鵜川(石川県)の文化史跡・遺跡
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1 久田船長碑
文化史跡・遺跡
とても静かな場所に佇んでいて、観光客もおらず、ゆっくり出来ました。石碑を見ていると心が洗われて落ち着...by MYMさん
1864年11月30日、能都町鵜川出身。小学校教員を辞して後、(株)日本郵船入社。青森・函館連絡船・東海丸船長時代、明治36年10月29日、津軽沖でロシア船・プログレス号と衝突。船客・船...
その他エリアの文化史跡・遺跡スポット
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※掲載されている目安距離は役所・役場からの距離になります。
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文化史跡・遺跡
西方寺窯跡は珠洲焼という焼き物が作られていた窯だそうです。今でもその窯跡はしっかり残っていて見学する...by aya10さん
珠洲焼は12世紀から15世紀にかけて焼かれたが、西方寺古窯跡は、終末期にあたる窖窯である。他の珠洲窯は斜面に溝を掘って天井を掛ける半地下式であるが、本窯跡は、岩盤をくり抜いた...
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文化史跡・遺跡
永禅寺の境内には6基の古墳があります。お参りしたときには境内を散策してこの古墳を見るのがいいと思いま...by aya10さん
上戸町寺社にある「蟹寺(がんでら)伝説」で有名な永禅寺の裏山にあり、6基の円墳から構成されています。市の史跡にも指定されています。
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文化史跡・遺跡
春日神社の境内に大伴家持歌碑があります。能登を訪れたときに詠んだ歌だそうです。歴史を感じるものです。by aya10さん
越中の国守だった家持が能登巡国の折、歌った和歌。「珠洲の海に 朝びらきして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり」
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文化史跡・遺跡
鈴内横穴古墳群では200基以上の横穴古墳を見ることができます。これだけ多くのものがあるのは貴重だそう...by aya10さん
横穴古墳数10基、中には線刻の絵らしきものが見られるものもあります。市の史跡にも指定されています。
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文化史跡・遺跡
この地域は平家が配流されたところでありゆかりがあります。平時忠が一族の行く末を想って詠んだ歌の歌碑が...by aya10さん
平時忠が配流地で、波に洗われる岩間に生えた松を我が身にたとえて詠んだ歌。この歌碑は、時忠の末裔といわれている珠洲市(若山町大坊・脇田家)出身の祖父に育てられた俳人・山口誓子...
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文化史跡・遺跡
平時忠たちが眠るような場所となっています。歴史についてめぐっている人はこの場所もおさえておきたいスポ...by たけさん
壇ノ浦の戦いに敗れ、珠洲に流された平時忠は大谷町則貞で生涯を閉じたとされており、そこには一族のものと伝えられる大小十数基の五輪塔が椿の下にひっそりと並んでいます。石川県の...
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文化史跡・遺跡
春日神社内に13代目の木村庄之助の石碑がひっそりと建っていました。あまり目立たないので見落とさないよう...by ジョンさん
嘉永6年,第13代庄之助を襲名し,以来24年間立行司を努めた庄之助の出身地で,これを記念するもの。
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文化史跡・遺跡
昔にはお城があった場所になっています。お城が好きな人はここも見ておきたいポイントの1つともいうことが...by たけさん
長谷部神社背後の城山が長氏代々の居城跡で、1576年上杉謙信に攻め落された。別名白波城。
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文化史跡・遺跡
砂取節はこの地域の労働者に歌い継がれてきたとても大切な歌です。この民謡碑は県の文化財に指定されていま...by aya10さん
砂取節が県の無形民俗文化財に指定されたのを記念し、歌詩の一節を高橋掬太郎氏が染筆。
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文化史跡・遺跡
室町時代の物資商である長谷部信連は平家の武将と奮戦んしたそうです。周囲は彼岸花の名所として知られてい...by aya10さん
鎌倉時代、能登へ赴任してきた地頭の「長谷部信連」は32年間に渡って現在の輪島市から穴水町にかけての地域を治めていました。その墓は、地元では「ちょうづか」とも呼ばれています...
