縄生の文化史跡・遺跡
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その他エリアの文化史跡・遺跡スポット
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※掲載されている目安距離は役所・役場からの距離になります。
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文化史跡・遺跡
松平定綱および一統之墓所に行ってお参りしました。他には例をみない4代の大名の墓所が並んでいます。静か...by かずしさん
照源寺の裏山にあり、明治期に整備されたようである。すべて26基、その主なるものは藩祖松平定勝、同室、初代定綱(定綱を初代とするのは桑名松平越中守家の系図を独立にみたもの)、5...
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文化史跡・遺跡
- 王道
桑名築城は文治2年(1186年)鎌倉幕府の命により当地を支配した伊勢平氏の桑名三郎行綱に始まるとされる。...by Shotaさん
揖斐川河口付近にある。1601(慶長16年)年本多忠勝が10年を要して築城した。のちに代々松平氏の居城となり、5代目藩主定綱の時城郭が完成した。封地がほぼ正方形で東の一辺だけ湾曲...
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文化史跡・遺跡
北大手橋に行きました。三之丸掘の石垣約500mが現存する城壁を近くに見ることができます。船が係留され...by かずしさん
揖斐川に面する川口樋門から南大手橋に至る三之丸掘の石垣約500mが現存する城壁であり、江戸時代に思いをはせることができる。
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文化史跡・遺跡
『歌行燈』は泉鏡花が書いた小説です。のちにこの作品を久保田万太郎が戯曲化しました。その万太郎が詠んだ...by Yanwenliさん
明治四十二年、泉鏡花は桑名を訪れ船津屋に一泊、ここを舞台に名作「歌行燈」を書き上げました。のちに「歌行燈」を戯曲化した久保田万太郎が詠んだ「かわをそに火をぬすまれてあけや...
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文化史跡・遺跡
六華苑横にある休憩施設に車を停めて周囲を散策。住吉神社、七里の渡し跡、蟠龍櫓などを見てまわりつつ、川...by めたぼぼさん
揖斐川河口近く、番所が置かれ船着場として賑わった。 時代 江戸
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文化史跡・遺跡
- 王道
人力と馬が陸路の移動手段であった近代以前、東海道は東名高速であり、東海道新幹線でもあったことでしょう...by とうたんさん
熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡し」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せていました。ここにある大...
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文化史跡・遺跡
元禄2年松尾芭蕉が奥の細道の旅を大垣で結んだ後、伊勢神宮の遷宮を参拝の旅につきました。その最初に立...by ウォーレンさん
「奥の細道」で有名な松尾芭蕉が曽良を見舞って立ち寄ったときの句碑がある。
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文化史跡・遺跡
織田信長が最も恐れたといわれているのは武田などの戦国大名でなく、土着民衆の一揆反乱だといわれています...by 独島奪還さん
加藤甚左衛門の築城と伝える。 時代 1384〜1387
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文化史跡・遺跡
安政の大地震などの影響で港としての機能を果たせなくなっていた四日市港を、私財を投じてまで近代的な港と...by Yanwenliさん
四日市港の近代化の礎を築いた稲葉三右衛門を偲ぶ公園で、園内には稲葉翁の顕彰碑があるほか、「潮吹き堤」のレプリカが設置されています。
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文化史跡・遺跡
小学校4年生の社会科で学習し、校外学習で現地を見学した記憶があります。水害を防ぐために、尊い多くの命...by サビ猫さん
揖斐川と長良川の背割堤1km余にわたって、連綿と連なる松並木。この松の種類は日向松で、薩摩藩士が宝暦5年、治水工事の完成直後に苗を植えたものと伝えられています。千本松原の南端...
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文化史跡・遺跡
東海道と伊勢街道の分岐点です。 東海道を行き来した先人はここから伊勢神宮を遥拝したとこ。 ここの鳥居...by バタ氏さん
四日市は東海道五十三次の四十三番目の宿場として栄えました。日永の追分は、東海道と伊勢街道の分岐点で、往時の繁栄ぶりを今に伝える史跡です。 時代 江戸
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文化史跡・遺跡
こちらの観音様、500体あります。どれもみんな顔が違います。自分に似た観音様を見つけるのも楽しいです。...by かずさん
大日堂境内にある花崗岩に刻まれた石像群。 小高く盛った土の上に石の神様と仏様が仲良く並んでいる神仏混淆の様子は全国的にも珍しく、各像各様の石像羅漢が並ぶ様は壮観。本堂に大...
