川島松倉町の文化史跡・遺跡
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1 河田木曽川渡河の戦い跡・木曽川文化資料館
文化史跡・遺跡
関ケ原の合戦 前哨戦 岐阜城城主・織田秀信(かつての三法師)を攻めるため木曽川を渡る東軍 (池田輝政・浅野幸長・山内一豊等) とそれを迎撃する西軍 (木造具政・百々綱家等) の...
- (1)東海北陸道 一宮木曽川ICより車で約13分(およそ6.3km)公共交通機関(路線バス)・岐阜乗合自動車 JR岐阜駅前[北口]から川島松倉行き「川島河田町」バス停までおよそ25分、下車徒歩8分
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その他エリアの文化史跡・遺跡スポット
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※掲載されている目安距離は役所・役場からの距離になります。
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文化史跡・遺跡
浅井古墳群を見に行きました。尾張平野で最も多く古墳を残している地帯です。いろいろあって勉強になりまし...by せっきさん
県史跡。浅井町尾関地内に5基の円墳、前方後円墳が現存。出土品は一宮市博物館に展示。 時代 古墳
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文化史跡・遺跡
蜂須賀小六の屋敷跡とされ、此の地で嫡男家正が生誕したと伝えられており、天正12年の小牧・長久手の戦いの...by めたぼぼさん
小牧長久手の戦いの折、砦として使われたと考えられており、現在の地図からも当時の地割を読み取ることができます。なお、豊臣秀吉の部下として活躍した蜂須賀小六正勝・家政の親子が...
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文化史跡・遺跡
信長公居館跡 岐阜城の歴代城主の館は、金華山の西麓にある千畳敷下・槻谷(けやきだに)にあります。斎藤道三に始まる斎藤氏三代の頃に造られ、織田信長が大規模に造成・改修をし...
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文化史跡・遺跡
前野天満社を南に少し歩くとある前野家屋敷跡。白い漆喰の外壁と黒い屋根、蔵の黒い板塀。織田家、豊臣家の...by めたぼぼさん
秀吉に仕え、蜂須賀小六とともに活躍した前野将右衛門をはじめとする前野氏一族の屋敷跡で、現在もその家系は続いています。一族の武功を語る「武功夜話」が発見されました。 【料金...
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文化史跡・遺跡
長井新左衛門尉(斎藤道三の父)の時代の守護館 斎藤道三の父である長井新左衛門尉の時代 守護の館は、「福光館」(現在の長良中学校周辺)から「枝広館」(現在の長良公園)へ移...
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文化史跡・遺跡
ゴールデンウィークに近くを通ったので、寄ってみました。敷地の東西には、幼児や小学生が遊べる遊具があっ...by サビ猫さん
岐阜城に代わって、江戸時代初期に岐阜の中心として栄えた平城。今は本丸と一部の石垣だけが残っています。 【料金】 無料
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文化史跡・遺跡
二段円墳の古墳はこちらで初めて見ました。 状態も良く保存されているなと思いました。 一見の価値ありで...by なかのぶさん
7世紀前半につくられた東西21m南北24m高さ4mの二段円墳。 文化財 その他 愛知県指定文化財 その他 史跡 時代 古墳
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文化史跡・遺跡
住宅地の一角に、「美濃郡代笠松陣屋笠松県庁跡地」がありましたが、公園になっており、あっけなかった。 ...by 真さん
江戸時代、笠松には陣屋(役所)が置かれ、22人の役人が治水、裁判などの仕事をしていました。この陣屋は明治政府ができると廃止されましたが、慶応4年(1868年)に美濃国の一...
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文化史跡・遺跡
河川敷から、堤防の上にある川灯台まで登って来る坂に、この石畳が敷かれています。当時の運搬に関わった人...by サビ猫さん
笠松はかつて陣屋(役所)が置かれ、交通の要所となっていました。当時は木材や米などの荷物を木曽川を使い舟で運搬しました。港に揚げられた荷物を積んだ大八車が通りやすいように石...
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文化史跡・遺跡
台座のところに亀がいて面白い碑だと思いました。 亀塚とも呼ばれていると書いてありました。 印象に残り...by のぶじーさん
7mほどの高さの古墳で、天正12年(1584)の小牧長久手の戦いの際には徳川家康がここから敵陣を視察したとも言われています。六角柱の石碑は、生駒家六代利勝が家門の由緒と武勲を後...
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文化史跡・遺跡
墓地の一角にありました。 背が高いのですぐにわかるかと思います。 歴史好きにはたまらないですね。by たろうさん
吉乃の方が荼毘に付された場所です。観音像に刻まれた石碑の横には、その時植えられたという彼岸桜(通称:吉乃桜)があります。 【料金】 無料
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文化史跡・遺跡
一般のお墓とはだいぶ異なる屋根があるお墓でした。 案内板を見落とすとたぶん、分からないと思います。by のぶじーさん
生駒家の四代家長、五代利豊らの墓所です。石廟という家のような形の墓標が建てられています。 【料金】 無料
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文化史跡・遺跡
猿啄城跡 永禄8年(1565年)、織田信長の美濃攻めにより攻略され、川尻鎮吉(かわじりしげよし)が城主となりました。その折に、地名を猿啄(さるばみ)から勝山に改めたといわれ...
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文化史跡・遺跡
初めて行って驚いた正に教科書等で見る前方後円墳そのものだ、はっきりと形、形状がそのものと一見でわかる...by 鶴亀松竹梅扇さん
東海地区最大級の前方後円墳 【料金】 無料
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文化史跡・遺跡
刀祖元重の碑を見に行きました。元重は鎌倉時代末期から南北朝時代に九州から関に移り住み、刀鍛冶の技術を...by 5さん
関に刀鍛冶が発祥したのは鎌倉時代で、伝えによれば寛喜元年(1229年)伯耆国檜原より元重なる刀匠が関に来て、ここで刀を打ち始めたことによります。 【料金】 無料