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文化史跡・遺跡
村上元三句碑は大河ドラマ源義経の舞台となったことでここに建てられました。須須神社の境内にひっそりとあ...by aya10さん
作家・村上元三氏原作のNHK大河ドラマ「源義経」(昭和41年放送)の中で珠洲市が舞台として取り上げられた。村上氏は何度も珠洲市を取材に訪れ、その記念として本人直筆の歌碑が建て...
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文化史跡・遺跡
歴史に触れられる場所ですね。とても勉強になります。古墳の前から見る海がめちゃくちゃキレイで癒されまし...by MYMさん
古墳時代の終わり頃に築かれた有力者の墳墓です。墳丘は、東西約18.7m、南北約17.1mの方墳で正面の墳裾に低い石積みを巡らした典型的な終末期古墳の様式をもっている直径30mの方墳。...
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文化史跡・遺跡
禄剛埼灯台台地にある山口誓子が昭和36年に禄剛埼灯台を訪れた時の句碑です。感慨深い歌に旅愁を感じること...by まめちゃんさん
昭和36年、狼煙を訪ねた際、禄剛埼灯台の台地に立って最果ての岬の感傷を詠んだ句碑。「ひぐらしが 鳴く奥能登の ゆきどまり」
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文化史跡・遺跡
散策で見つけました。公園内に歌碑はありました。 この公園もこじんまりとしてますが、亀の甲羅のような石...by とまとまさん
信綱が和倉を訪れたとき、万葉歌人の大伴家持を偲んでよんだ句。「宇た人の 国守巡り 見し日にも 山きよらかに 海 志つかなりけむ」
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文化史跡・遺跡
和倉温泉街の中心で海辺に在る、弁天島源泉公園内に建つ高浜虚子の句を刻した石碑です。小さな公園内には水...by トシローさん
昭和24年4月,和倉句謡会の席上で披露した五句の中の一つで、大伴家持をしのんだ句。「家持の 妻恋舟か 春の海」
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文化史跡・遺跡
幕末につくられた七尾軍艦所はい海女は何も残っていなかったですが、跡地とかかれた石碑のみがたっていまし...by ジョンさん
1862年能登海岸防備を命ぜられ「七尾軍艦所」を開設。明治四年廃藩置県と共に廃止。「記念碑」が現在残っているだけ。現今の川崎造船所の母体ともなった建物の歴史を感じる。
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文化史跡・遺跡
七尾市内から七尾湾へ注ぐ御祓川沿いの歩道には、多くの歌人の歌碑が並んでいます。その中でも与謝野晶子の...by トシローさん
昭和6年,与謝野夫妻が七尾と和倉温泉で遊んだ折に詠んだ歌の一首。「家々に珊瑚の色の格子立つ能登のなゝ尾のみそぎ川かな」。情報処しるべ蔵横の小公園にある。
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文化史跡・遺跡
御祓川渕小公園に石碑はあり、たくさんの石碑が並んでる中にこの歌碑もありました。本人直筆のもので風情が...by ジョンさん
七尾まだら碑と共に建立されたもの。三個の碑で構成する一群の「七尾まだら」記念碑のひとつで、「七尾まだら」に心酔して詠んだ歌と言われている。碑の歌は舟橋氏の自筆。
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文化史跡・遺跡
歴史を感じさせてくれるものとなっています。こういった作られたものに興味を持つことができる人もいるでし...by たけさん
御祓川の下流のほとりの小公園にある。縦2.35m,横45cm,厚さ32cmの御影石に,西条八十の筆で刻まれている。夜になるとライトが照らされ「七尾まだらの碑」の文字がくっきりと浮か...
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文化史跡・遺跡
古城歌碑は七尾城史資料館入口にある立派なものです。七尾城のイメージに合うということでこの歌詞が刻まれ...by ao10さん
昭和38年10月,七尾城史資料館入り口の右側に建てられた。最も高いところで2.4m,横1.5mの馬の背のような形をした自然石に,3節までの全文が地元の本谷辰次の筆で刻まれている。