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文化史跡・遺跡
菰野藩主土方家墓地を訪問しました。菩提寺見性寺の墓地にあります。静かな杉林の中にあってゆっくりお参り...by かずしさん
土方家の菩提寺である見性寺にある。土方家は1万2千石の外様大名でありながら、明治維新までの約270年間、12代にわたり統治した。見性寺には藩主の愛用した鎧、甲、旗、屏風や文献な...
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文化史跡・遺跡
蟹江町出身の医学博士であり、探偵小説家でもあった小酒井不木は、日本の探偵小説の先駆者であり、江戸川乱歩など後輩の育成に尽力しました。 また、俳句にも情熱を注ぎ、鹿島神社文...
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文化史跡・遺跡
蟹江城は尾張の西部に位置し、水郷地帯であることを利して三重の堀をめぐらしていたという。 永享年間(1429年〜1440年)に北条時任が築いたといわれる。 有名なのは158...
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文化史跡・遺跡
国分寺跡を訪ねるのは、ここが3カ所目です。平成になって、大規模な発掘調査と整備がなされています。見学...by こぼらさん
国分寺は,天平13(741)年に聖武天皇の詔勅によって各国に置かれた官寺である。 大正11年に国の史跡に指定され,現在は講堂跡の林に石碑が建てられている。 主な出土遺物は隣接す...
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文化史跡・遺跡
1834年、須成村の神官の嫡子に生まれたが、1850年尊王攘夷を志し、名を佐野七五三之助と改名して江戸で北辰一刀流を学びました、その後新選組隊士となり京都へ上京しましたが、1867年...
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文化史跡・遺跡
佐佐木信綱の生家は明治初期に建てられました。生家の門の横に歌碑が立っています。 【目とづれば ここに...by こぼらさん
鈴鹿市生まれ。歌人・国文学者として竹柏会を主宰。万葉学の中心的存在。主著『日本歌学史』『和歌史の研究』など。昭和12年,文化勲章受章。記念館の事務所横に卯の花があり,4月下...
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文化史跡・遺跡
鈴鹿川の支流・才石川に架かる橋の袂にあります。戦後まで一里塚は、橋のむこう(対岸側)にあり、街道両側...by こぼらさん
もと蒲川の西岸,東海道の両側に榎が植えられていたところが,石薬師の一里塚という。台風等で榎も折れ,終戦後北側にその根元だけが残っていたが,消滅したので昭和52年に南側に榎の...
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文化史跡・遺跡
近くに公園があります。子供と歩いて行きましたが歴史を学べるよい機会になりました。近くの公園は遊具もあ...by ぴーまんさん
神戸城は天文20年(1551)神戸具盛によって築城され,のちに織田信長の子信孝が安土城にならって壮大な天守閣を築いた。現在は天守台の石垣と堀だけが残っている。◎織田信孝(1558〜...
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文化史跡・遺跡
加佐登神社とセット。ヤマトタケルの墓は能褒野墓とされ、本居宣長や平田篤胤ら江戸時代の国学者はここを有...by やんまあさん
日本武尊の御陵といわれている。5世紀後半から6世紀に築造された円墳で,三重県最大の円墳として知られている。 文化財 都道府県指定史跡 指定年: 1937 11月 時代 大和
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文化史跡・遺跡
織田信長の主筋に当たり、尾張を南北に分割して治めたという、清洲・岩倉両守護代家の力も、この知多郡には...by キョウドの野望さん
織田信長の妹お市の末娘「小督(お江)の方」が城主佐治与九郎のもとへ嫁いだ。後に徳川三代将軍家光の母となる。 現在は城山公園として親しまれ、展望台からは伊勢湾の大パノラマが...
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文化史跡・遺跡
織田信長はこの城で生まれたというのが最近の定説となっているとのことです。残念ながら、江戸期の河川改修...by めたぼぼさん
織田信定が、永正年中(1504年)に築城し、その子信秀(信長の父)がこの城を拠点として斯波氏三奉行の一人として栄えた。また、天文3年(1534年)5月27日には、織田信長もこの城で誕...
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文化史跡・遺跡
湯の山温泉の名刹・三嶽寺の境内にある芭蕉句碑です。芭蕉翁が湯の山温泉には来て詠んだ句ではなく、「おく...by こぼらさん
「文月や 六日も常の 夜には似す」 松尾芭蕉は「奥の細道」の旅の途中、直江津で詠んだ句。19世紀半ば、三嶽寺は歌人俳人の集まるサロン的な場所だったので、当時の住職が建立しまし...
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