなじやしろのかむからくにいたて)神社という式内社を合祀し、五十猛命(いたけるのみこと)のことだという。名前からして韓国から来たような説明も見るけれど、そうではない。延喜式より古い出雲國風土記には一社もなく、どうやら新羅との関係が悪化した時代に広まった神らしい。射楯神とも言い、「射立て」る神として信仰されたらしく、それならば「韓國」を「射立てる神」ということになる。五十猛命は佐賀県基山に祀る荒穂神社の神で、お膝元に基肄城がある。韓國伊大弖神とは、基肄城から来た兵士だったのか?しかし、そんな緊迫した情勢下に広まった神が、平和な時代に歓迎される筈もなく、今では忘れられ正体不明になっている。
- 行った時期:2017年3月19日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2017年4月14日
- このクチコミは参考になりましたか?3はい
三文詩人さんの他のクチコミ
阿須伎神社の新着クチコミ
-
阿須伎神社の2022年09月の口コミ
出雲大社の摂社として10月10日の例祭には 出雲大社の宮司の名代が献幣使として参向する神社である。出雲風土記の「阿受伎社」に比定されるが、実に39社記載されており、今はここに合祀されたようだ。
ということで、五十猛命、天稚彦命、スサノオ、シタテルヒメ、、サルタヒコ、イザナギ、天夷鳥命、稲背脛命、コトシロヌシ、天穂日命を配祀する。。多いな・・。詳細情報をみる
- 行った時期:2022年9月18日
- 投稿日:2022年9月23日